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最強の素人集団

地域に住む人のお手伝いをすること。
みんなが仲良くすること。

この二つを指標に、経営目標も販売計画もなく、高い実績を上げてきたのが鹿児島県の「A-Zスーパーセンター」です。誰もが信じなかった過疎地での大型店運営を可能にしたのは何だったのでしょうか?

売上目標もない異色の経営

鹿児島湾の北、一番奥まった湾岸沿いを、桜島を右手に見ながら国道10号線を走らせていくと、やがて巨大な商業施設が現れます。A-Zはやと――鹿児島県阿久根市に本社を置くマキオが運営するスーパーセンターの第3号店です。

ワンフロア3万平方メートルという広大なす売場で展開されるのは、生鮮品をはじめとする食品類、生活雑貨や衣料品、家具、家電などの大型商品、薬、木材や資材、工具、DIYなど究極の総合品揃えです。売場には神棚や仏壇だってあり、店の東側には自動車販売専用のスペースがあり、車検を行うカーピットも備えています。

A-Zの名のとおり、生活に必要な物をすべて揃えようと、品目数は38万点、同規模のGMSのざっと3倍はあります。売上げや利益の目標がないこともA-Zの大きな特徴です。
販売計画も持たず、当然、各売場にノルマもありません。

その方針で会社を運営してきた牧尾英二社長は、業界では異端児扱いされてきました。ただ、目指すところははっきりしています。一つには地域の生活者のためにお手伝いをすること。もう一つはお客さまとはもちろん、従業員どうしでも仲良くすること。この2点だけです。

しかし、会社がそれを具体化するわけではなく、マニュアルもありません。従来の小売業としてあるべきものがなく、やるべきことをやっていないA-Zは、これまで誰もがその業績に目を見張りつつも、「非常識な経営」「異端の経営」と見られてきました。

地元の暮らしに貢献する信念

管理もせず、いったいどうすればこんな実績が可能なのでしょうか。牧尾社長が同社の経営を任されたときにさかのぼったとき、その秘密に近づくことができました。

牧尾社長が東京から故郷の鹿児島へ戻ってきたの1982年のこと。弟さんの立ち上げたホームセンターが窮地に陥り、それを助けるためでした。

苦心の末にホームセンターは軌道に乗せますが、そのころ見えてきたのが、故郷の小売業の勝手な振る舞いでした。食品スーパーの品揃えは少なく、しかも高い。従業員の態度は横柄、そもそも近代的なチェーン店は過疎地ということで近づこうともしませんでした。

もとからあった店はどんどん衰退していき、商品もサービスも低下していきます。最たる被害者がそこに住む人たちでした。

1号店を出店した阿久根市は当時人口2万7000人。人口は減り続け、しかも65歳以上の高齢者が人口の3分の1を占める典型的な過疎地でした。

1万平方メートルを超えるスーパーセンターをつくるには10倍の人口がいるというのが“常識”でした。「絶対に失敗する」と銀行も同業者も冷笑したそうです。

だが、牧尾社長はあきらめませんでした。地元の人は毎日の買い物に困っています。一カ所で何でも揃う店を待ち望んでいました。

その信念でオープンにこぎつけると、その正しさが証明されました。成功要因の一つは、この地元に住む人に貢献するという信念です。

「素人」の強さを持ち続ける

A-Zを表する時、「非常識」「型破り」のほかにもう一つよく「素人集団」という言葉が使われます。A-Zの成功を可能にしたもう一つの要素がこの「素人」の自覚にあります。

1号店オープン時は「絶対につぶれる」と言われたこともあり、店舗運営に長けた人材は集まりませんでした。やむなく小売には素人だけで対応せざるを得ませんでしたが、返ってそれが幸いしました。

何も知らない素人たちだったから、常識にとらわれない目を見張る売場をつくることができたのです。小売の玄人たちがいて、売上目標をつくったり、運営効率を上げようと考えたならば、顧客が望んだものはすべて揃えるという方針も形にはならなかったでしょう。目標達成のためならば、安売りで売上げを上げたり、まったく売れない商品を排除するなどせざるを得なかったでしょう。

しかし、A-Zにはそもそも目標がありません。
顧客と毎日、触れている担当者の感覚を信じ、たとえ失敗の恐れがあっても、とにかく本人にやってもらいます。

うまく行けばよし、うまく行かなくてもその経験はすべて本人のものになります。従業員が自分で育っていくことが、この会社の特徴的な風土なのです。

自分たちを「素人集団」と呼び続けるのは、「素人」だからこそ向上し続けなければと自分たちを戒めるのと同時に、「素人」として常識や前例にとらわれずに、顧客のために何でも挑戦していく意欲を持ち続けようという決意でもあるのです。

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