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ままごと『わたしの星』2019

素晴らしい舞台、最高の夏をありがとうございました!!!!!

今も耳に残るは蝉の鳴き声、波の音、そして集まっては別れゆく星々の関西弁です。

私の大好きな夏が帰ってきた。今度は三鷹を飛び出して大阪。劇団ままごとが高校生と共に作り上げる舞台『わたしの星』が、この2019年8月、大阪で上演された。私は『わたしの星』が大好きなので、大阪まで観に行ってきた。美味しいものもたくさん食べた。言葉をこねくり回すしかない自分は今回も感想を書きます。ちなみに前回の三鷹の感想ブログを読み返してみたら、長文過ぎて自分でも引いちゃったよね…。

ままごとの『わたしの星』はキャストもスタッフも現役の高校生で、大人はサポート役に徹している。この作品のいちばんの特徴は、人の別れをテーマにした作品のために集まった高校生達が一夏をかけて演劇を作り上げて、公演の終わり、即ち夏が終わると共に散り散りに別れるという、舞台上の別れと現実の別れが夏を背景に共鳴して、青春の刹那がオーバーフロー気味に詰め込まれているところにある。人気が出たからといってだらだらと活動を続けるようなこともない。絶対に終わる。ひとつの目的のために集まった高校生達は、再びそれぞれの人生を歩む。そこには眩しすぎる青春がある。まさにいつまでも青春の幻想を追いかけている青春ゾンビのような私のための作品だ。しかし今回の公演では、そんなゾンビの私を青く鋭い十字架が返り討ちしてきた。

物語は、遠い未来の地球の日本、人類のほとんどが火星に移住していて、暑い夏がずっと続いている地球の海沿いの高校が舞台だ。もうすぐ文化祭を控えた夏休みの最終日、その高校の生徒のスピカが火星に転校することになった。突然いなくなるスピカに戸惑う生徒達と、逆に火星から地球にやってきたヒカリという少女。生徒それぞれが悩みや苦しみを抱えて生きる中、文化祭はどうなるのか、というのが『わたしの星』の話の大筋だ。

ままごととして過去3回、三鷹で2回、台湾で1回上演してきて、私は台湾公演は観ていないけれど、三鷹での2回と大きく変わっていたのは、現代の女子高生の幽霊が舞台上を彷徨っている点だ。もう少し正確に記すと、2019年におそらく自ら命を絶った女子高生メイ、その幽霊が未来の学校を彷徨っている。過去にもモチーフとしての幽霊は出てきた。しかし、今回は実体としての(実体??)幽霊が出てきた。それまで未来の高校生しか出ていなかった話にメタ視点が入るようになった。

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私にとっての『わたしの星』初日は、16日昼公演だった。観終わって思ったのは、メイは私だということだった。観客は幽霊のメイと同じ視点で観ている。メイは私達の代わりとして舞台に立っている。それは観客の誰にとってもそうなのだが、私にとってはさらにもっと呪縛めいたものをメイに感じてしまった。メイは劇中、霊感のあるモモの問いに対して、高校生達をただ可愛いなと眺めているだけ、と答える。あれはまさに私だった。出来るだけ傍観者であろうとする意識。

自分の話になるが、私はアイドルが好きなので、舞台を観るよりもアイドルのライブに行くほうが多い。『わたしの星』の高校生達と同じぐらいの歳頃のアイドルをよく見る。最近のアイドル現場での私は、大勢のファンの中のひとりに埋没しようと、なるべく存在感のないファンでありたいと願っている。ただ美しいものを見ていたいだけだ。

そんな私が衝撃を受けたのが、今回の『わたしの星』の最後のシーンだった。

正直、最初は幽霊のメイが存在する理由がいまひとつわかっていなかった。それは幽霊のいなかった三鷹公演を観すぎた弊害かもしれない。それが最後の最後、モモの言葉によって幽霊がそこに存在する意味が生まれた。あの言葉でメイの輪郭がはっきりして、『わたしの星』を締めるメイの言葉に生命力が漲り、強く響いた。

私が虚を衝かれたのは、モモの「私達を眺めて楽しまないで」という言葉だ。必死に生きている私達を眺めて楽しまないで。過去の高校生のあなた達がなんとかしてくれたらこんなに悩んだり苦しんだりしないのに、と。モモはメイに向かって「あなた達」と言った。あの場にはメイしかいないのに複数形。そこで客席も全部、真夏みたいに明るく照らされていることに気付く。鈍感な私でも自分に向けられた言葉だなとわかった。

わかりやすいといえばわかりやすい。

最後のモモとメイのやりとりには2つの視点がある。未来のために今の私達がしっかり考えて生きなければいけない、ということと、大人は若者を軽々しく消費しないでほしい、ということだ。前者は同意しかないし、脚本演出の柴さんの今の心境がそうさせているのだろう。モモは、あなた達がしっかりしていれば私達は悩んだり苦しんだりしていないと言う。それに対してメイは、私達次第で救われるかもしれない高校生達と返す。未来のために考えて生きるというのは理屈ではわかっている。しかし個人の現実としては、出来る限りのことはしているつもりだけど、自分が自分の面倒を見て今を生きていくのが精一杯なので、とても歯がゆい。モモの痛切な声は、あなたはこのままでいいのかと突きつけられた気分だ。

そして、後者の大人による若者の消費も、自分に重くのしかかってきた。アイドルファンは多かれ少なかれ考えたことがあるはずだし(ですよね!?)、そもそもこの作品自体が消費の構造を強く内包している。自傷行為のように、『わたしの星』を絶賛すればするほど、モモの言葉が突き刺さってくる。とは言いつつもだ。だいたい長くアイドルを見続けているとその辺りはうまく折り合いをつけているわけで、自分には今更という気持ちもある。オーディションで集まった高校生達は、誰かのためというより自分のためにここに立っている。その自主性を尊重することが大事であり、ならば慎み深く見つめるのは許されるのではと自分は考えている。場所が大阪ということで甲子園が近いこともあり、青春の消費という視点で甲子園ファンはどう考えているのかなと思ったりもした。

これまでの『わたしの星』と同じ感じで観ていた自分は、最後、重いカウンターパンチを食らって空を見上げるしかなかった。青春が眩しい、感動をありがとう、みたいな単純なリアクションへの戒めがあの最後のメッセージにあった。どうでもいい作品のメッセージならどうでもいいと受け流せるけど、私は『わたしの星』が大好きなので、真面目に受け止めたい。私達は2019年のメイのように絶望してはいけない。最後、照りつける太陽がメイの影を濃くしていき、マストの影と重なったそれは十字架を想像させて、誰もいない未来を暗示しているようで不安だが、そこと対峙する勇気を与えるためのモモとメイの言葉だと信じる。

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最後のシーンに衝撃を受けたが、しかしそれでも『わたしの星』は『わたしの星』であった。アフタートークでは、高校生の今しか出来ないことだからオーディションに応募したと何人かが話していて、十代の夏をかけて踏む出した一歩が最終的に一等星のような輝きに達する様を体感してしまったら、彼らの勇気に尊敬するしかない。この感想ブログを書きながら終わりを悲しむ高校生達の文章を読み返していると、もっとちゃんと見ていれば、もっと真摯に向き合っていれば、と今更ながら悔やんでしまう。終演後にしっかり感想を伝えたりできればよかったけど、如何せん関係者の多い終演後ロビーで、しかもあの最後を観た後でそこまで強気になれないなと私は引いてしまった。好きになればなるほど、私はファンであり他人だと、一歩身を引いてしまう。

私は『わたしの星』が大好きだけど、自分がこの作品を好きだということがあちら側にあまり伝わってほしくない気持ちがある。そういう他者は気にしないで、自分自身のために舞台に立ってほしいと願っている。そう、本当に透明になりたい。全通ではないが今回もたくさん観た。観た回数なんて自己満足でしかないので別にいいのだけど、それだけ観ても終演後ロビーは素通りすることが多くて、演者に直接感想を伝えたのもほんの数回だけだ。そもそも観劇直後は胸いっぱいで言葉もまとまらないからうまく話せないし、だからこそこうやって時間を置いて感想を書いている。

でもブログを書いてもやっぱりだめなんだよなという思いもある。ブログではレスポンスが遅い。アンケートに感想をもっと丁寧に書いておけばよかったと今になって後悔したりもする。前は持ち帰って書いて、次の公演で渡していた記憶もある。瞬発力が試される場面ですぐに言葉が出てくる人が羨ましい。私は時間をかけて言葉をこねくりまわして結局漬物石みたいな重い文章しか生み出せない。

これも書いて公開すれば高校生達に届いてしまう。だけど正直言うと、読まなくても別にいいと思っているし(ここまで読ませておいて!!)、あくまでこれは自分の気持ちの整理であるから、もう本当にメイになりたいの。どう頑張っても私は傍観者だ。透明になりたい。でもそれは無責任だとモモは言う。私もそう思う。

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作品に話を戻す。

この『わたしの星』の高校がすごいのは、本物の学校ってこうですよね、という説得力が強いところだ。噂話に忙しい人がいて、片想いしている人がいて、友人関係に悩んでいる人がいる。側から見たら仲が良くなりそうにない人達も、そこが学校という場所だけで集まる。そして一致団結する。星と星が引力で惹かれ合うように、学校という小宇宙の中で近づいたそれぞれの輝きが混ざりあって、乱反射して、涙も星屑のように、すべてが眩く私の目に映る。最終的に、演者の高校生と役としての高校生が重なり合い、ひとりの高校生となって私の前に立ち現れる。それは一般的な演劇の見方とは違うかもしれない。しかし私は演技の中からどうしても滲み出てしまう役者の個性に惹かれてしまう。『わたしの星』はその魅力がとても大きく、私は役を透かして見えるリアルの高校生のきらめきに目を細める。

今回は、その個性がわかりやすいところだと関西弁の台詞があった。本作は大阪で高校生を集めて、大阪で上演した。従ってほとんどの高校生は関西弁を喋る。柴さんが標準語で書いた台本が、実際に演技されるときは彼らなりの自然な話し言葉、即ち関西弁に変わる。三鷹で慣れ親しんだ標準語の『わたしの星』が今回大阪でどんな雰囲気になるのだろうと思ったが、自分的には全く違和感がなかった。むしろ、スピカの「暑いなあ」や「何回言うねん」、サラの「笑わんといて」「もう会えへん」などなど、関西弁ならではの細やかな感情がいくつもあって、関西弁を好きになった。

みんな声が良いんですよ。艶のあるアイの声、時空を越えて真っ直ぐ届くメイの声や、すべてを愛おしむようなスピカの声。誰もが良い声を持っていた。

その素敵な声で、彼らは事あるごとに「あの頃」と歌う。未来のさらに未来から歌う。過去と未来の視線があの舞台を見つめている。今回はより時間が重層的に、複数の時間があの舞台の上で生きていた。それは時にメランコリックで、ピアニカとギターの音色と相まって、未来を懐かしむような不思議な感覚に陥る。

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学校としての本物らしさを生んでいるのは、その人選にあると思う。観終わった後に感じる、この12人しかあり得ないと思わせる奇跡のようなバランス。それは合宿を経た結果に違いない。初めて全員が顔を合わせたのは5月、淡路島での写真撮影のときだったという。初対面なのに、仲が良さそうに見える写真を撮られて不思議な感じだったと誰かは言っていて、今ならもっと違う雰囲気になるのではと話す彼らは、『わたしの星』を通してひとつになった強さがあった。

みんな強い。自分が弱いと思っている人も、私から見たら全員強い。2019年を生きる高校生はみんな強い。常に変わっていく世界で、必死に生きている。スピカは変わっていくのが怖かったと劇中泣きながら言った。SNSでもスピカは終わりを悲しんでいた。しかし変わらないものはないし、迷いそうになったときは、この作品のように人の引力が明るいほうへ導いてくれるはずだ。

こんな感じで、舞台を観ていたつもりがいつの間にか現実の高校生に思い入れを深めている。それが『わたしの星』のすごいところだ。観続けていくうちに、どんどん彼らの青春に引き込まれていった。

以下、個々の感想です。

ハンナ

皆をまとめるために仕方なく文化祭実行委員長などなどいろんな長をやっている3年生。『わたしの星』は過去3回公演しているが、出演する高校生によって台本や演出も変わっている。以前と同じ役というのは基本的にない。私にはスピカもヒカリも毎回違う。だけどハンナを見ていると、なんとなく昔のアヤネやヒビラナの面影が透けて感じられる。些細なところだけど、スカートの裾を両手でギュッと握る仕草がめっちゃヒビラナを思い出す。三者三様の個性は違うのに、その役回りの芯みたいなものが3人を真っ直ぐに繋いでいると私は感じる。そこに安心感がある。リーダー的ポジションだが、なりたくてなったわけではないハンナの人の良さは憎めないし、それは本人もそうらしいのだが、だからこそ弱音を吐く場面が真に迫る。福井から来て、劇中も福井弁らしいのだが、私には訛っているということしかわからない。ひとりで自己紹介するシーンでの声の抑揚、自分自身を前に押し出すように、彼女のリズムで押し出された声は、何故かヒップホップの響きが感じられてかっこよかった。

アスカ

困り気味の眉も、前髪も斜めなのに、発せられる言葉はど直球のストレートで、その純情さが眩しかった。いつも自分自身を納得させるように言葉を噛み締めながら話す彼女の、後ろ向きになってからもう一度前を向きなおしたような諦めない気持ちが胸を打つ。悲しい真実を告げるように、やるせない顔で言う「うちらはみんなバラバラやねん」には、人を結び付ける力があった。彼女が側にいるハンナが羨ましいし、弱音を吐くハンナを説得するアスカがとにかく凛々しい。あんな言葉は高校生にしか言えない。というか高校生の演劇でしか言えない。眩しすぎて、虚構の世界に輝く唯一真実のミラーボールは、この瞬間のアスカの真上にあった。頑張っているハンナを見て頑張ろうとするアスカがハンナを励ます相補的な関係は、これこそが友情だ。本人は強くないと言っているけど、彼女の想像している強さを超えたところでアスカは強いよ、と言いたい。あと、ロビーの展示には合宿中にカラオケに行って昭和アイドルの曲を歌ったと書かれていて、何を歌ったのか聞いてみたら中森明菜斉藤由貴などめちゃくちゃ自分好みだったのでいつかこっそり聞かせてください。

アイ

アフタートークで本物の石橋あいりはこんなキツい言葉を言いませんと必死に言い訳していたのが面白かった。客席に対して横を向いている時間が長いので、私もアイの横顔をずっと見続けていたけど、鼻梁の曲線が恐ろしく美しいですよね。アフタートークでは面倒見がいいと言われていて、物語でも妹のナナに対して姉らしい屈折した愛があって、やっぱりアイは愛のアイなのかとグッとくる。基本的にクールな役回りで醒めたことしか言わない彼女が、文化祭に参加してほしいとヒカリにお願いする場面は、何度も観てわかっていてもグッとくる。地球で生きるしかないと、半ば諦めに似た気持ちの彼女が、それでも前を向こうとした瞬間の一歩に、私は彼女の変化を感じて、背中を押したくなった。千穐楽が近くなったらお願いする声も震えてきて、こちらの涙腺もやばかった。結局、アイは勉強出来ないのかどうなのかはわからず仕舞い。でもね、高校の読書感想文で『ぐりとぐら』はないと思う。

ハルト

マイケル・ジャクソンに心酔している生き方が純情すぎて、しかしこれを単純に若さで片付けたくない気持ちもある。写真で初めて見たときは、誰にでも好かれそうなクラスの人気者っぽい男子だなと思ったけど、舞台を観たら即印象が変わった。エキセントリック過ぎる。アフタートークによると、稽古のときからやばかったらしい。ナナとハルトのエチュード見たかったな。しかも日に日にやばくなっているらしい(終わった今も!?)。高校生の彼らは常に成長していて、その成長を感じられるのもこの作品の良さと、柴さんも言っていた。私も公演を繰り返し観ながら、12人の輝きが増していくのを実感した。中でも特にハルトのMJ狂いっぷりが、公演を重ねる毎に完璧になっていき、ダンスもどんどんかっこよくなって、こうやって役が身体に染み込んでいくのかと、見守るように観ていた。しかし熱狂的なハルトも、フワの告白を受けて、自分の衝動で手一杯と答えられる冷静さを持っていて、その一瞬一歩引いて自分を見つめることが出来るハルトがとても大人に見えた。

サラ

自分はスピカも好きだけど、スピカにコンプレックスを抱いている彼女の幼馴染に私はいつもスピカ以上に惹かれる。ナナホも、ヒナコも、そしてサラもだ。今回サラの関西弁が、彼女とスピカの関係をよりリアルに感じさせた。二人の関西弁の会話は、関東の人がイメージするいかにも大阪の下町という雰囲気で好きだ。自分が小さかった頃から柴さんは知っていたのではないかと驚いたほど、役のサラは本物のサラにそっくりだそうだ。だからこそサラの言動には嘘がないように見える。私は、サラの言葉を発するタイミング、一音目の響きの心地良さが大好きだ。ダンスは苦手と言っていたが、発声のタイミング、会話のリズム感が素晴らしく、これが大阪という土地柄なのだろうか。たまに彼女が見せる中途半端に前後へずれた両足は、重心が覚束なくて不安になるが、直後に何かを言おうとするときは、まず足を揃えていて、その律儀さが私は好きだ。その真面目な一面がよく出ている最後のトマトのシーンは、この作品の中で最も好きなシーンだ。あの二人の間合いが素晴らしい。近づきすぎず、遠すぎず、連星のような二人。笑いながら呟く「笑わんといて」の平和すぎる響きに毎回泣き笑いの気持ちになった。だけど離れてしまう二人。宇宙を越えて届かせようとするかのように強く叫びあうさようならは、2年前も5年前も何回も聞いているのに、今この瞬間こそが本当の別れという切実さがあって、ただ二人を見つめるだけになってしまう。

スピカ

どうも彼女のことをユリと名前を間違えそうになる(ゆりさんなので)。佇まいが凛としていて、所作が綺麗ですよね。そしてサラを見つめる眼差しの優しさが好きです。稽古記録にも書かれている通り、スピカはサラに母性を抱いていて、それが様々な場面で垣間見れる。火星に行くことで子離れ出来て、対等の友人関係になれたのかなと思う。だけど演技を離れてロビーで話したときも眼差しは優しくて、そこで耳にした関西弁の柔らかさに、ますます彼女を好きになった。スピカは『わたしの星』に欠かせない重要な役だ。しかし、『わたしの星』は全員が主人公でもある。アフタートークではその辺りの自分の立ち振る舞いに悩んでいたとゆりさんは話していて、そのとき柴さんからスピカを主人公として芝居していいと言われたことが印象に残っていると答えていた。主人公といっても、スピカが舞台上にいる場面は実は少ない。だけどとても印象に残っている。遠くを見つめる濡れた瞳や、心の奥底から絞り出すような切実な声は、どれだけ遠くなっても時間が過ぎ去っても忘れられないものがあることを伝えてくれる。皆で抱き合った後に毎回笑いながら涙を拭う彼女を見ながら、そんなに情に脆いスピカなんやねん、好きになるしかないやろ、と毎回思った。人を感動させるためには泣いてはだめとは嗣永桃子プロの金言だけど、スピカの涙、震える声を目の前で体験すると、いややっぱ感動するわとなってしまう。こればかりはしゃあない(これを観るとめっちゃエセ関西弁で話したくなる)。

ヒカリ

『わたしの星』の特徴のひとつとして、役が演者本人に近い当て書きを採用している点がある。柴さんも稽古期間を通じて演者を見続けて、彼らの性格を台本に取り入れていることを公言している。今回だとサラは素のサラとほとんど同じで、サラはその役のあまりの似すぎにびっくりしたという。しかし、今回は敢えてなのか、演者と役の性格が離れている人が多い。中でもその乖離が特に大きいのがヒカリだそうだ。もともと以前からヒカリはその傾向が強い役ではあったが、今回ヒカリ役の山下さんはその辺りを苦しんだようだ(以前の演者はどうだったのだろうか)。しかし、私にはヒカリは火星に咲いた一輪の花のようでとても美しく、その存在は地球でもドラマチックに輝いて見えた。彼女はミュージカル女優のようでスポットライトが似合っていた。彼女の存在感が、物語を袋小路に迷い込ませないよう真っ直ぐに道を照らしていた。それは北極星のようでもあった。スピカを説得しようとして失敗した後、未来のヒカリが過去と現在の変化について独白する。その独白の直前に、ヒカリは乱れた両足を丁寧に揃える。その後に続く独白のシーンも印象的だが、あの両足が揃う瞬間にいつもハッとしてしまう。それは次に来る台詞がわかっているからだけど、バランスが整ってスッと伸びた背筋に、ヒカリなりの生きることへの必死さを感じて泣きそうになる。これまでのヒカリは、観客と未来の地球の高校生の橋渡し的な役回りで、観客は彼女を通して未来の世界を知っていった。しかし、今回は2019年の幽霊のメイがいるので、彼女は完全に未来側の人間になっていた。さらに、身体が弱いと言いつつも、生命力に溢れたヒカリだった。自己主張も強くて、前回までどちらかというと受け身の存在というイメージがヒカリにあったので、表情豊かなヒカリは新鮮だった。劇中劇のヒカリは全身で雄弁に語り、叫ばれる「生・き・て・い・た!」は彼女のすべてが込められていて、こちらも力むぐらい最高だった。最後のサラとのシーンなどでの、関東の人間からしたら上品に聞こえる関西弁は果たして山下さん自身の言葉なのか。私はタイミングが合わず、終演後の彼女に感想を伝えられなかったのが心残りだ。

メイ

難しい役ですよね。そして寂しい。2019年の女子高生の幽霊はひとりぼっちだ。アフタートークで、他の役なら誰をやりたいかという質問に対して、メイはサラと答えていた。スピカと関係を持ちたい、幽霊役で基本誰とも絡まないのでとにかく誰かと関係を築ける役がやりたいと言っていたメイの切なさよ。しかし舞台の端から高校生達の青春を眺めている彼女は、孤独の中にも、楽しんでいる感じがして、それは救われた。ずっとピアニカを弾き続けて、今回の『わたしの星』はメイのピアニカと共にあった。いい音色だった。出オチといったら申し訳ないけど、私はこの舞台の冒頭で高校生の流行りについて話す彼女が大好きだ。毎回ネタが変わって、それは2019年現在の流行りだけど、何故か懐かしくなる。そしてすべてが終わって、挨拶のために出てきた高校生達を迎え入れるメイが、走り寄ってきたナナと固く握り締めるようなハイタッチを交わすのが青春すぎて、毎公演泣きそうになった。

モモ

寺生まれの霊感少女モモ。字面だけだとラノベに出てきそう…。私はピアニカJKの怪談が大好きなんですよ。毎回ネタが変わっているのでリピーターだからこその楽しみではあるのだけど。回を重ねるにつれてシュール度合いが増していき、だんだんとピアニカに人格が宿っていって、最終的にこのピアニカとJKの二人で同人誌作れるのではないかと思ってしまった。得意げに怪談を話すモモも良かったし、そのときだけ素の表情が一瞬垣間見れる聞き手側の生徒も良かった。本人に聞いてみたら自分で話を考えているらしく、あの公演回数の分だけ考えるのは本当にすごい。発する言葉が少ない役だけど、それでも考えて必死に生きていることが証明される最後のシーンは、やはりモモじゃなきゃだめなんですよ。ヒヨコみたいに沈黙を知らないヒヨの呼びかけにはいつも片言で返すモモが、最後の最後に一晩熟成させた叫びを発する重みにやられた。あと、濱田英明氏が撮った除霊ポーズのモモが阿波踊りを想起させて、それが2014年のカホさんを思い出させるというのは完全におまけ。

ヒヨ

少女漫画によくいる(いるのだろうか??)、主人公の周りで喧しく噂話に励むクラスメイトというイメージがぴったり。アフタートークでは舞台は緊張しないと言っていてすごいなと思ったが、それでも千穐楽が近付くにつれて感情の高まる場面が増えていったのが印象的だった。演劇経験があることで柴さんにも信頼されていたらしい。演奏シーンではフルートを担当していて、フルートによって音楽に奥行きが出ていて素晴らしかった。フワのシーンのフルートがフワの孤独をより透きとおらせていて、ヒヨのフルートとフワの歩みは、遠く天の川を散歩しているようだった。最後、ダンスの練習のために皆で輪になって沈黙する。静かだけど10人の視線はたくさんのことを物語っている。その輪になったときのヒヨの、涙を堪えながらも皆を見つめる眼差しがとても良い。というかあの場面は全員超最高なんですが。この瞬間がずっと終わらないでほしいと願いながら観ていた。あと、ヒヨは埼玉から参加しているということで、その覚悟に痺れる。アフタートークで『わたしの星』を知ったきっかけは何かと聞かれて、彼女はロロの公演を観に行ったときのチラシでと答えていて、なるほどもともと演劇が好きなのねと合点がいったし、私もロロ好きです。

ナナ

いつも先陣をきって、この高校の先頭を走っている人。姉のアイを追いかけて走るときに描くカーブの美しさがさすが陸上部だった。何度も観て慣れたからかもしれないけど、この二人が本物の姉妹のような錯覚に陥る。背丈もちょうど同じぐらいで、二人並んで立つと、なるほどこういう姉妹おるわという納得感がある。それぞれの相手への愛情をうまく伝えられない姉妹の不器用な距離感が愛おしい。アイと取っ組み合うシーンは、二人が彫刻みたいなシルエットで、姉妹はどうやっても離れられないことを示しているようだった。姉妹揃って火星に行ければいいのにね。でもいつかみんな離ればなれになるのだろうな。あの頃はみんな若かったねと二人笑える日が来てほしい。合宿が楽しかったとアフタートークで言っていて、ダンスがうるさくて柴さんが寝れずに困った話が最高だった。

フワ

フワの低く落ち着いた声が私は好きだ。冷静なツッコミ役も務めて、イメージしやすいキャラクターというか、だからこそ本人と役が結構離れているんじゃないかと想像したりもする。フワはハルトのどこが好きなんだろうと、その理由の部分があまり語られてなくていろいろ考えてしまった(それを言ったら他の人もそうだけど)。MJに一途な彼が好きなのだとしたら、もし彼が振り向いてくれたときにその魅力は半減しないのかなと思ってしまう。

このツイートを読んだ後だと、演奏シーンでの一途さを思い出して、寄せ返す波のように再びグッとくる。指揮するハルトをほとんど誰も見ていないのに、ひとり目を逸らしたらハルトが消えてしまうんじゃないかと思わんばかりに直視するフワは切なく美しい。逆にハルトのダンスシーンではドラムを一心不乱に叩く姿の気迫に最高にかっこよかった。

スタッフ

今回は以前と比べても高校生スタッフの裁量が大きかったように思う。SNSも高校生が運用していて、ツイッターのいいねの速いこと笑。前回と同じく稽古記録もつけていて、中でも私は温井さんの書く字が好きです。ロビーに展示していたインスタっぽい写真も、ついてるいいねのアカウント名に遊び心があって面白かった。スタッフにもひとり男子がいて、その子が千穐楽後のロビーで泣き始めたのにはちょっと感動。めっちゃいい子やん。アフタートークでのスタッフの話を聞くと、読売テレビの仕事として取り組んでいると話す人がいたり、そのプロ意識がすごかった。すごかったといえば、これは関わる全ての高校生に言えることだけど、皆しっかりしすぎなほどしっかりしていた。大勢のお客さんの前で堂々と受け答えできる高校生の皆さんが本当に頼もしい。こちらが想像している以上に忙しく大変だったと思うけど、こうやって舞台を絶賛出来るのも裏方が頑張っているおかげなので、本当にお疲れ様でした。

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千穐楽は皆の感情が限界まで昂ぶっていて、それはそれで観続けていた自分のような者には堪らなかった。しかしどの公演が良かったか選ぶとしたら、千穐楽前日の公演、昼も素晴らしかったけど特に夜公演が圧倒的に素晴らしかった。もう明日には終わるという切なさ寂しさを追い風にして、集中力とテンションが美しく調和した舞台は感動しっぱなしだった。劇中劇のサラとスピカの交互に歌われるフレーズを一音も聴き逃すまいと、私も涙ぐみながら耳を澄ませた。

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大阪を去る最後に、素晴らしいシーンが私を待っていた。千穐楽が終わった後、帰ろうとする私達をスピカは会場出口まで見送ってくれた。そのときスピカは笑いながら愛嬌のある声で言った、「じゃあね、バイバイ」と。劇中サラと別れるときの最後の言葉を言った。また会うことがあるのかわからない、スピカとの別れ。あの瞬間、そこにいたのは本当にスピカだった。胸いっぱいのまま、私は東京に帰った。

本当に素晴らしい舞台でした。大阪まで行ってよかった。記憶の中の関西弁が既に懐かしい。みんな大好きだ。この夏は最高の夏だったけど、未来にはもっと最高の瞬間が待っているはず。ここはまだ通過点。あなた達の未来がもっと輝かしいものでありますように。その未来のためにも私は生きる。素晴らしい夏をありがとうございました。


星に引力があるように人にもきっと引力がある。

たとえどれだけ離れても、あなたはずっとわたしの星。




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