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陰キャJC、BUCK-TICKと出会う―私のBUCK-TICK思い出話①

BUCK-TICKのヴォーカル、櫻井敦司さん、あっちゃんの死の報せから二週間が経ってしまいました。まだ全然整理できてないのですが、私にとってのあっちゃんが、BUCK-TICKがどんな存在だったか、今の自分なりに語ってみようと思います。

私がBUCK-TICKに出会ったのは中学二年生の秋でした。当時の私は学年の不良グループ、特に男子の集団からいじめを受けていました。まあいじめとは言っても通りすがりに「ブス!」と吐き捨てられたり、私を見てこれ見よがしに吐く真似をされたりするという些細なものだったのですが。
また同時期に親友と思っていた女子に好きな人を取られ、あからさまに見下されるということもありました。仲良くしてくれる友人がそれなりにいたので楽しいこともあったのですが、田舎町の閉鎖的な環境と相まって私は自分を取り巻く環境に辟易していました。

そんな私を救ってくれたのが音楽でした。BOOWYをはじめとする日本のロック、ニューミュージックに興味を持った私は当時興り始めたバンドブームに夢中になり、いろんなバンドの音楽を貪るように聴き、音楽雑誌を読み耽りました。その時は嫌いな学校のことも、ままならない家庭環境やいろいろな憂さを忘れて、友達と盛り上がり夢を見たものです。

BUCK-TICKとの出会いは、当時アイドル雑誌だった『明星』の付録についていた、バンドブーム特集の小冊子でした。最初にチャートがあってこんなタイプのキミにはこのバンドがおススメ!みたいなことが書いてましたかね。そのタイプ別のバンドのくくりで、「とにかく目立ちたいキミに!」みたいなことが書かれたページに載っていたとあるバンド、全員が長い髪を逆立てて逆光の中で移った一枚の写真…それがBUCK-TICKでした。まあ言っちゃなんですが今の言葉で言えば完全に「ネタ枠」としての扱いでした。

とはいえ、その時はふーんこんな人たちもいるんだ、くらいの印象だったのですが、それから二か月ほどたった十二月のある日、当時日曜の昼にテレビ朝日系列で放送されていた『HITS』という音楽番組がありまして、私は毎週その番組を見るのが習慣でした。その日も何となく見ていたのですが、そこに出たのが「JUST ONE MORE KISS」をリリースしたばかりのBUCK-TICKでした。そしてスタイリッシュなMVと斬新なメロディをバックに、一人の美しい男の人がその美貌に似合わぬ訥々とした喋りで、その作品を語っておりました。

それが、櫻井敦司さん、あっちゃんでした。

それから自分の小遣いで初めて3rdアルバム『TABOO』のミュージックテープを買い(CDプレーヤー持ってなかった)、繰り返し繰り返し聴きました。音楽雑誌を買って彼らのページを切り抜いて下敷きに入れ、TABOOツアーはライブに行く、という発想がなかったので申し込んでなかったのですが、そんなこんなで中三になったばかりの春の日、事件が起こります。

BUCK-TICKギタリスト今井寿、LSD使用で逮捕。ツアーは中止。

飛び込んできたニュースに耳を疑いました。今井さんがそんな…これからどうなるんだろう…好きになったばかりなのに…。いつ復活できるかわからない状況の中で、私はますますBUCK-TICKにはまり込んでいきます。
過去作のアルバムをレンタルCD屋で借りてダビングし(中学生でお金なかった)、それを擦り切れるんじゃないかというくらい聴いていました。
確かその年の七月くらいの発売の音楽雑誌各誌でメンバーのインタビューが載っていて、これからもBUCK-TICKを続けていく、勿論今井さん含めた五人で、という言葉に力づけられ、繰り返しテープを聴きながら復活を祈る日々が続きました。そして英語の辞書でBUCK-TICKの歌に出てくる単語を見つけては、それをラインマーカーでなぞって、宝物のようにその単語を集めていきました。

周囲との軋轢に苦しめられ、力のない中学生がどれだけBUCK-TICKを心の支えにしていたか、この辺の下りは長じてからの拙作『妄執のルージュ―初恋は復讐に染められて』でもモチーフにしました。

学校にも家にも居場所のない美柚を唯一救ってくれたのはスワンカだけだった。絶望 や退廃、妖艶な愛などをテーマにした彼らの歌と、荒々しいビートに身を委ねていると、 現実とかけ離れた遠い世界に連れていってくれるように思え、嫌なことを全て忘れられ そうな気がした。学校から帰ると美柚は自室に閉じこもってスワンカの曲をかけ、布団 の中で胎児のようにうずくまり、ここではないどこかへ行きたいと強く願っていた。

――『妄執のルージュ―初恋は復讐に染められて』より

当時の私の心境はここに反映させたのを覚えています。周りの友達にもBUCK-TICK好きな人はあまりいなかったのですが、それすらも目に入らないくらい私はのめりこんでいました。だから東京ドームライブで復活と聞いた時は飛び上がって喜びました。もちろん行けるわけもないのですが、それでも復活したら絶対BUCK-TICKのライブに行くんだ!と勢い込んだものです。これからの話は過去のブログに書いたのでそれを転載します。

当時はバンドブーム真っ盛り。周りの友人達に人気があったのはユニコーン、レピッシュ、ジュンスカ、ブルーハーツ、米米CLUBetc.その中でBUCK-TICKが好きという私は若干異端者扱いでした。
しかも好きになった途端にとある事件で活動自粛。ヤンキー共がのさばり自分に罵詈雑言を投げつけてくる学校と、小学校4年の時に越してきたこの町、どのルートを辿るにしても山を越えないと町を出られない、そんな閉鎖的なこの町に嫌気が差していた私はそれまでのリリース作品を聞きながら、ひたすらにBUCK-TICKの復活を待っていました。
復活の東京ドームライブは当然田舎の中坊には行ける訳もなく、あらゆる媒体に目を通しながら今か今かと復活の情報を探す私の目に飛び込んできたニューシングルの挑発的なタイトル、『悪の華』。自粛明けのタイトルがこれかよwww、と思いつつ音楽番組で発表されたPVを見ると、そこには今まで知らなかったBUCK-TICKが…。
この『悪の華』のPV、BUCK-TICKファンでもない男子が掃除時間にほうきをマイクスタンドに見立ててあっちゃんの真似してたり、一般的な層にも影響を与えていましたねーwまたこのシングルのc/w、「UNDER THE MOON LIGHT」はBUCK-TICKの長いキャリアの中で唯一のユータ作詞曲であり、ライブでも演奏されたことがないという超レア曲になってしまいました…。
とまあ、先行シングルを山を越えた町のショッピングセンターのレコード屋で手に入れて、当然のごとくアルバムもそこで予約して、とうとう迎えたアルバム発売。ゲットしたCDを愛器CDioss(確か重低音がバクチクしてたCDianはもう売り切れててレピッシュがCMしてた方を買ってもらった記憶がある)にセットして、一曲目の「NATIONAL MEDIA BOYS」のイントロが流れた瞬間…完全に、染まってしまいました。ちなみにこの曲、今でもライブのド定番のナンバーだったりします。
その他にもエキゾチックな「幻の都」、未だにライブでもよく演奏される「LOVE ME」、唯一のヒデ作詞曲「PLEASURE LAND」、アニイが作詞した「DIZZY MOON」、退廃的な世界観の「THE WORLD IS YOURS」、先行シングル盤とは違うバージョンの「悪の華」、後のデビュー25周年ベスト盤のファン投票曲枠にも選ばれる名バラード「KISS ME GOOD-BYE」…と名曲揃いですが、「天宮瑠璃」に影響を与えたのは「MISTY BLUE」と「SABBAT」じゃないかと思ってます。どちらも官能的な世界を歌った歌で、当時はキスの味も知らないような小娘でしたが、この頃からこういうエロティックなものを形にしたい、という思いが漠然と芽生え始めたと思っております。

過去のブログ記事より転載


あ、この時のこぼれ話なんですが、今井さんとヒデさんが当時のそれぞれの彼女と同棲してるのをフライデーにすっぱ抜かれて、雪の中隣町のコンビニまでわざわざフライデー買いに行ったこともありましたね、バカだなあ、中坊の私。
と、そんなこんなで中学を卒業して高校生になってもBUCK-TICK好きは続くのですが、それは次回へと。


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