吉本新喜劇否定論に抗する

 最近、どこかで「吉本新喜劇なんか要るか?」みたいなことを読んだ夢を見たのである。

 最近の私は嫁に怒られるほど寝間でスマホするので、もしかしたら本当に読んだことかもしれないけれど、もし夢だったとしても現にしても、まあ、なんか親戚がdisられているようで悲しかったなあ。

 吉本新喜劇で笑ったことはない、面白くない、すぐチャンネル変える、ギャグにコケるのはバカバカしい、下品だ、大阪にあるとされるボケを強要する文化はどうなのか、織田作之助の文学作品に描かれた人情あふれる大阪はどこへ行ったのか? で、吉本新喜劇要らんやろ? 

 みたいなことを、東京の作家の方で、大阪人の知り合いもあまりいない方が書いてらっしゃった。

 夢だったかもしれないけど。

 

 ……で? 

 ……も。

 ね。 

 「吉本新喜劇が要らんかいるかは、大阪人が決めればいいと思うよ?」


 これまでも、

 吉本「やめよっかな?」

 大阪人「やっぱ、やめんといて」

 って、いままでも決めてきたんやで?  


 確かに、20年前の吉本新喜劇とは違うし、大阪人でも、たまにしか見ない人もたくさんおるし……でもやっぱり吉本新喜劇はベタやけども、悪や欺瞞に対して、義理と人情と正義が勝ち、ジジババをホロッとさせるように作ってあるんやで。

 関西出身者には、和食でいうところの味噌とまではいわないけど、「あまちゃん」でいうところの「まめぶ」みたいなものだと思うよ。

 東京のインテリ作家の人にはステレオタイプでアホなものに見えるかもしれんし、東京MXで放送してたらチャンネルを変えたくなるかもしれんけど、だったら見んかったらええんやで。

 

 で、あんまり関係ないかもしれないけど、10年以上前に、僕が大阪の河内天美に住んでいた時、とても印象的だった会話をふと思い出したので、当時の日記を元に書いてみたい。

                 ★

 仕事帰りに河内天美の駅前のファーストフード店で夕食をとり、レンタルビデオ屋を兼ねた書店で二冊の本を買って外に出ると、あたりはもう暗くなっていた。

 商店街に向かう人の波に混じって歩いていると、

 雑踏の中で進でも止まるでもなく、寄り添うようにして立ちつくしている二人の老人の姿が見えた。

 どこかで見た二人だと思った。

 細身でワイシャツを着た老人は足取りがおぼつかない。

 もう一人近鉄バッファローズの野球帽をかぶってTシャツを着た、

 がっちりとした老人にわきを支えられ、

 人の流れからまもられるように、一歩一歩ぎこちなく進んでいる。

 

 その横を、何かに取り憑かれたように家路を急ぐサラリーマンが通り過ぎ、痛々しいようなブレーキ音をさせて、さすべえに買い物袋をひっかけ、子供を2人載せたママチャリが、ふらつきながら人混みを危なっかしく、すり抜けてゆく。

 この二人の老人どこで見たのだろう。

 そうだ。僕はこの二人の老人を、さっきハンバーガー屋を出たときに一瞬だけ見たのだった。記憶の中の二人の姿が赤いのは、まだ踏切のむこうの西の空に赤く焼けた夕日があったからだ。

 そのあと僕は本屋に入り、数十冊の背表紙を眺め、十数冊の本を手にとってぱらぱらとめくり、結局昔から読みたかったSFの文庫と、映画監督としても知られるコメディアンの詩集を買ったのだった。

 それにしても。

 実際、日も落ちたし、気温も下がっている。

 僕は30分は本屋にいたのだ。

 そのあいだ、二人の老人はずっとこの二人三脚を続けていたのだろうか。

 わずか数十メートルの距離を、半時間もかけて、一歩一歩、進んだろう。

 この二人の老人は一体、どういう事情を持った二人なのだろうか、と急に気になり始めた。

 僕は、雑踏をかきわけて、二人を追いかけた。


「僕なあ……」

「なんや」

 がなり気味の細い老人に、近鉄帽の太い老人がやさしく応える。


「僕の仏壇の前にな、きみの名前を飾ってあるんや」

 支えられている細い老人は、そう言って笑った。


「あほ。わしはまだ仏さんやないで」

 支える方の太い老人もやさしく笑う。

 


 僕は、その言葉を聞いて、なんだかわからないけど、なんか、すごくたまらなくなった。

 その空気感、雰囲気、絶対に終わらせたくない、永遠に残したい美しい一瞬がそこにあった。僕はそう思った。

 優しい言葉、優しいツッコミ、優しい漫才。

 とても、たまらなくなって、涙が流れそうだった。

 でも、流れなかった。

 そのとき、車体に南の花のステッカーを張った黒いワゴン車が、けたたましい音楽をまき散らしながら近づいてきて、その騒音で人の波を押しのけるように、河内天美商店街に侵入して来たから。

 老人たちは、100円ショップの軒下に避難し、僕は弁当屋の前に押しやられて、そのままあの雰囲気も、僕の中の感慨も永遠にどこかに消え失せてしまった。

         ★

 織田作之助の描いた大阪の人情はどこに行ったかって?

 そんなもん知らんがな。

 そやけど、大阪では毎日、若者も老人も、

 出会ったり、別れたり、喧嘩したりしながら、

 胸をキュンとさせたり、

 辛くて死にたくなったり、

 友の言葉に微笑んだり、

 思いがけない場面で出くわして涙を流したり、

 ボケたり、突っ込んだり、

 たまには人のボケにコケたり、

 ムチャ振りに、嫌々ボケたりなんかしながら、

 生きとるんやで。

 そして、吉本新喜劇を見ながら、

 いろんなことを思い出したり、

 自分に重ねたりしながらワロたり泣いたりしとんやで。

 織田作の人情と同じものか違うかも知れんが、

 そこに人情がなくて何があるのか。

 ま。

 いくら他人さんとはいえ、毎週土曜日の昼にいつでも茶の間にやってきて、おもろい話をしてくれるご近所さんのこと、「要らんだろ」とか「消えろ」とか「無くなれ」とか言わんといてほしいなあ。

 ただただ、悲しいやんか。

 そんなん。


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