音楽とフィジカルとしての本

よく音楽ジャンルにおいて、CDやアナログレコードのことをフィジカルと表現することがある。最近はサブスクなど配信のみでリリースすることも多い中、CDなどの物理的な記録媒体でリリースすることをフィジカルリリースと言ってアピールするミュージシャンも見たことがある。

この音楽が記録されたモノを「フィジカル」と表現する言い回しが私は好きだ。

スポーツで用いられる際の身体的や肉体的といった意味とも混ざり合って、フィジカルには身体で聴くという響きがある。音で身体を動かすようなイメージもあって、それが例えばダンスミュージックの文脈にとても相応しい名前に思えて、DJがフィジカルという言葉を使うとかっこよく聞こえる。

とはいっても、フィジカルという言葉が持つ強さに惹かれつつも、私は音楽はサブスクなど配信で聴けるならそれでいい派だ。

CDやアナログレコードを買うのはアートワークが好きだったり、レコードの大きなジャケットが気に入ったり、モノとして所有したいときに限っている。聴くだけならフィジカルは買わない。デジタルでは削られてしまう音がレコードには含まれているといっても、自分の貧弱なオーディオではわかるはずもなく、部屋ではそこそこ聴ければいいという考えだ。正直、そこまで音楽に凝っていない。大きな音で聴きたければライブハウスやクラブに行く。

その音楽に対する姿勢と正反対なのが本だ。

本もKindleなど電子書籍が多く流通しているが、音楽とは逆に、私は実物の本を読むことにこだわっている。電子版が買えるとしてもモノとしての本を買ってしまう。重みのある本を持ち上げて、紙の感触を確かめながら指でページをめくることこそ読書だと信じている。

何故、音楽はデジタルで構わないのに、本はアナログにこだわるのか、その違いを以前考えたことがある(CDも今はアナログ側だと私は考えています)。

自分なりに出した結論は、音楽はライブを除いて、何かしらの再生機器を通してしか音に触れられないから、記録媒体がレコードだろうがMP3だろうが再生機器がないと意味がなく、その不自由さが記録媒体へのこだわりのなさを生んでいるということだ。こだわりがないので、音楽ジャンルを取り巻く環境に合わせて自分も柔軟に対応していくことに抵抗がない。だから今はサブスクで十分なのだ。

対して本はページを開けば文字や絵が直接視覚に訴えてくる。

音楽: 記録媒体 -> 再生機器 -> 聴覚
本: 記録媒体 -> 視覚

手元に本があればすぐに読める。本以外何も必要としない完結性。このダイレクトに情報が伝わるシンプルさが好きで、フィジカルとしての本を私は好んでいる。情報が身体に直接働きかける意味において、本もれっきとしたフィジカルだ。こう書くと読書も躍動感が出てくる。これからは身体を意識した読書を心掛けてみようと思う。

ということを誰かがどこかでもっと厳密にまとめているはずで、どなたか教えてください。

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