お金がないと健康になる
お金がないと健康を害す。
こんなイメージがあるかもしれない。
しかし、手取り11万の私は、「その逆だ」と胸を張って言いたい。
「腹八分目が健康に良い」と言われる。最近は「六分目はもっと良い」とも。
生活習慣病は食生活の悪さが原因。要は食べ過ぎなのだ。
たしかに街を歩いているとそこらかしこにレストラン、ラーメン屋、カフェ、コンビニ。そのすべてにおいしい食べ物が用意されている。
食欲というのは人間の三代欲求の一つだから、これらの欲望に抗うのは非常に困難だ。対抗できるのは自分の強い意志、そして「お金の無さ」。
そう、お金がないとこれらの誘惑に負けずに済む。自分の意志が誘惑に勝っているというか、誘惑すら起こらない。だって金ないから食べられないんだもん。
ところが金があれば、どうなるだろう。
私は現在、貧困生活を送っているが、以前はサラリーマンの平均月収以上はもらっていた。
金がある、という状態は「誘惑が増える」ということ。これはどれだけ強い意志を持っていたとしても、間違いなく起こる。
大阪を歩いていると旨そうな食べ物屋さんばかり。仕事帰りなどは疲れていて意志力もゼロだ。「誘惑にかられているから、ここは我慢だ」という考えなど起こる気配すらなく、定食屋に入る。そして酒を飲む。
金がある状態では、意志という存在すらなくなる。「健康のために我慢するか」という選択肢が出てこないのだ。お金がありすぎるとまさにお金が導くまま、どこへでも、なんでもしてしまう。
こんな飽食生活を送っていれば当然、健康を害す。健康診断を受けると、「再検査」も増える。薬を処方される。
金があるのはよいことだとされている。たしかにあちこちでちやほやされたりする。
しかし、同時に資本主義が仕掛けてくる数々の誘惑に打ち勝つことが困難になる。
食べ過ぎる(金がかかる)
↓
健康に気をつかう(なぜかジムやヨガに通う。これまた金がかかる)
↓
それでも食べるから、病気になる(医療代がかかる)
↓
やっぱり食べ過ぎる(さらに金がかかる)
という風にこの世の中は誘惑を増やすことで、民衆から金を巻き上げるという仕組みになっている。これが資本主義というもの。
この魔のサイクルから抜け出す方法、それが「金がない」状態に自分を置く、ということなのだ。
金がないと誘惑すら起こらないから、意志力を必要としない。意志力は消耗するものらしいので、誘惑がないと意志力を節約できる。
街を歩いているだけで意志力が消耗していく。金があるということは、毒状態になっているようなものだ。資本家が仕掛ける罠に抗うには意志力の保持が絶対必要だから、これはなかなか不利だと思う。
だから金がないことは大変有利なのだ。金がある人を見ると「我慢するの、大変だろうなあ」とかわいそうになってくる。
金を稼ぐのは大変。我慢するのも大変。
なんたることだろうか。金があるってだけで余計な力を使ってしまうことになる。
金がないのはいいぞ。空腹時、ラーメン屋の前を通りかかっても、なんとも思わない。「金ねえから食えねえよ」自分の中に葛藤は起こらない。
非常に楽だ。自炊するから体にもいい。
ということで、金がないと健康になる、という理屈が成立する。はい、証明終了。
屁理屈にも見えるが、まあいい。これでお金がない人に勇気を与えることができたら、これほど良いことはない。
金がないのはいいことですぞ。
実際貧困層の方が健康を害しているらしいが、要は気持ちの持ちよう。金のない方が健康を維持するには有利だと思います。