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他を生かすことで己が生きる

「シナジーが見込めること、地元に貢献できること、そして何よりご縁があること。事業を承継する上で最も大切にしていることです」と語るのは、「千葉のおいしいを大切に」「何気ない日常を特別に」を事業理念として、食にまつわる千葉県特産品のおいしさを伝える諏訪商店(屋号「やます」)の諏訪寿一社長。

父である諏訪廣勝会長が1969年に製造卸売業として創業した同社は、2003年に寿一氏が代表取締役に就任後は小売部門を強化し、現在では「房の駅」の店名で14店舗を展開。さらに事業理念の追求を軸に製造業、農業、飲食業へと事業領域を拡大しています。


事業理念と一致しているか?
 
そんな諏訪社長のところへ、銀行経由で事業買収の相談持ち込まれたのは2016年4月のことでした。相手は、1848年(嘉永元年)創業、千葉県東金市で金山寺味噌をはじめとする麹発酵食品をつくり続ける小川屋味噌店。

金山寺味噌とは大豆、麦、米、野菜などからつくられるおかず味噌で、日本の醤油発祥の土地である和歌山、千葉の特産品として有名です。小川屋味噌店は搗精という製造初期段階から手掛ける老舗として、全国出荷量の3割近くのシェアを誇っています。

しかし、社長は当時87歳。甥の常務は71歳、娘のもう一人の常務も58歳と、経営陣の高齢化が進んでいました。しかも4期連続赤字と、自己資本比率は高いものの今後の事業継続が危ぶまれる状態にありました。諏訪商店にとって同社は長く取引をしてきた相手であり、諏訪社長の母の実家は東金市にあり、常務とは知らない仲ではありませんでした。

一方、諏訪商店は小売事業が軌道に乗り、あらためて製造部門の強化を模索していました。同社では干したり焼いたりというドライ加工は手掛けていましたが、煮たり炊いたりというウェット製造は未知の領域です。これまで同業の卸売企業を買収したことはありましたが、メーカーは未経験でした。

「しかも麹は日本古来の代表的食文化であり、高度な技術が要求されます。しかし、いちばん難しいことに挑戦したほうが後々は楽になるというのが私の信念。事業理念に従うならば、やらないという選択肢はありませんでした」と決断すると、およそ2カ月後の6月には売買契約を締結。一部の新聞では買収金額は1億円と報道されました。


自他が共に活かせるか?

 
諏訪商店の全額出資子会社として再出発した小川屋味噌店で諏訪社長真っ先に取り組んだのが、貸借対照表の見直しでした。長く事業をしていると船底に貝殻がこびりつくように、見逃しがちなムダや惰性的な仕事がはびこり船足を遅くするものです。不要不急の支出を見直し、整理・整頓と不要物処理により、新生1期目で出血は止まりました。
 
続いて従業員の給与待遇の改善を進めつつ、業務のIT化、製造工程の合理化を推進。これまでの単品大量生産から多品目少量生産へと舵を切り、多様化する顧客ニーズに合わせると損益計算書も改善されていきました。

諏訪商店が強みとするブランディング力、販売力が十分に生かされたことは言うまでもありません。「見返り美人図」がパッケージにデザインされた人気商品「甘酒美人」は、両社の強みが生かされた代表的商品の一つです。

「売上や企業規模を目的とするのではなく、相手と自社双方を生かすことを目的としたとき、M&Aによる事業承継は軌道に乗るのではないでしょうか」と語る諏訪社長がグループ総力で目指すのは、冒頭に紹介した同社の事業理念。ここから外れないことが成功の要因にほかなりません。

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