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ねこ神社

その南の国では猫は「神様のお使い」として大切に遇されている。ノラ猫が石灯篭によじ登って花で飾った供物を食んでいても、人々は気にしない。そのしなやかな獣を微笑ましく眺めている。寺院では黄色い法衣をまとった少年僧らが磨き抜かれた床に座って経典を唱和しているが、その間を縫うようにして一匹のトラ猫が泰然と歩いている。まるで導師であるかのように。

日本国でもようやく機が熟したようだ。今では大抵の家で猫が大切に飼われている。「猫を切らさない」というのは密かにその家の主の矜持でさえある。町内会には「猫組」という互助組織もある。事情があって飼えない人のために、ご近所でゆるやかに猫をシェアーするのだ。その「午後の集会」で人々は色々な情報もシェアーする。(最近は、シャム国の美少女を後妻に娶った寿司屋の話題で持ち切りだ。ほどなく妻には間男ができた、寿司屋はその間男を運転手に雇った、妻の里帰りも三人で行った、などなど・・・)猫は猫でよその家の食べ物を貰い毛並みの手入れをすますと、その怜悧な瞳にはまるで何も映さずに、人々の間を悠然と歩く。その歩き方が美しい。

猫はその家の陽(ひなた)をめぐり雨を舐めながら、ゆっくりと老いる。飼い猫が死ぬと家族は、その小さな躯(むくろ)を家の匂いが沁み込んだ柔らかい布に幾重にも包み、地域の「ねこ神社」に持って行く。宮司の妻、もしくは娘が包みを抱き取り、大抵は木蔭に設えた「ねこ塚」に埋葬するのだが、この手順のお陰で人はあまり泣かずにすんでいる。もしかしたら「猫は天のもの」という考え方が浸透しつつあるのかもしれない。人々は前より静かになった。

バスに乗っていて「ねこ神社」に差し掛かると、人々は三々五々その方角に手を合わせ始める。細い数珠を取り出して小さく経文を唱えるご婦人もいる。車内は荘厳な光と水晶が擦れ合う微かな音に満たされる。バスは神社を通り過ぎて人々を運ぶ。

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