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マカオの長い夜 後編
バカラとマーチンゲール法を組み合わせて手元のチップを着々と増やしていったのだが、夜も更けたころついにマカオの悪魔が牙を向いた。
理論上、バカラの勝率は約45%。
ただ、これはあくまでも机上での計算で弾き出された数字であって、せいぜい数十回あるいは数百回程度の試行回数では偏りは存在する。
途方もない回数の試行を繰り返せばこの数字に収束するというだけで、絶対に勝率が半々になるというわけではない。
負けるたびにベット額を倍にしていくマーチンゲール法は、一度の勝ちで累積した負け額を取り返すことのできる画期的なベット方法である。
ということは、理論上は絶対に負けることがない。
しかし、この方法を効果的に利用するには、「連敗が重なってベット額が膨れ上がっても、それに耐えられるだけの軍資金を持っている」という条件が必須になる。
数時間のプレーで、ぼくがピンチに陥ることなくチップを増やすことができたのは、せいぜい5連敗程度で留められていたという偶然によるものが大きい。
その瞬間は突然訪れた。
ぼくはひたすらバンカーにかけ続けていた。
同じものにかけ続けるということが大事なので、気まぐれは絶対に起こさなかった。
まず、ミニマムベットの1,000円(日本円換算)分のチップを置き、負けたら2,000円、次は4,000円…というように負けるたびにベット額を倍にしていく。
順当なぼくの勝ちっぷりを見て、賭け方を真似たM君に悲劇は訪れた。
1,000円をベット。
負け。
2,000円をベット。
負け。
4,000円をベット。
負け。
8,000円をベット。
負け。
16,000円をベット。
負け
32,000円をベット。
負け。
64,000円をベット。
負け。
128,000円をベット。
負け。
まさかの8連敗。
この時点で彼の負け額は累計で24万円を超えた。
セオリー通りであれば次は256,000円賭ければいいわけだが、それで負けたら総額50万円の負けになる。
そして負け額が50万円に達してしまったら、それを取り返すための資金はもうない。
ぼくらが社会人になってまだ1〜2年目の頃で、軍資金はせいぜい1人20万円しか持っていなかった。
すでに25万円負けてしまったM君の懐は空っぽになり、次の賭け金である25万円を捻出するにはぼくらの有り金をかき集めなければならなかった。
流れが来ていない今、ここでやめるのが賢明なのではないか、とぼくらは考えた。
しかし、確率を信じれば、次に勝つ確率は限りなく高くなっていると解釈することもできる。
第一、倍賭けとは一撃で負けた総額を取り返すための方法論なわけで、負けているタイミングで賭けるのをやめることが最も無意味な行為である。
決死の決断を迫られたM君は、逡巡の末ついに腹を括った。
「25万円賭けます」
ぼくらは慌ててかき集めた日本円を香港ドルに両替し、そのまま全てチップに変えた。
ディーラーはぼくらの一連の作業を黙って待ってくれていた。
M君は強張った表情で、調達したばかりの積み重なった25万円分のチップをバンカーのところに押しやった。
若い外国人が大金を1点賭けしていることに気づいた他の客が、ぼくらの周りを取り囲み始めた。
にわかに場が熱を帯びる。
ディーラーが手のひらをゲーム台の上にサッとかざして、最終ベットをコールする。
「No more bet」
ぼくらは瞬きもせずにディーラーの手の動きを見つめた。
ディーラーが傍らのマシンからカードを引き抜き、所定の場所に裏向きのカードを並べていく。
ディーラーが目配せでM君にカードをめくるように促した。
周りにいた全員が息を飲んでM君の手元を見つめる。
まず、プレイヤー側のカードを表にする。
ピクチャーと6
悪くない。決して悪くない展開だ。
バンカーの合計が7、8、9なら無条件でぼくらの勝ちだし、6以下だったとしても、もう1枚カードを引くことができる。
M君が、バンカー側に置かれた2枚のカードのうち、左のカードをおもむろにめくる。
カードの表には3つのハートが描かれていた。
つまり、もう1枚のカードが4、5、6ならM君の勝ちだ。
M君を取り囲んだ数十もの瞳が、1枚だけ裏向きになっているカードに注がれた。
小さなフロアは静まりかえり、咳き一つ聞こえない。
静かに興奮した観衆の体熱で、バカラ台の周りだけ少し温度が上がっている。
M君は小さく息をつくと、微かに震える指でゆっくりとカードをめくった。
スペードの5
M君は勝った。
数字を認識して、僕らが勝ったことを知った観衆は歓声をあげた。
ぼくらは肩を抱き合って勝利を喜んだ。
1人だけディーラーと対峙していたM君は、安心したように肩の力を抜いた。
ディーラーはやれやれというように、25万円分のチップをスライドさせてM君に渡した。
こうして、マカオでの長い夜はぼくらの勝利で終わった。
精神的に参ってしまったぼくらはカジノホテルを後にして、頭を冷やすために屋外に出た。
夜も更けて、冷たく締まった外の空気が最高に気持ちよかった。
ほっとしたのか急に空腹を覚えたぼくらは、閉店間際の小汚い中華料理屋に入った。
メニューの写真を適当に指差してオーダーしたが、その時に食べた麻婆豆腐はびっくりするくらい美味しかった。
(おわり)
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