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南へ向かう

北海道の、さらに北の外れの寒村で生まれ育った父は、中学卒業と同時に東京へ出て来た。
実家から通える範囲に高校は2つしかなかったが、勉強が大嫌いだった父はそのどちらも不合格で、就職するしかなかったのだ。
集団就職の一員として上京し、知り合いの伝手を頼って職人のもとに弟子入りした。

父の母親、つまりぼくの祖母は、わずか15歳で家を出て行ってしまったかわいい末っ子のことが心配で、夜も眠れないほどだったらしい。
当時は、東京を舞台にした華やかなテレビドラマが流行っていた。
親の気苦労はつゆ知らず、田舎で育った父は東京暮らしをエンジョイしていた。
中学卒業したてだったにもかかわらず、酒にタバコにパチンコにとやりたい放題で、30過ぎで結婚するまで全く貯金をしていなかったとのことだ。


インドネシア、沖縄、インド……。
若かった頃に父親が南を目指したように、ぼくの目線も常に南に向いている。
父から受け継いだ遺伝子には、「南へ行きたい」という本能的な欲求が刻まれているのかもしれない。

数十年前では、北海道から東京に出るということは大きな決断だったに違いない。
しかし、交通網が発達し格安航空機が登場した現在では、この2都市は簡単に行き来することができる。
物理的な距離は変わらないが、心理的な距離はかなり縮んだといって良い。

ぼくが来月から赴任することになるインドは、同じアジアとはいえ、日本からは遠い国だ。
しかし数十年後には、直行便の増便や航空機の改良などにより、簡単にアクセスができるようになっているかもしれない。
あるいは、通信技術の発達により、実際に会えなくても心の距離はぐんと縮まっているかもしれない。


ぼくに子どもができて、彼(女)が大人になったら、「南極に住みたい」なんて言っているかも。
そしてぼくがおじいちゃんになる頃には、南極にも簡単に行けるようになっていて、寒空の下、子どもや孫と一緒にペンギンを眺めるのだ。




おまけ

「南へ向かう」というこのノートだが、実は妹は北海道に住んでいる。
昨晩、妹から家族ラインに写真が送られてきた。

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もう北海道では雪が降っているらしい。

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-2℃は凍死レベル。

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