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3回目の広島、秋の甲斐心愛さんについて

甲斐心愛さんは悲しそうな顔を稀にする。舞う身体の動きが止まった一瞬、下がり気味の眉の下から遠くを見つめる瞳は、私には悲しそうに見える。それは歌の世界観を彼女なりに解釈した結果だろうし、その世界に入り込んでいるからだろう。また激しく踊った後だと、前髪が乱れて顔が隠れ、佇まいに陰が差し込む。少し顎を上げて客席を見下ろすような視線は、この世界を憐れんでいるかのように、突き放した強い悲しさがある。

そう思われるのは、もしかしたら本意ではないかもしれない。実は悲しい気持ちではないのかもしれない。それでも私はそこに悲しさを感じとって、冬の空気のような清冽な美しさを見てとる。笑顔が眩しいときの甲斐心愛さんを知っているから、その反動として、ステージでパフォーマンスしている甲斐心愛さんの鋭い悲しさが余計突き刺さる。凍えた空気の中で白くきらめく冬の一等星のような、甲斐心愛さんの一瞬の輝きが私は好きだ。

普段の甲斐心愛さんは笑顔がとても可愛い。思わず頭を撫でたくなる人懐っこい犬のような愛らしさがある。犬と猫なら、断然犬だろうという甲斐心愛さんである。そしてメンバーに対しては生意気でも、私と握手するときはいつも礼儀正しい。こちらも襟を正して向かい合う。褒めてもいつも恐縮そうに謙遜する。親しくなりすぎていない距離感がちょうど良いと感じている。それでもライブ中にこちらを見つけてくれると、ハッとしたような表情からの笑顔で、そんな彼女に出会えただけで会いに行ってよかったなと思う。じゃあ認知されているかというと、それはよくわからない。

しかし、なんといっても甲斐心愛さんの魅力は、少なくとも私にとっての魅力は、ついこの間まで普通の女の子、今も学校では普通の女の子のはずの甲斐心愛さんがステージで見せる、神々しいまでの凛々しさである。好きになるきっかけとなった春の陸上公演の『暗闇』は、センターで踊る甲斐心愛さんが曲と一体化したかのようで、甲斐心愛さん自身が『暗闇』となった存在感を示していてとても力強くかっこよかった。そして今フロントとして立っている『センチメンタルトレイン』も、歌の世界に相応しいパフォーマンスを見せてくれている。

好きになってからは、前にいるときだけではなく、後ろや端のほうにいても甲斐心愛さんの姿を追うようになった。というよりも、いつもは端にいるほうが多い。公演のメンバーによく選ばれるようになったといっても、まだまだぎりぎりの選抜ボーダーラインで闘っている彼女だ。だけど後ろで踊っていても、メンバーの隙間から見える甲斐心愛さんの元気いっぱいのダンスは光の矢のように鋭くはっきりと、灯台の明かりみたいに遠くからでも見間違えることはない。

そんな甲斐心愛さんがチャリティーコンサートで、久しぶりにセンターらしいセンターとしてステージに立った。『センチメンタルトレイン』は最近のAKB楽曲の中でもお気に入りの曲だったので、そのセンターに甲斐心愛さんが選ばれたということがとてもうれしい。バレエを取り入れてしなやかな柔らかさを伴ったサビの振り付けを甲斐心愛さんが踊ると、普段の直線的なイメージの甲斐心愛さんとは違う美しさがあった。新しい魅力に触れられた幸福は、推しがセンターに再び立ったという喜びと共に、噛み締めるように心に沁み渡るもので、終わった後もあの『センチメンタルトレイン』良かったなとずっと反芻していた。

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そして10月の終わり、STU48を見るために広島まで遠征して、凛々しい甲斐心愛さんを見てきた。今年3回目、人生3回目の広島は、もう市電に乗るのも慣れてきた。日本シリーズ2日前ということもあり、広島市内はカープ一色。しかし騒がしいこともなく、決戦前の嵐の静けさがあった。会場のゲバントホールは初めて入るところで、港町らしい外来文化の残る洋風の内装のホールは、文化会館という規模ではないが、高級な公民館といった趣があった。私は1階の後ろから数えて2列目という、言ってしまえば後方埋もれ席だったが、それでも思っていたよりも近い。

秋の陸上公演はこれまでの陸上公演や出張公演を踏襲したセットリストで、目新しさは無いものの、『暗闇』のカップリングなど久しぶりに見た曲は、この曲のここが好きだったとか自分の好みを再確認出来た。後半パート、『少女たちよ』『NEW SHIP』『思い出せてよかった』の流れは、歌い続けてきた曲の中でもこちらが感情移入しやすい曲達なので、聴くとこみ上げてくるものがある。アイドルソングによくある無邪気な希望を歌ったものは素直に受け入れるには難しいかもしれないが、そこそこSTU48を見てきて彼女達なりに頑張っていることを知っていると、これらの曲がとても大切に響いてくる。『思い出せてよかった』のイントロが鳴って空に手を差し伸べる瞬間は、同時に天からも光が差し込み、とても神々しい。それはSTU48に訪れるだろう明るい未来の先駆けのようだ。夜明けは来る。必ず来る。そう信じさせてくれる強さがあった。

アンコールに歌われた『LOVE TRIP』は、何列ものお客さんを隔てていたものの甲斐心愛さんが真正面で踊っていて、フォントでいうとゴシック体のようなはっきりした動きのダンスは、見ていて爽快感がある。そして次に歌った『センチメンタルトレイン』を見ていると、甲斐心愛さんがここまでやってこれた成長と時間の重み、見えない努力に思いを馳せて、少し泣きそうになった。『センチメンタルトレイン』は、曲よりもMVを思い出してしまう。ドラマ仕立てのMVは最後に「私たちは光と共にある」という台詞で締められる。大切な存在の人は、たとえ遠く離れてしまったとしても、光として心を照らしてくれると、そう解釈している。MVのそれはAKBという物語の中の台詞だが、MVを見ている人にも共感出来る言葉だ。MVを見て、最後にこの言葉を聴く度に、アイドルは光だなと私は思う。ライブを見たり握手したりするときだけでなく、ふとした瞬間に想起され心の支えとなってくれるアイドルは私にとっての光だ。アイドルだけでなく、たくさんの光に支えられている。最近仕事が忙しくてメンタルが弱っているのは十分承知しているが、だからこそ言い切ってしまう。甲斐心愛さんは光だ。MVを何度も見て出来上がった私だけの『センチメンタルトレイン』を心の内に抱えながら、そのフロントで踊っている甲斐心愛さんの姿を見ると、本当に綺麗で祈りたくなる。


公演後にあるお見送りに甲斐心愛さんはいなかったように思う。年齢的な事情で本当にいなかったのか、それとも単に私が見逃しただけなのか、実際はわからない。いつも周りに流されてばかりの自分がこのときも人の流れに身を任せて、少女達の光の奔流を慌ただしく通り過ぎただけであって、歩きながら誰かと言葉を交わすという高等技術は話し下手な自分には到底無理な話だ。この日もなんとか田中皓子さんに会釈しただけで通り抜けてしまった。

瀬戸内に遠征して楽しくなかったということはこれまで一度もない。遠い土地へ旅して好きな人に会えば、もちろん思い入れも深く生まれて、大切な記憶となる。東京に住んでいる私はそんなに足繁く瀬戸内に行ける余裕はないので、会える時間への気合いの入れようは半端ない。そういう状態で素晴らしいSTU48のパフォーマンスを見ると、なんというか出会えたことは奇跡だと思うぐらいの無闇矢鱈と高揚した気持ちになる。それは遠距離恋愛にもならない遠距離の片想いだ。そんなことないよー、とアイドルは言うかもしれない。もちろん恋とは違うが、しかしやはり片想いだ。私はただのファンのひとりで、それ以上でも以下でもない。私の好意は一方的で、それは星を見上げる眼差しと同じだ。星の光は分け隔てなく降り注ぐ。本当にSTU48は遠い星の光のようだ。握手会で向き合い、近くに感じても、近いようでやはり遠い。それは本質的に人と人の分かり合えなさなのかもしれないけれど。

毎回楽しい瀬戸内旅行にしてくれるSTU48の皆さんには感謝しかない。毎回行ってよかったなと思う。瀬戸内に引っ越したほうがいいのかなと思うこともあるが、やはりこの距離が大事だと思うので、遠くから見守ってたまに旅行ぐらいがちょうど良い。また会いに、美味しいものを食べたり綺麗な景色を見に行こうと思います。ありがとうございました。


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