地球の未来のために
「地球の未来のために」
という文言を見つけた。
太陽光パネル場にある企業の看板だった。
「ほれ、私たち企業は地球のために太陽光を売ってますよ。どうだい?」てなモンだろう。
しかし、元々そこは木々が鬱蒼と生い茂る、フィトンチッドたっぷりの緑豊かな土地であった。昔はよくカブトムシを取りに行って死ぬほど蚊に咬まれた思い出の土地でもある。
そこが綺麗に伐採され、太陽光を受けながらテラテラと光るパネルがところ狭しと並べられている。
そして、「地球の未来のため」と書かれた看板がドヤ顔で貼りつけてある。
…………
ふーむ。
なんだかなぁ。
たしかに原子力や火力に頼らず自然エネルギーで発言するのは良いことだから、長期的に見たらそりゃ地球には良いかもしれない。
しかし、その地球のために平気で大量の木々を伐採してしまうその行動にどうも矛盾を感じてしまう。ジャイアンがのび太をドツきながら「暴力反対」と言ってるのと同じことじゃないか。
今至る所、太陽光パネルだらけだが、それは政府が「発言した電気を買い取る」みたいなことでちょっと前、各企業が大量設置したもの。
長期的に見たら「地球にやさしい」、ではなく、「儲けが出る」から設置されたのだ。
自分の資本を増やすために、木々を伐採するような企業が地球の未来を考えているワケがない。
私の故郷も太陽光パネルだらけの気持ちの悪い景観になってしまった。
これを見ると資本主義と環境問題というのは相いれないモノなのだなあと実感する。
「エコ」だの「クリーンエネルギー」だのとよく言ってるが、それは環境意識が高くなった我々に利用してほしいから。言わば「儲かるから」である。
温暖化も進んでいるが、巷では「地球が温かくなる周期に入ってるんでしょ」という声もよく耳にする。地球温暖化なんてデマだと言う人が結構いる。
しかし、温暖化は実際に進んでいる。「地球温暖化はデマだ」という意見こそがデマであり、広めたのは二酸化炭素を出さないと儲けが出せないどこぞの企業だ。その辺はアル・ゴアの『不都合な真実』を観てください。
現代において、一番大切なのは資本(GDP)の増大であり、それさえ成されれば地球の未来など知ったことではない。
これこそ現代人の考えである。
人間の欲がある以上、環境問題は絶対に解決しない。
太陽光パネルを見て「地球のためになってるなあ」なんて思ってはいけない。それは「金の成る木」であり、「欲望の塊」である。
欲望を押さえるのは人間には無理みたいだ。
そう考えると、人間という欲望丸出しの生き物が誕生した時点で、地球の未来は決まっていたのかもしれない。