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2020年感動した曲〜「不可幸力」に働く不可抗力

welcome to the dirty night
みんな心の中までイカれちまっている
welcome to the dirty night
そんな世界にみんなで寄り添い合っている
welcome to the dirty night
みんな心の中から弱って朽ちていく
welcome to the dirty night
そんな世界だから皆慰め合っている

 今年はテラスハウスに出ていた女子プロレスラーの木村花さんの自殺があり、ネット上の誹謗中傷が話題になっていた。
 インスタやTwitterで匿名という安全圏から本人に心ない言葉を投げかける人々がいる。そして、"最低だろ""お前が殺したんだぞ""そんな事しか楽しい事が無いやつは死んだ方良い"というように、誹謗中傷をしていた人に対する誹謗中傷をする人々もいる。さらに、そんな光景を野次馬しながら冷笑的に楽しんでしまっている自分がいて、

あー、なんかもういろいろイカれちまってる!!

と思っていた頃、仕事帰りの電車で、vaundy の「不可幸力」という曲を再生した。
話題の新曲!的なプレイリストの中にあり、vaundy って名前も聞いたことあったので、なんとなく聞いてみただけだったが、不穏なイントロに始まり、かっちりとしたドラム、そしてラップ調の歌に導かれ、サビに辿り着いた時、冒頭書いたフレーズがめちゃめちゃ刺さっていた。
「みんな心がイカれちまってる。けど一人一人は弱くて、それをインスタやTwitterでああだこうだ言うことで寄り添いあって、慰め合っている。」
と直感的に解釈したけど、木村花さんの件に関わらずまさにその通りだし(自分も含めて)、時代の空気感を象徴してるなあ、と思った。
 "乗れる良いサビだなあ"ぐらいに思っていたら、まさか、その後に本当のサビが待っていた。

え!こういう展開!
かっけえ!SpotifyのCMの曲か!?

と電車の中、無表情を装いつつも、凄い曲に出会ってしまったなあと一人で興奮してしまった。

 家に帰り冷静になってみて、"一体に何がそんなに良かったんだろう"と考え直してみたが、やはり曲の構造が巧みなんだと思った。
 小さいサビを挟んでの…大サビ!というのは単純に音楽的に盛り上がるし、この曲のように大サビのメロディに耳馴染みがあったりすると(CMタイアップ)カタルシスを感じやすい。そうした耳触りとしての良さというのもあるけれど、僕は、歌詞の世界の変化に合わせた曲調の変化がとても効果的なのだと感じた。あまりにも効果的なので映像が浮かんでしまうほどだった。

 この曲は、

①Aメロ→②Bメロ→③小サビ→④Bメロ'→⑤小サビ'→⑥大サビ→⑦Cメロ→⑧大サビ'→⑨小サビ"

という構造になっている。さて、ここからはそれぞれのパートでどんな事を言っていて、そして曲調によってvaundyが我々のイマジネーションをどう駆り立てているのかを、書いていきたい。

①Aメロ

どこにいっても行き詰まりそして息道理をそのままどっかに出すくだり
そんな劣等も葛藤もみんな持ってる
その理由は同じ え?
Ah なんでもかんでも欲しがる世界じゃない?
また回る世界に飲まれてる
それも理由は同じ
膨らんだ妄想、幻想、真相を、いやあれを探している

このパートは喋り口調の歌い方でほぼラップである。ここでは人間の深層心理や真理めいたものを、少し支離滅裂で戸惑いながらも(言葉数が多いことでそう感じる)、若干の自己陶酔を交え(歌い方と声のトーン)、語って

みせよう

とする。

しかし、

②Bメロ

あれ、なに、分からないよ
それ、なに、甘い理想に落ちる

Aメロで豪語してみせようとしていた深層心理やら真理であるが、結局は
「分からないよ」である。
ここではラップパートは終了し、小サビへと向かうブリッジ的な役割を果たすコーラスが挟まれることになる。後ろでは不安げなエレピのコードが重ねられる。その不安を解消するかのように、甘い理想に落ちていくのだ。

③小サビ
歌詞は上記のとおりだが、ここではdirtyなnightへと誘われることになる。
音楽的には、パーカッションが追加され、陽気か陰気か分からないがキャッチーなメロディーが繰り返されることで、否が応にも体がノってしまう。それはAメロ、Bメロという展開によって巧みに用意されたものであり、意識せずとも皆このパートで音楽にのせられてしまう力があるように思う。
そう、言うなればそれは不可抗力なのである。
しかしリスナーが体を揺らすこの場所は、みんな心の中までイカれちまっている「dirty night」なのである。
僕の解釈で言うと、このdirty nightは、Twitterであり、インスタである。汚い言葉やイカれた心の中を皆が晒し、それを見て傷ついたり、喜んだりしている人がいる。しかしそこには後ろめたいような快楽があり、不可抗力的にその虜になってしまう。
そんな後ろ暗い快楽の中毒性やその軽薄さがこの小サビで表現される。

④Bメロ'&⑤小サビ'

あれ、なに、分からないよ
それ、なに、辛い日々に沈む

辛い日々に沈み、再びdirty nightにやって来てしまう。

そして、問題の大サビがやってくる。

⑥大サビ

愛で
揺れる世界の中で僕たちは
キスをし合って生きている
揺れる世界の中を僕たちは
手を取り合っている

大サビの前に数秒、効果音のようなものが響くのだが、これが展開の変化を自然かつ劇的なものとして響かせている。映像として考えてみるといままでのパートが主観映像であったのに対し、この数秒でカメラがグワーと引いていって、大サビに入ると様々な光景(恋人同士がキスをしていたり、手を取り合っていたり)が客観的に映し出されるような印象を覚える。

そして、ここでは非常にシンプルに普遍的な事が歌われる。
果たしてその意味するところは何なのか。
Cメロを見ていきたい。

⑦Cメロ

なあ、なんて美しい世界だ
僕ら何度裏切りあっていても
まあ、なんとか手を取り合うんだ
まるで恋愛映画のラストシーンのような
「愛で」

ここでは大サビの勢いを殺す事なく力強く、でも何かを説明するように歌っている風に聞こえる。
歌詞は公式かは分からないが、探すと出てくるものは「愛で」が必ずカッコ付きになっている。
つまり"恋愛映画のラストシーンのような愛で"という言葉の繋がりだと理解したい。
そしてカッコ付きの愛である。要注意である。
直感的にはそう感じたが、やはりこのCメロはある種皮肉めいた物言いなのだと思う。愛だ、美しい世界だ言ってるけど、それって本物なんですか?とでも言うような。

そして、2回目の大サビ。

⑧大サビ'

靡く世界の中で僕たちは
キスをし合って生きている
靡く世界の中を僕たちは
目を合わせあって生きる

Cメロが皮肉めいた物言いなら、やはり⑥と⑧の大サビも、同じようにカッコ付きの「愛」によりかかってしまう僕たちへの当て付けなのだろうか。
結論から言うと、僕はそうではないと考える。
そして、その点がこの曲において僕が一番凄いと思ったポイントである。

この曲の文脈に関わらず、大サビで歌われている内容はどんな時代にも当てはまるような普遍的な事柄だし、「僕たちは〜生きている」「僕たちは〜生きる」というように"地球は回っている"的な客観的な文章になっている。
つまりなにかを説明するには、不十分なほど味気ない歌詞なのだ。

だからこそのメロディーである。やはりこのメロディーは秀逸である。このメロディーとvaundy の歌声が多くのことを表現していると感じる。それは、
"心の中から弱って朽ちてい"るような僕たちが掴んでしまう「愛」であるし、そんな「愛」にも訪れる甘美なムードであるし、dirty nightが蔓延する世界で生きなければいけない悲しみであるし、そんな世界でも僕たちは生きていくんだという決意である。

影から差し込む光が美しいように、全体的にダークでネガティブなムードであるからこそ、この大サビが輝いて聴こえているのだと思う。

⑨小サビ"
しかしながら、曲はまたdirty nightへと戻っていってしまう。大サビで終わらずにこの小サビで終わるところがこの曲のセクシーなところだと思う。

以上がこの曲の構成と僕が感じたその効果である。

P.S. 「愛の言霊」問題
大サビのメロディーがサザンの「愛の言霊」のパクリだという論争があるが、もう何百万と世の中に曲がある中で、メロディーが被ってしまうくらいしょうがないし、「このメロディーどれだけ上手に使えるか選手権」だと考えれば、「愛の言霊」と違った意味で秀れた楽曲になっていると思うから、それはそれで認められるべきだと思う。たかが曲のワンフレーズが似てしまっただけで、その楽曲を非難するのは音楽を享受する身としてとても貧しい事だと思う。
そして、これは勝手な憶測になるが、vaundyが確信犯的に例のメロディーを使ったのかもしれない。
なぜならイントロも似ているからだ。もしかするとイントロを原曲に寄せることで、「愛の言霊参照します!」という宣言をしたかったのかもしれない。
いずれにせよ、曲を聞いて「あ、これあの曲に似てね?パクリだパクリだ!」としか言えない奴は、マウントを取った優越感に浸れても、この曲の本当の良さを理解できないという意味で、「不幸せ」だと思うし、そういったことにしか拘れない、自分の心で物事を観ようとしない者に働いてしまう力がまさに「不可幸力」だと考えれば、とんでもない歌だなと思う。

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