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島暮らしを振り返る④ 仕事の話編

「仕事の話」と見せかけて、自画自賛系の記事。
ちょっと愚痴っぽいところもあるかも。

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ぼくは今、小さな離島で塾の先生をやっている。
塾といっても、都市部にあるような進学塾とは異なり、学習環境が整っていない離島において、子どもたちの学習をサポートするようなイメージだ。
プリントを解かせたり、学校の宿題を見てあげたりする程度で、仕事自体は非常に楽である。
ただ、先生がぼく一人しかいないため、生徒が一気に来てしまうと教室は阿鼻叫喚となる。
生徒の学力はあまり高くないので、予習の必要はあまりないし、事務作業もほとんどないため、日中はかなり暇だ。

では、何が大変だったかというと、話は去年の6月まで遡る。

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前にも書いたが、その時のぼくは「沖縄の離島に住んでみたい」と思っていて、希望する条件に合う求人を探していた。
そして、トントン拍子で今の会社に採用してもらい、去年の6月に沖縄までやって来た。
本島の本社で1週間の研修を行ったのち、ついに島に上陸することになった。

島の塾は役場から予算を計上して運営されており、公共事業的な側面がある。
10年ほど前から始まった事業らしいのだが、ぼくの前任者が恐ろしく(控えめに言っても)ポンコツだった。
前任者の2人ともがガバガバな性格をしており、役場に提出する定期報告書はテキトーで、塾では子どもたちはやりたい放題だったらしい。
当然、ぼくはそのことを知らずに島に来たわけで、ろくな引き継ぎもないまま、塾の再建を任されることになったのだった。
前年度の惨状を何一つ聞かされずに島送りにされたぼくは、学校や教育委員会と打ち合わせをしていく中で、ちょっとずつ前年度の様子が明らかになり、どうやら大変な仕事らしいぞと悟っていった。
今まで2人でこなしていた仕事を、1人でやらなくてはいけないだけでも大変なのに、役場や学校との信頼関係の構築から始めないといけない。
ただ、教育委員会の担当者も学校の先生方も「前任者は前任者、ぼくはぼく」というように考えてくれていたので、塾の再建には協力的で、非常にありがたかった。
他の離島の塾の先生からは、「学校や教育委員会が協力的ではない」という話もよく聞くので、その点は人に恵まれていたと言える。

前任者の1人とは引き継ぎで何度か会ったのだが、前年度の惨状をヘラヘラしながら語った挙句、「塾の再建をお願いします」的なセリフを無責任に言い放ってきたので、ぼくは彼と友好的な関係を築く努力を早々に放棄した。

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「再建」や「信頼関係の構築」と大仰な書き方をしたが、実際は常識的な対応を積み重ねていけばいいだけだったので(前任者が非常識すぎただけ)、そこまで苦労を強いられたわけではないが、移住当初は慣れない島暮らしとも相まって、「鋼のメンタル」で有名なぼくもさすがに精神的にくるものがあった。

今は後任者との引き継ぎの真っ最中で、離れ小島で孤軍奮闘したこの1年半を振り返り、我ながら誇らしい気持ちになっている。
後任者は経験豊富でしっかりした方なのだが、「子どもたちの学習環境が整った、とてもいい塾ですね」とおっしゃってくださり、何だかこみ上げてくるものがあるのである。
ぼくの退職後も、本社の人たちにぼくの功績をどんどんアピールしていってほしいものだ。

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