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雑感

先日、国語を教えていたら、興味深い文章に出会った。

「米を食べるときに箸を使うか否か」という文化比較をテーマにした説明文で、内容としては「細長くてパサパサしたインド米は手の方が食べやすく、丸くて粘り気のある日本米は箸のほうが食べやすい」という非常にべたなものだった。

ぼくが「へぇー」と思ったのは、インド人が手で食事をする理由を述べた一文。

他人が一度使った道具よりも、きれいかどうかが分かっている自分の手のほうが清潔だと考えてもいるのです。
(森枝 卓志『手で食べる、はしで食べる』)

へぇー。
納得できるかどうかはさておき、合理的な考え方だ。


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どんな文化や慣習にも、その裏側には彼らなりの合理性がある。

例えば、イスラム教では一夫多妻が認められているが、「妻帯は4人までで、平等に愛を注ぐこと」という条件がついている。
「平等に」とは、経済的な意味合いもある。

古来より、イスラム教は他宗教との争いが絶えない宗教で、コミュニティでは常に成人男性が少ない状態であった。
アンバランスな人口構成に対処するために、一夫多妻を認めたという経緯がある。
経済的社会的に弱い立場に置かれがちな独身女性を救済するという意義があったため、「平等に愛する」という文言が付されている。

もちろん、その制度が現在の社会状況と照らし合わせて適切かどうかを問い直し続けることは重要であるが、上記のような歴史的背景があったのも事実。


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インド移住後も、noteの投稿は続けていきたいと思っている。
内容は当然、インド生活で体験したカルチャーショックを紹介するものになるはずだ。

「日本の常識は世界の非常識、世界の常識は日本の非常識」という言い回しもあるように、どの国に移住しようと少なからずカルチャーショックは経験する。
特に、インドはその傾向が顕著な国の一つ。

ただ、noteでインド文化を紹介する際に、一つだけ心がけたいと思っていることがある。
それは「インド、ヤバイ笑」で終始するような内容にしないこと。

我々から見たら無秩序だと思われることでも、その裏には彼らなりの秩序だった行動原理があることが多いと思う(ないかもしれないけど)。
現象の表層だけを紹介して「カオスです!」で終わらせるのではなく、びっくりするような出来事に出会ったら、日本人的な視点を一旦捨てて、その裏側の行動原理まで読み解いていきたいと思っている。

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