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究極の“おとく”

取材先からの途中、地下鉄駅構内で見かけた一枚の広告。日ごろの問題意識からでしょうか、多くの広告が並ぶなか、その一枚が鮮やかに目に飛び込んできました。

6歳の男の子がママに贈った一編の詩が書かれていました。タイトルは「おとく」です。

ママ  いつでも
ぼくのこと
ギューってしていいよ
ぼくはあったかいから
さむいひは
おとくだよ

大好きなママへのあふれるほどの愛情を「好き」という言葉を使わずに、いえ、使う以上に言い表している点がみごとですね。漱石が英語教師をしていたとき、ある生徒が「アイ ラヴ ユー」を「我君を愛す」と訳したのを「月が綺麗ですね」と改めたというエピソードを思いだしました。

さて、“おとく”に戻りましょう。“おとく”は、または“お値打ち”といい、標準以上の価値を提供されたときの受け手の心の在りようを言います。商人の務めは、何よりここにあります。

あなたはお得をお客さまに伝えるとき、こう言っていませんか? 「安くて“おとく”だよ」と。

“おとく”とは、単に品質に対する価格の安さという即物的な要件のみで成り立つものではありません。あなた商いにある、未来につながる価値であったり、社会的貢献であったり、倫理の正しさであったり、人とひとのつながりであったりと本来“おとく”は多様で奥の深いものであるはずです。

商業界草創期の指導者の一人、岡田徹は商人に向けて多くの詩を遺しましたが、次の一編もその一つです。そこに私は、6歳の男の子による詩と同じ深さを見るのです。

お客は
買物を通じ
あなたの
人間としての美しさを
常にもとめる
商売は
み仏の道 尊い哉

究極の“おとく”とは、あなたの「人間としての美しさ」。商いとはそれを表現するなりわいである、と岡田は伝えようとしたのでしょう。

ぜひ、あなたならではの“おとく”をお客さまに伝えてください。繁昌はその道の先で、あなたを待っています。

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