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avandonedについて

avandonedというアイドルグループを好きになりかけている。いや、好きなのだが、自分の好きという気持ちをどこまで信じていいのか不安がある。

前身?のあヴぁんだんどは名前だけは知っていた。2人で活動していた頃に対バンで一度だけ見たこともある。激しく踊る2人の汗が眩しかった。こたおさんが抜け、新メンバーを追加してavandonedと改名したこともなんとなく伝え聞いたくらいで、特に気にも留めなかった。荒川ちかさんがディレクションしたことで知った『マーガレット』のMVを見たときも、良いMVだなと思ったけど、小さい現場のアイドルはその頃の自分には食傷気味で、ライブに行くまでは至らなかった。

そんなこんなで2019年9月、たまたま出雲にっきさんという方のnoteを読んだ。近所の猫の話。彼女の心と書く文章の距離感が程良い温度で、読んでいて心地良かった。ぴったりと肌に密着しているのでもなく、サイズの合わないドレスのようでもなく、休日の午前中の部屋着のような温もり。私は他人の日記を読むのが好きなのだけど(自分も書いているけど公開してません)、彼女の日記はここ最近でいちばんお気に入りと思える日記だった。あとお花を頂いた話も好き。お花贈りたい。


出雲にっきさんはavandonedのメンバーらしい。なるほどと、『マーガレット』のMVが頭に浮かんだ。MVを再度見てみたら、以前よりもグッと曲に惹かれた。日記を読んだだけでこんなに印象が変わるのかと驚いた。これは引き寄せられていると感じた。しかもちょうどワンマンライブが開かれるらしい。自分でも驚くぐらい軽いフットワークでチケットを買って、初めてavandonedを見た。数年ぶりに入った高円寺HIGHの、前方の激しい盛り上がり越しに見たavandonedは真っ白い雲のようにふわりふわりと光っていた。

『マーガレット』しか知らなかったにも関わらず、ずっと好きな音が流れているように感じた。好きかもしれないと思った。

それからタイミングが合えばライブを見に行った。とはいってもまだ数回だ。

きっかけは出雲にっきさんだが、ライブを見ると全員を好きになってくる。メンバーそれぞれについては、まだまだ全然知らない。それでもワンマンライブで初めて見たとき、メンバーそれぞれ個性が際立っているなと感じた。グループアイドルはどこもそうだよと言われればそうだけど、私の好きなグループは、個々のバラバラな糸が綺麗に縒り合わさって一編の光る物語になっていると感じる瞬間がある。avandonedにもその気配があった。

何かに縛られることなく、その人自身がこうありたいと思う存在としてavandonedにいるように思えた。だからといって完全にバラバラでもない、調和のある雰囲気が宇佐蔵べにさんのリーダーシップによって生まれていて、そのふんわりまとまっている空気感が好きだ。

私はavandonedの曲のギター、コーラス、歌っている人のらしさがよく出るように構成されている歌割りとメロディーが大好きだ。欧米のインディーポップ風味のギターは泡沫の趣があり、そのステージからは『西瓜糖の日々』のような甘く儚い世界が感じられる。ライブ後にこの小説を思い出して久しぶりに読み返してみた。どちらも現実に向き合っているようで少しずれた世界にいて幻想的だ。しかし小説にあるような不穏さは、avandonedでは宇佐蔵べにさんの圧倒的な生への志向によってかき消されていて、その明るさがとても眩しい。

しかしavandonedを見始めてから、見る度にステージ上の人数が変わっている気がする。休むメンバー、辞めるメンバーが増えた。これを書いている今、最後に見たライブは4人で、12月31日に真戸しずくさんがグループから去る。

ライブは毎回楽しい。しかしそれはオタク3日目の熱量だからということもわかっていて、現に人が減り続けているグループを見ながら、こう無邪気に楽しいと言っていいのだろうかという思いもある。私が最高だと思いながら見ていたのは、陰り始めた光だったのだろうか。太陽は見る場所によって朝の太陽にも夕方の太陽にもなる。私がステージに見た朝日のような眩しさは、彼女達にとっては日の終わりの夕焼けだったのだろうか。わからない。

いつかの新宿MARZで見たとき、ステージ上で白いライトを浴びるavandonedが本当に輝いて見えた。顔の輪郭を照らすように白くきらめく光がダイヤモンドダストに見える瞬間があった。彼女達が舞うとさらに白いきらめきが吹雪いた。そのとき、この光に出会うためにアイドルを見ているのだと直感した。この光なんだよと、強く心の内で頷きながらずっと見つめていた。

見たいものしか見ようとしない自分が、avandonedに幻想を見ているのではないかという不安がある。avandonedが見せようとしているものと、私が見ているものが違うのではないか。だとしたら何が本当なのか。受け取る側がどう感じるか、だとはいえ、双方の波長は合っているのだろうか。わからない。

YouTubeに上がっている過去のライブ動画を見ながら、自分は出会うのが遅かったのかなと思ったりもするけれど、こればかりはタイミングだから仕方ないし、今という時間を生きている人に申し訳ないと、自分ももっと今と向き合わなければいけない。大切なものは目の前のステージにある。

今のところ、好きになりたてだから盲目だ。熱したばかりのフライパンはなんだって料理出来る。落ち着いたらどうなるのだろうと思う。落ち着くのかはわからない。幸せな気持ちのライブ終わりの帰り道、ライブ楽しかったありがとうと伝え忘れたことをいつも気付く。次こそは感謝の言葉をかけるのを忘れないように、再びライブハウスへの階段を降りる。そしてまた、あの冷たい冬の空気のような白い光に出会いたい。



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