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小さな宝石、岩田陽菜さんについて

ステージで歌い踊っているアイドルを見ていると、ふとした瞬間、別に特別でもなんでもない定番曲を歌っているとき、そのアイドルのこれまでの努力だったり涙だったりを想起し、彼女の人生が走馬灯のようにステージの今の彼女に重なるように見える瞬間がある。そういう映像表現を見慣れた弊害なのか、これが所謂感動というものなのかもしれない。若しくは使い古された言葉だとこれがエモいということなのだろう。

そう度々あることでもない。自分でも予想していなかったタイミングで、その感情は湧き起こる。久しぶりにそのような体験をしたので記録として残しておこうと思って、このブログを書いた。

2019年3月31日、STU48の2周年記念コンサートが開催されて、私は広島までそれを観に行った。これまでの活動の集大成となるコンサートで、素晴らしいものだった。その感想は別のエントリーに譲るとして、翌日4月1日、普通なら2周年コンサートお疲れ様の休息日としてもよさそうなところを、STU48はゲバントホールでいつもの陸上公演を行なった。ひどい過密スケジュールである。しかし運良く私は昼公演のチケットが当たったので、観られるならば観たいと前日に引き続いてSTU48を観た。

2周年コンサートの重圧から開放されたからか、いい意味で肩の力が抜けた公演だったように思う。特に自己紹介はエープリルフールということもあって皆嘘を交えた自己紹介を披露して、自分もずっと笑いっぱなしだった。その公演の後半の、どの曲かは忘れてしまったが、踊っている岩田陽菜さんを見ていたら、前述のような岩田陽菜さんのこれまでの努力の積み重ねによって今の彼女がいるイメージがステージ上の彼女に重なって見えて、込み上げるものがあった。それ以降、いつも以上に輝いて見える岩田陽菜さんがステージにいた。

輝いている人の影には必ず見えない努力があるものだけど、岩田陽菜さんも今に至るまで沢山の努力をしている、と私は信じている。

岩田陽菜さんはSTU48の中でも人気メンバーのひとりだ。私も以前から興味を持っていたので、『暗闇』の頃から何度か握手しに行っている。その『暗闇』では結構ショックな光景を見かけた。それまで生でSTU48を見たのは片手で数えられる程。主にメディアを通しての印象しかなかった自分にとって、岩田陽菜さんはかなりの人気メンかつ推されメンだと思っていた。それが初めて参加した『暗闇』の個別握手会、午前中の早い時間帯だったからかもしれないが、岩田陽菜さんのレーンはガラガラだったのだ。ここまで露骨に空いているのかと驚いた(それはほとんどのメンバーのレーンに言えることではあったが)。隣の石田千穂さんレーンの長い行列を横目に見ながら、散歩するかのように歩いて岩田陽菜さんのいるところに向かったのはかなりの衝撃的な体験だった。岩田陽菜さんでもこんな状況なことが正直に不思議でもあった。そんな岩田陽菜さんだったが、いつの間にか握手会のレーンも行列で埋まるようになった。単純に時間がかかったけど彼女の魅力がファンに伝わるようになったのか、彼女の頑張りがどう人気に結び付いたのか、『暗闇』以降久しく岩田さんと握手していない自分にはわからないままだった。

2019年になってSTU48セカンドシングル『風を待つ』が発売され、その個別握手会で本当に久しぶりに岩田陽菜さんと握手した。もうそこは常に人気レーンだった。以前と変わらず礼儀正しく、可愛い可愛いアイドルとファンの握手という役割をそれぞれ認識した上で演じているような、客観的に見れば白々しくもある雰囲気の握手をした。別にそれは嫌いではない。去年のSTU48の握手会について書いたブログでは、私は岩田陽菜さんのことを「近すぎることも遠すぎることもなく適度な距離感で楽しい握手ができる」と書いている。このときもそんな感じだった。今日も素敵ですねと言ってありがとうと返してくれるような定型文の握手で私は十分満足だ。

ただ、近くのレーンに並んでいるときに他のファンとの握手をつい見てしまって、そのときの異常な距離感の近さに自分はちょっと引いてしまった。知らなかったけど、岩田さんそういう攻め方なのかと。アイドルとの近い距離感を求めているファンにはたまらないだろうことはわかる。あんなことをされたらガチ恋が多いだろうなと思った。それと同時に、稀に送られてくる切実さを感じさせるメールを思い出した。

わざわざお金を払ってまで読んでくれるファンを信頼しているからか、時たま岩田陽菜さんは距離感の非常に近いメールを送ってくる。それを読みながら、もっと自分を大切にしてほしいと私は願ってしまう。病んでいるといえばそうなのかもしれないが、なんというか、ファンをもっと増やしたいがための焦りが感じられる。あのメールの距離感なら、握手会があんな近い距離感になるのは仕方ないと思った。そんな岩田陽菜さんの振る舞いが危なっかしくて心配になってしまう。周囲もわかっているのか、他のメンバーからは彼女は思春期だからみたいな言葉も聞かれる。無茶しなくても焦らなくてもあなたの魅力は十分に伝わるよと、遠くから呟いてみても、自分の気持ちなんて本人以外に誰がわかるのかと相手にされないだろう。だから迫る彼女から私は一歩後ずさるように、より傍観者となっていく。

主にメールを読んで、たまにshowroomを見て、彼女は彼女なりに頑張っているのだなと思いながらも、そこまで熱心になることもなく遠くから小さな好意を抱いたままでいた。それでも公演では、基本的に甲斐心愛さんを見つつ、以前よりは意識して岩田陽菜さんを見ることが多くなった。年頃の少女の集団らしく皆が成長する中で相対的に小さくなっていく岩田陽菜さんは、逆にアイドルとしての濃度を高めたような可愛さを溢れさせていて、見る度に可愛いなあと思うことが多くなった(相変わらずうわ言のように可愛いしか言えないのだけど)。

そんな感じで少し危うさを感じながらも遠くから見守るように岩田陽菜さんを見ていたら、4月1日の陸上公演で、彼女の笑顔を支える日々の努力の一端にさらりと触れたような気がして、どっと感動が押し寄せてきた。周りのダイナミックなダンスに負けないよう精一杯踊る岩田陽菜さんは、小さいながらも可憐な宝石のように輝いていた。そうやって誰もが皆頑張っているのだなと、当たり前のことに気付いて目の前の瞬間のかけがえのなさに感謝していると、こちらの気持ちに気付いたのか岩田陽菜さんと目が合った。可愛さに隠されたひたむきな努力にやっと気付いてくれたと瞳で語っているような微笑みだった。そんな笑顔に触れたら、彼女のことをさらに好きにならざるを得ない。

今回は岩田陽菜さんについて書いたが、岩田さんに限らずSTU48は皆それぞれ一生懸命だ。頑張っていない人などいない。今も船上劇場公演に向けて日々厳しいレッスンを頑張っていることがなんとなく伝わってくる。STU48というグループが、その努力の報われる場所であってほしい。とは思うもののAKBでいくら評価されようが、高橋朱里さんがPD48に挑戦して私のこれまでの7年間は何だったんだと無力感を味わったようなことにはなってほしくない。それはとても難しいことだけど、彼女達の今が、未来に繋がる今であってほしいと願っている。

というわけで、改めてステージに立つ尊さを感じた広島旅行だった。もっとSTU48の皆さんと会う時間を大切にしなければ。これからも公演や握手会でよろしくお願いします。2日間ありがとうございました。好きなそ。

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