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エルシネ・月面


 昔、『プログラマーズ・ポケット』という、きわめて個性的なパソコン雑誌があった。

 隔月刊のマニア向けの雑誌だったのだが、その中に「一行プログラムのコナー」というのがあった。一行二五六文字という限られた文字数で、どれだけのプログラムが組めるかを競い合うという、毎回二ページのコーナーだった。(未だに謎なのだが、なぜか、コーナーがコナーと表記されていた)。

 僕は中学三年の時、一度だけ、このコーナーにプログラムを採用されたことがある。一九八七年八月号に掲載。機種は超マイナーなLC‐Neo。言語はBASICで書かれた、たわいもないプログラムだ。

 文字を入力すると、画面上にいろんな大きさのいくつもの円が描かれ、何枚も重ねられる。入力した文字列によって、描かれる絵は異なる。

 たとえば、「きよはる」と打ち込めば、図のような絵が描かれる。

 それだけのプログラム。

 掲載に際して名前を付け忘れていた僕にかわり、編集者が名前を付けてくれた。名付けて「めばえ」プログラム。そのことについての断りを入れるために、編集者が直接僕に電話してきた。誌上において「ひなちゃん」という三枚目のキャラクターで登場するその編集者と直接、電話で喋ったことで、僕は少なからず興奮したものだった。

 で、「めばえ」だが、簡単に言えば、入力された文字列をコードに変換して、それを使って絵を描く。それだけだ。まあ、でもよくやっていると思う。

 最初は普通にプログラムを組み、それをどんどん削って簡略化してゆき、それを最終的には二五六文字にまで縮める。そこに、思いもつかないテクニックが生まれることがあり、僕の作品の場合はたいしたことしてないのだけれど、レギュラーで載っているような人の、極限まで磨き抜かれた無駄のないプログラムの数々は、まるで芸術と言ってしまいたくなるほどで、当時の僕にとっては、プログラマの美意識の塊のようにも思えたものだった。

 すこし違うかもしれないけれど、今思えば、こういう制約のあるプログラムを書く感覚は、ある種の定型詩、あるいは短歌や俳句なんかとも通じる感覚で、、そう言う意味でもプログラムは文芸、特に詩に似ていると思う。僕は工業高校を卒業後に、主に工業プログラムを書く仕事に就いたが、やはり美しいプログラムにこだわる癖は抜けなくて、まわりの人間とあわなくて悩んだり、いろいろと困ったこともあった。

 さて、この「めばえ」プログラムが採用になり、僕は有頂天になって、その後もいろいろゲーム等のプログラムをつくっては「プログラマーズ・ポケット」誌に投稿したのだが、結局二度と載ることはなく、雑誌は一〇冊出たところで廃刊になってしまった。そのころには私は高校に入っており、興味はプログラムよりもむしろ漫画や小説に移っていたので、最終号にもたいした感慨もなかった。

 さて、これだけなら、単なる昔話なのだが、話には続きがある。

 昨年の夏、大物芸人B・Tがやっているテレビ番組で「オカルト人VS常識人」というのがあった。月曜の夜だったので、僕は仕事で見れなかったのだが、作家でもあるロック歌手O・Kと、同じ名字でプラズマ理論で有名なO教授がタッグを組んでオカルトの人と対決するという趣向に大変興味があったので、迷わずビデオに録ってみた。

 オカルトの人が出てきて、自分の信じている「トンデモ」なネタを話し、それに対して常識的な人が突っ込むという企画で、一年に何度かやる企画だ。普段は政治とかの討論がメインだから見ないけど、これだけは見るようにしている。

 「トンデモ」な人は、最初はよく見かけるタレントとでもいうべきトンデモの人だったが、三人目ぐらいから、あまり見たことのない、在野のトンデモな人が出てきて、素人ゆえの暴走もあり、がぜん面白くなったように思う。

問題の人は、番組のおわりの方に出てきた。

 アカシヤπ研究所所長・荒尾猿之助と名乗った老人は、一見田舎教師といった風体の老人であったが、ある種の人に特有な目の輝きを、たしかにこの人も宿していた。

荒尾老人は、だいたい、以下のようなことを話した。

 古来より、宇宙の始まりから終わりまでを記す『アガスティアの葉』あるいは『アカシヤの記録』といったものの伝説が残っている。これらの記録を参照することができれば、明日起こることも、千年前に起こったことも、一万年後の世界の姿も、何もかもがわかるというのだが、一般にはあくまで伝説であると思われている。しかし、私は長年の研究によって、この『アカシヤの記録』(アカシック・レコード)が実在することを知るに至った。

 『アカシヤの記録』とはすなわち、宇宙の根本原理、これすなわちパイ、円周率のことなのだ。永遠に続くパイは当然のことながら、すべてを包括している。パイには始めがなく、終わりもなく、パイは無限である。パイの中に宇宙の始まりから終わりのすべてがある。幸いなことに、時代は日進月歩のコンピュータ万能の時代、一秒ごとにパイの下位桁がドンドン更新されてゆく。それを読み解くことは、宇宙を知ることであり、歴史を解明することである。円周率πこそ、聖書やコーランに替わって、宇宙人類時代における全人類の福音書となるべきものであり、真の世界平和を呼ぶものである。云々。

 僕は随分勇ましいことをいうもんだと思った。まあそれはそれでいいのだ。よくある思いこみの激しい「トンデモ」な人がまた一人現れたか、といったところだろうか。円周率を音符に乗せて音楽を作った人は知っていたが……それにしても、円周率がアカシックレコードとは、と感心もした。

 さらに荒尾老人は力説する。無限に続くπならば、理論上、いかなる偶然も起こりうる。あなたの電話番号がπの数列に含まれてもちっとも不思議じゃないでしょう? それと同じです。すべてがπの中にあるのです、と。

続いて画面には、彼のスピーチを補足するようにVTRが流された。

 普通の民家が映る。壁に「アカシア円周率研究所」の看板。雑然とした研究所は、どう見ても民家の物置である。スチールの机の上に、チャチなコンピュータが乗っかっている。古い、コンピュータとディスプレイ。老人はコンピュータの前に座り、ポチポチとキーを押す――そのコンピュータを見て、僕は少なからず驚いた。

LC‐Neo!

 それはおよそ「研究所」で使用されるということはあり得ない機種――二〇年前の家庭用コンピュータ、そう、僕も持っていた、あのLC‐Neoっていう奴だ! 僕はそんなアホな、とつぶやいた。

確かに、LC‐Neoはソ連の宇宙ステーションに搭載されていたこともある由緒正しい機械だし、テレビに映っているじいさんの機械はフロッピー内蔵・本体とキーボードがセパレートの高級機で、一見今のPCのようにも見える。だが、それでもいま、なにかの研究に使えるとは思えない。今の携帯電話に内蔵されているコンピュータの方が百倍はかしこい。

 VTRの中で老人は、コンピュータの画面を示した。テレビ画面の中に、パソコンの画面が映し出される。上下する走査線のせいで画面がよくわからないが、LC‐Neoの青い、解像度の低い画面が映し出される。

青い画面にいくつかの丸。丸。丸。

 ――このように「アポロ月面着陸」も、すべてパイの中にすでに予言されているわけです。ほら、この月面写真と重ねてみます。ぴったり一致します! ――このように、パイの中に秘められている真実を、特殊なプログラムによって抽出するのです。次はこれ、「ケネディ暗殺」、頭蓋骨と銃創が……。

 どこかで見たことのある画面。それに気づいた瞬間、僕は愕然とした。

 僕の作ったプログラムだった。「めばえ」プログラムだ。

 なぜ、こんなところで、僕は自分が大昔に僕の作った、それもたった一行のチャチなプログラムと再会するのだろう? たった一行のプログラムが、「未来予想図」を作成したり、過去の真実を映し出したりする、オカルトな老人の道具になって、全国ネットのテレビで流れているのだろう? なんだかとても妙な気分だった。僕はビデオを巻き戻して何度か見てみたが、間違いなく、それは「めばえ」プログラムだった。

 スタジオに、老人のLC‐Neoが設置されていた。

 ――プログラムはご自分で組まれたんですか。

 ――ええ。本を見ながら作ったんですわ。

 ――ずいぶん古い機械ですが。

 ――孫がね、もう要らんていうんでね。もろたんですわ~。

 そこで笑いが起こり、CMに入った。

 なんだか、わからないが、僕はほっとしていた。

 それから、よく考えてみたら、これって僕、パクられてるってことかな、などと、まあ、どうでもいいことを適当に思ったりもした。

2004.11.14 

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