波を制する者が、人生を制する!!

日曜日のさざえさんを見ると、どうしても月曜日が憂鬱になる「さざえさん症候群」とは無縁のきよぼーです。

大げさなタイトルでしたが、小粒な雑談を書きます。(余談がいつもの倍入るので、長いです)

今日は、波について

・人生、山あり谷あり(#長い波)

・高い周波数ほど、小刻みで、低い周波数ほど、ゆるやか(#短い波)

・1歩進んで2歩下がる(#これは違うか #ま 、横の波)

命にも、言葉にも、今という一瞬にも、魂という生命=エネルギーが宿ってます。

この「波を制する者が、人生を制する者」とは、この波を知らなければいけないという訳ではなくて、知らなくても知ってても全く問題ないのです。

しかし、人生を制する者は、自然とこの波を知っています。気づいてる人がほとんどです。

最初に訪れるだろう、波の第一試練は受験です。

例えば受験って、高校入試だと、中学3年分の集大成を受験日にぶつける試験です。中学1年に勉強しただろう数学を、受験日に思い出して発揮できて書いて回答出来れば、〇なんです。部分点もあるでしょうから、とにかく書く!

中間テストとかは一夜漬けという強引な乗り切り法もあるわけですね。(#あんまりやったことないけど)

同じ理屈で行くと、もうお分かりかと思いますが、大学でも〇〇検定も同じで、受験日や試合日当日にさえ、最高の自分が発揮できれば〇なんです。

(ちなみにどんな難関な試験でも80点取れば合格です。低いと60点)


あとは最高の自分が100% 120%出せて、結果80点以上取れていれば合格で、79点だったら不合格 それだけの話です。

当時センター試験を受けるだろう(#結果受けてない)高校1年の私は、偶然にも教頭から英語を習うクラスにいて、大学受験の厳しさを叩き込まれました。「この1点に全国のライバルたちが何千人もいる。だから授業に集中せよ。」と。(#気が抜けたクラス #熱量ハンパない教頭

今でも覚えているのは、(#それしか記憶にない)ある授業中に「英文を訳せ!」と当てられたときの話。
I wandered in the unconscious (私は無意識の中をさまよった)を、

私:(unconscious?意識はconsciousだったよな~。

un+conscious意識にunがついているから無意識?inもついてるから中?)

私:「わ、わたしは、無意識の中・・・」ん?ワンダー? 不思議?(#
不思議はwonder)edついているから過去形か。なんだろ? 

教頭:「そ、さまようね。座ってよろしい」

私:さまようなんて言ってないけど、ま、いっか。(#なんでOKだった?)

英語の授業で3年間で覚えている内容は、本当にこれだけです。高校2~3年は安倍総理に似た担任から教えてもらったことだけです。

あ、そういえば2~3年は、意識高い系のクラスに行ったため、先生の後をついて英語の発音するクラスメートのめちゃくちゃ大きな声にびびり、先生よりも教室の生徒を振り向いたくらい。(#隣のクラスに迷惑じゃないの?)

そして次の瞬間、頭をよぎるのは、ヤバイクラスに来てしまった。その名の通り、ライバルは全国にいると覚悟して集まった教室でした。みんなが頭よく見える~~。


話がそれました。(#悪気はないです)もう1個だけ、話はまたそれます。

テニスの部活をしていた高校2年生の話

全国常勝校(になる伝統校)と、私たちと、私たちと同じレベルくらいの高校の3つで、2泊3日の合宿を行ったときの話。

1月4・5・6日の寒い冬の強行合宿 夕方に母校を出て、21時合宿先到着

なんと保護者からのあたたかい夜ご飯を合宿所でいただきました。写真で見せてあげたいくらいのトンカツと山盛り盛りのキャベツ。(#平成の日本昔話)

こんなの食べられな~い。と、しっかり食べ終わった頃、監督からひと言。

監督「行くぞ、準備せ~」

私ら「は、はい。」

食べ終わった22時から24時まで夜練習 手がガチガチに冷たく、白い吐息も凍りそうな中、オリオン座がキレイでした。

翌朝も7時~21時まで合宿練習

最終日は3校での練習試合 (さすがに倒れたい。寝たい。足が棒のようだ)

って逃げたい気持ちもありながら、他校の生徒が1人2人と倒れる。

その練習試合が1回ずつ終わると、互いの監督からアドバイスをもらうのだが、これがまたありがたかったお言葉です。(勝った・負けたよりも、お互いに切磋琢磨する環境なので、一喜一憂はしない空気)

他校監督「我々の1番強い選手と互角の試合は見事であったが、君たちは谷かもしれないし、山かもしれない。相手選手が山かもしれないし、谷かもしれない。

つまり、格上の選手と当たるときに、

自分が山でも、相手が山なら勝てない

自分が谷でも、相手が谷なら勝てない

しかし自分が山で、相手が谷なら、通常は勝てない相手でも、勝てるチャンスはある。格下では逆の理屈」と。

決して勝負を最後まであきらめるな!という気持ちや根性論を教えて頂いたのだと思いました。

しかし、今の記事にならうなら、その山をいかに山にするか、谷にしないか、山を更に山にするか?これを突き付けられた上に考えよ!と言われたのだと解釈できます。

今、少し成長した私が付け加えるなら、時間軸も入るため、山や谷の3次曲線に、横1本に→が通ります。(X・Yとは別でね)これが、上を向いているのか、下を向いているのか?横這いか?この違いは、環境です。

周りの環境に流されて下を向いてしまうこともあれば、上を向いて強烈に切磋琢磨をして行かねばならないこともあるでしょう。

だいぶ長くなりましたが、人生山あり・谷ありとはよく言ったものです。

山も谷も自分次第であり、右肩上がりに身を置く・置いてみるのも環境が一因でありながら、結局自分次第ということです。

どれもコントロール可能であり、どうせなら山でありたいです。

周りを見れば、私の山は富士山なんかより相当低い○○山レベルと思っても、いいじゃないですか?あなたの山も、日本一と言われる富士山もいきなり出来た訳でもないし、エベレストもそうですし。高さを競うのではなく、谷にならないようにすることが大事なんだと思います。

富士山も日本一の山であり続けるように、相当なエネルギーをいまも使っていると思います。#邪推です

Q 山を創り上げていくには、どうしたら?(#突然の質問コーナー)

A 日々に具体的に感謝すること、ワケもなく笑顔でいることでしょう


まとめ

あなたは今、山ですか? 谷ですか?

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