フォローしませんか?
シェア
って、石原さとみが言ってた@フェルメール展 今年、色んな絵画を見た。絵画は写真と比べて自由だ。何を描いても「なんでこれを絵にしようと思ったのか」なんて疑問を抱かれることは稀だ。 でも写真は「何を撮ろうと思ったのかわからない」という感想が生まれがちだ。特に風景写真やスナップは。 何を写したいとか、主題はこれだとか、はっきりしてる必要は本当にあるのかな。 ただ目の前にある景色が全体として美しいと思ったからシャッターを切った。それの何が問題なのだろう。 それでその美しさが
被写体が人間であるからこそ写せるものがあるんじゃないだろうか。などということをよく考えるのだけどうまくまとまらない。 時間も温度も空気も写真には写せない・・・本当に写せないだろうか。 キラキラした笑顔もかっこいいポーズも悪くない。そういう写真が嫌いなわけでもない。でも人間はお飾りの置物じゃないし、何より「もう二度と訪れない"今"を切り取る」道具を使って、後から再現できそうな「絵」を撮ることに余り意義を感じない。 だから美しいポーズで、美しい表情で、じっと止まってはいチー
これでトータル三度目の撮影となるSHAYちゃん。 なんか SHAY ちゃんには思い入れがあるというか、応援したくなる。こういうのを「推し」っていうのだろうか。別に握手してほしいわけではないけど。 ハーフ特有のルックスのアドバンテージだけのモデルじゃない。何しろ人柄に好感が持てる。 少なくとも僕にとって、モデルは見栄えが良ければそれでいい、という存在じゃあない。かれこれ10人以上撮影してきてつくづくそう思う。一緒に仕事をする仲間、という感覚。「この人と一緒に仕事をしたい」