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ノイローゼ主婦、BUCK-TICKに救われる―私のBUCK-TICK思い出話③

というわけでBUCK-TICKはいったん私の生活からは姿を消しました。その後私は身を持ち崩して大学を中退し紆余曲折の日々を送るのですが、まあこの辺ガチの黒歴史なので端折ります。

とは言え『SEXY STREAM LINER』を聴いてBUCK-TICKに出戻りかけるのですが、結局生活のゴタゴタや他のミュージシャンが好きだったりで戻るには至らず。

そんな私がBUCK-TICKに本格的に出戻ったのは、2006年頃だったでしょうか。
たまたま見かけたMVから仙台貨物にハマったことと、当時のネトゲ友達の影響で当時のヴィジュアル系に興味を持ち始め、また当時は動画サイト黎明期ということもあり、いろいろとネットで動画を見ることが増えてきました。

当時の私は生活が苦しく、また慣れない育児と隣人トラブルでノイローゼ気味になり、多分ネット依存も入ってたんじゃないかな…。
そんなある日、ニコニコ動画だったかYouTubeだったかで、「蜉蝣」のMVを見てしまいます。
そこに映っていたのは、歳を重ねても、いや、重ねたからこそ妖艶で重厚さを増した彼らのサウンドとルックス、そして独自の世界観……かつての熱が再燃、いや前より激しく燃えて再び沼入りしてしまいました。

そこからはほぼ皆さんの知る通りです。
聴いていなかった頃のCDを再び集め始め、それを聴くうちに自分の内で何かを表現したい衝動が沸き起こり、そのままに書き綴った『密愛』がヒットし、商業作家の真似事までさせていただきました。

2010年からはライブに行くのも再開し、そのたびにたくさんの夢を見させていただきました。
そうそう、高校時代のところで書くの忘れたのですが、高校時代の狂った太陽ツアーだったかな、そのチケットを母が加入してた生協経由で取ったことがあるのですが、チケットの案内のところに「ステージの上から夢を見せてくれます」みたいなことを書いてたんですよね。そのコピーを書いた人が実際にライブを見たかどうかは定かではないのですが、BUCK-TICKのライブ、その言葉通りステージの上からいつも夢を見せてもらいました。昔やってたブログでも、ライブに行くたびに記事を上げてましたっけ。

その後私は商業から遠ざかり、小説からも遠ざかってしまいましたが、BUCK-TICKのファンはずっと続けていて。新作が出るたびに買い求め、ライブのチケットを取って。近年は金銭的な事情でなかなか遠征できず、でも彼らはツアーで広島に来てくれて、仕事でなかなか行けないけれど、いつかは年末恒例の武道館ライブ『THE DAY IN QUESTION』にも行ける年が来る、そう思っていたんですが……。

未だに気持ちの整理がついてないし、つけたくない気持ちもあります。
BUCK-TICKの中で一番好きなメンバーはヒデなのですが、あっちゃんの作り出す詞、世界観にはめちゃくちゃ助けられて、そして捜索にインスピレーションももらいました。

人生の半分、とまではいきませんがそれに近い時間をBUCK-TICKと、あっちゃんと共に送ってきたのに、突然こんなことになってしまって……彼の魂が安らかであるように願いたい自分と、まだ彼の死を受け止めきれない自分がいます。

今井さんがこれからもBUCK-TICKを続ける、と言ってくれたのは救いですが、あっちゃんがいないBUCK-TICKを今はまだ考えることができなくて。それでもBUCK-TICKは聴き続けると思うのですが…。

チケットが取れれば、の話ですが偲ぶ会には参列しようと思っています。
そこで気持ちの区切りがつくのかも知れないし、それでもつかないのかも知れないし。

だけど今思うのは、ただ、一つだけ。

あっちゃん、ありがとう。
思春期のしんどい時を救ってくれてありがとう。
大人になってからも救ってくれてありがとう。
私に小説という夢を与えてくれてありがとう。
あなたという人に出会えて、BUCK-TICKに出会えて、私は幸せでした。ありがとう。

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