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13年目はなんかあたらしい

春いっぱいの大熊、我が家。今年は春が早くて、庭のつつじはゴールデンウイーク後半の今はもう終わりかけだ。木々は初夏の鮮やかさ。1年でうちの庭が最も輝く季節をゴロゴロと過ごしつつ、本当は3月あたりに書いときたいと思っていたことを記録してみる。

大熊生活、フェーズが変わった。世代交代ってやつである。
要素として、2022年6月の特定復興再生区域の避難指示解除があると思っている。大熊で居住可能地域が増えて、リフォーム等の準備を進めていた民間のアパートが受け皿として機能したことで、移住者がそこそこ増えた。この存在が大きい。彼ら(以下、theyっていう意味で使ってます。男女問わず)は、若く、素直に、自分の成長と町の成長をリンクさせながら、ここに存在している。多分。

以上も以下も、私見でしかないけれど。
町全域に避難指示が出され、誰もそこに住めない段階で大熊に関わることにしたよそ者(私)は、まず震災前の町と町民とその現状に関心がある。かつての町やそこに住んでいた人たちのことを知りたいと思い、(語弊はかなりあるけど言ってみれば)同化したいと思い、現状とのギャップを理解しようと思ってきた。
町に移住者を受け入れる素地がなかった時点(2019年4月に避難指示が解除されるまで、婚姻と出生以外の住民票の受け入れはなかった。住めないのだから当然)で飛び込んできた人間には、やっぱり震災前の町への執着は、自分の関心としても、仲間として受け入れられるためにも必要だったと思う。(そして、実際に自分も「大熊町民」として生活を始めるにつれ、生まれていく自我に戸惑う4年でもあったなあ)

今、町最初の避難指示解除から4年を経て、避難指示が出された地域への「移住政策」がおぼろげでも成り立つ段階に来て、ある意味、ちゃんと求められてやってくる、帰ってくる若い世代の健やかさを感じるのである。

彼らが、自分たちを体現していく場としてこの地を選び、その要素には大熊が事故を起こした原発立地町であることは直接間接的に多分に影響しているとしても、新しく何かをここで生み出したいと思っていることを健全だと思う。そして、町にも移住者を受け入れる余地が出てきて、ある程度のサポートもできる。当の本人たちがどう感じているかはわからないけど、うまくかみ合う感じがする。
皮肉っぽく聞こえるかもしれないけど、皮肉はない。というのも、彼らがいることで私が自由になった実感があるから。

なんだろう。私の主な関心が過去と現在をつなぐこととしたら、現在と未来を領分とする人たちが来てくれた、ような。つながる先が目に見えてきた、ような。それによって、この町が抱える過去への執着も薄まらざるをえないんじゃないか、というような。

具体的に町の中で「移住者」や(そう若くなかったけど)「若者」として期待される役割も移行している実感もあって、それも含めて、ありがたいと思う。と同時に、「あ、私は私のことをもっと考えよう」と思う。大熊にいるだけでありがたがられる私のフェーズも終わり、ということだ、たぶん。そこに自由を感じる。甘えが通じなくなる怖さも含めて。

もちろん、なんにせよ人それぞれなので、人を勝手に属性にわけてひとくくりにはできない。あくまで私が個人的にじわじわ感じていた2022ー2023年にかけての変化。
そして2023年3月、大熊だけでなく、もっと避難指示が早かった浜通りの地域や、さらに避難指示が出てなかった県内の地域でも同じような「世代交代」とか「段階が変わった」みたいな感想が多く聞かれて、「へえ、そこは同じタイミングなんや」と意外に思い、なかなか真面目な仏教信者の実家で育った私は「『13回忌』ってなんか区切りになるのかねえ」と思ったりした。

あ、写真は夜の大野駅から見た風景。建物がどんどんどんどん解体されて、まっさらになっている。大熊の変化はこれからも続く。多分、私の変化も。

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