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居酒屋ノート

東京・新橋はサラリーマンの聖地。その繁華街のとあるビルの地下一階、それも出入り口から一番奥まった場所に、その店はあります。けっして良い立地とは言えない同店ですが、いつもにぎわう新橋有数の繁昌店として知られています。

1987年創業、福岡・久留米出身の店主による九州郷土料理の店「有薫酒蔵(ゆうくんさかぐら)」は、その店名よりも「居酒屋ノートの店」と言ったほうが有名です。小さなお店の“経営ドクター”こと島村信仁さんと訪れたときのことです。

高校よせがきノート(別名   新橋の居酒屋ノート)が始まったのは1987年7月4日、第一号は福岡県久留米大学付属高校の一冊でした。いつもカウンターの入り口に近い端に座る常連客のために寄せ書きノートをつくったのが始まりです。

「うちの高校のノートも置いてほしい」というお客さんの声に応えているうちにノートは増え続け、10年で50冊と穏やかな増え方でしたが、20年で650冊、なんと今では3249冊という圧倒的な存在感を誇ります。

「そのためにこれまで、ボトルキープ用の棚を潰し、テーブルを二つ撤去しました。夫である店主からは途中何度も『もう勘弁してくれ』と言われましたよ(笑)」と語るのは、ノートを管理する女将の松永洋子さん。


棚に並ぶファイルの背に触れながら、彼女は続けます。「でもね、会社で頑張っている皆さんが、出身高校のノートに目を通し、書き込んでいるときは、まるで少年の頃に戻ったようなお顔をして、感慨にふけっていらっしゃる。それにノートを通じて旧交を温めるお客様も少なくありません。だから、やめられなくって……。しっかり続けていきたいですね」。

私も女将に頼んで出身高校のノートを出してもらいました。なんと、ちょうど一冊目の最終ページ。同期の仲間の書き込みはありませんでしたが、全員があの校舎で学び、あの校庭を走った同窓かと思うと、あの頃にタイムスリップしたかのようです。

居酒屋ノートはまさにタイムマシン。二冊目の最初のページに記すであろう、まだ見ぬ同窓にバトンを渡すつもりでペンを走らせました。居酒屋ノートーーそれは女将のお客さんを思う真心がこもったプライスレスなサービスです。

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