世界一速いハエ
「俺、すげえよ。世界で一番速く飛んでるよ」
俺、ハエ。俺、興奮してる。
だってさ、まったく羽を使ってないのに、めちゃくちゃ速く飛んでるんだぜ。そこらのハエとは比べものにならないくらい。
風景がどんどん流れていく。俺の普段の行動範囲の何百倍も遠くへ行っている。俺は一体、どこまで行くんだろう。そして、俺の速さに限界は来るんだろうか。恐るべき、俺の才能。
この速さなら、いつも俺より速く飛ぶ、ハエ作の野郎を簡単に追い抜くことができる。いやー、見せたかったなあ、超高速で飛ぶ俺の今の姿を。
「ほんと、すげえよ。俺って奴は……」
「さっきから何ぶつぶつ言ってんだよ」
突然の声に振り向くと、そこにはハエ作がいた。こいつ、今の俺のスピードについてきてやがる。しかも、声までかけてくるなんて。
「お、おうハエ作。久しぶり。お前も遠くまで行くのか?」
「まあな。っていうか、お前さ、さっきから『俺、速えよ』とか言ってたけど、どういうこと?」
こいつはいつも俺をからかってくる。俺の独り言をずっと聞いていたんだ。まったく嫌な野郎だ。
「別に何でもねえよ。ちょっと自分の速さ、自分の才能に感嘆してただけだ」俺は少し恥ずかしげに言った。
「お前の才能?」ハエ作は苦笑した。「お前、もしかして自分で飛んでると思ってんのか?」
ハエ作の野郎、何言ってやがんだ。飛ばないと移動なんてできねえだろうが。
ハエ作はさらに言った。「お前、ここがどこだかわかってる?」
「どこって……」俺は言った。「外だろ。俺たちがいつも飛んでるところだ」
「ここはなあ、『電車』ってところだ」ハエ作が少しバカにしたように言った。「電車ってのはなあ、勝手に超スピードで動くんだ。原理はよくわかんねえんだけどな。人間はよくこの電車ってのに乗って遠くへ行ったりする」
「デンシャだと……。勝手に超スピードで動くだと……。そんなものがあるもんか。大体、そんなのに乗った記憶はないぞ。俺はいつも通りフラフラ飛んでただけだ」
「だからたまたま電車に乗り込んじゃったんだろうよ。もしかして、お前、自分で飛んでると思ってた?」
「そ、そ、そ、そんなワケねえだろ。もちろんわかってました」
「その割にはその窓にずっと止まって『俺すげえ』とか言ってじゃねえか」
「そ、それは、俺ハエなのに、人間の道具を使って移動しているすげえ奴という意味なんだよ」
「まあ、すごくねえけど、俺もよく使うからね」
なんだよ。俺が飛んでるわけじゃねえのか。興奮して損したぜ。
まあ、電車って便利なものを発見できたのは収穫だった。これにさえ乗れば短時間でどんなところにでも行ける。
「なんだよ、遅せえな」イライラしすぎてつい口に出してしまった。
「遅い? おい、これ、普通の電車じゃない。新幹線だぜ」ハエ作が後ろから声をかけてきた。「この前まで電車のスピードに感動してたじゃねえか」
「まあ、慣れたらどうってことねえよな」俺は得意気に行った。「もっと速く移動してえよ」
電車というものに乗り始めてから三ヶ月。電車のスピードにもすぐに慣れ、もっと速い乗り物を追い求めるようになった。
新幹線はもちろん、車、飛行機、高速船、一通りの乗り物は乗った。
しかし、これらの乗り物でも俺の「もっと速く移動したい」という欲望を満たすことはできなかったのだ。今も新幹線に乗っているが、特別速いともなんとも思わなくなった。俺にはもっと速さが必要だ。
ハエ作は新幹線に乗るのは初めてらしく、目を回している。「お前、これより速いのって、飛行機くらいしかねえぞ」
「フッ、飛行機なんてもう乗ったよ」俺は言った。
「マジか、お前。飛行機なんて滅多に乗れるもんじゃねえぞ。どうだった?」
「まあ、あれもそれほど速くはねえな。空飛んでるだけでスピードは新幹線とそう変わらねえ」
「飛行機より速い乗り物なんてもう存在しねえだろ」
「それがねえ」俺はもったいぶって言った。「あるらしいんだよね」
どうやらアメリカの人間が『瞬間移動装置』というのを作ったらしい。これを使えば、移動なんてしなくても一瞬で違う場所に行けるらしい。
「俺はそれを体験しにアメリカへ行く」
瞬間移動装置はなかなか大層な機械だった。問題はハエである自分だけでは機械を作動できないこと。人間が使う時を見計らってうまく入り込むしかない。
そのときが来た。人間が入り込むとすかさず機械に入り込んだ。
ついに世界最速のハエになる。自慢したって信じてもらえないだろうがね。
火花が飛び散る。熱い。これ、大丈夫か? 焼け死んだりしないだろうか。一緒に入ってる人間も汗まみれでかなり不安そうだが。
ああ、怖い。熱い。このまま死んでしまいそうだ。こんなことならハナからスピードなんて求めない方がよかった。電車、いや、自分の羽が一番だ。景色も見れるし、ウンコがあったらすかさず食べにいけるし。
この前、ハエ美と食べたできたてのウンコは旨かったなあ。あれは人糞だろうか。さすが人間、旨いもん食ってるだけあって糞も絶品だった。人糞なんて滅多にお目にかかることはないから、あれは貴重な体験だった。ハエ美も……って、熱い! 熱い! さようなら皆。スピードを追い求めることにはキリがない。身の破滅に繋がるってことを伝えたかった……。熱い! 熱…………
「なあ、ハエ美」
「なあに、ハエ作」
「昨日、『ザ・フライ』って映画観たんだよ」
「え~なにそれ」
「瞬間移動装置に入った人間がたまたま一緒に入ってしまったハエと同化して、ハエ人間になる映画なんだけどな」
「なにそれウケる~」
「瞬間移動なんてして何になるんだよ。スピードなんていくら追い求めてもキリがないし、禄なことにはならない。こうやってゆっくり生きるのが一番さ」
「そうよね~。あっ、ウンコよ。食べに行きましょう」
「おっ、できたてだな。スピードで思い出したけどさあ、昔、電車の窓に止まってるだけなのに自分が飛んでると思いこんでた奴がいたなあ。バカだったなあ、あいつ。元気にしてんのかなあ」
働きたくないんです。