#01 ライトハンドマーカー 不変的才能
「僕の右手は世界を相手にしている。」
右手でペイントマーカーを強く握り壁に描く。
それは世界で僕にしか描けない絵。
自信はないけど、確信があった。
いや、確信はないけど、自信があったんだ。
死のうとしている人間に命を与え、また、死んでしまった人間が最後に目にする絵。
壁に絵を描き終えた僕にジャーナリストが言った。
「なぜここにこの絵を描こうと思ったのですか?」
僕は言った。
「自殺する人間がどんな状況で何を考えているかなんてわかりません。僕にわかる事はこの絵を目にしていた時は生きていたという事だけです。」
僕は子供の頃から左手が不自由で、右手に比べ握力は半分以下だ。
左手で掴めないモノを必死で掴まえてきたつもりだ。
この6年間。
右手一本と左手を握り締め。
1997年 夏 (8年前)
生涯忘れる事のない彼女との出会いは涼しい風吹く初夏だった。
僕の家は田舎の海岸沿い小高い丘の上にあり、景色は最高だ。
近くには都会の大学病院の精神病棟がある。
よく白衣を着た先生が手をつなぎ患者さんと海沿いを歩いているのを目にしていた。
夏休みを目前に控えたある日。
砂浜で絵を描く女性を見かけた。
「凛ちゃんそろそろ戻りますよ。」
担当医らしき男性に手を引かれ病棟の方へ向かって行った。
普段見ない顔だったので、新しい患者さんが来たのだと思った。
次の日もまた次の日もその子は砂浜で絵を描いていた。
患者が担当医に連れられ浜辺を訪れるのは珍しい光景ではないのだが、その女性が妙に気になり話し掛けてみる事にした。
近付いてみると二十歳そこそこの黒髪の女性で、僕を見るとニコリと薄ら笑みを浮かべた。
ふと描いていた絵を覗き込んでみるとそこに描かれていたのは海ではなく、ビルやら電線やら電車やら、ここにないものばかりが描かれていた。
「これは何の絵?」
思い切って聞いてみると彼女は指を差しながら言った。
「ここが私の家。で、こっちがパパの会社で、ここは良く食事したレストランのあるビル。」
彼女は嬉しそうに答えてくれた。
僕は表情を曇らせた。
ここは重度の精神障害を持った患者さんが訪れる病棟があり、澄んだ空気に穏やかな気候、目の前に広がる太平洋、都会じゃまず味わえない。
ここで心の病を克服してまた社会に戻っていく事が理想。
現に僕も十年くらい前になるが、この病棟の出身者だ。
僕の場合は幼い時の精神的ショックで左手が動かなくなってしまい、その療養でやって来ていた。
そのまま引き取り手のなかった僕は病棟の近所の老夫婦に養子として受け入れられた。今でも当時の担当医だったエス先生とは良く話す。
病棟の中にも友達が何人かいる。
そんな精神障害者には慣れていた僕でも彼女には異質なものを感じ、エス先生に話をしてみる事にした。
エス先生は今年で四十歳になる女性で本当にお世話になった。
今でもたくさんの患者さんを抱えていて、周りの先生からの信頼も厚く、母のいない僕にとっては母親変わりだった。
昼休みの時間を見計らって、エス先生の部屋へ行った。
先生は菓子袋を開けコーヒーを飲んでいた。
十分程近況報告をした後に本題を切り出した。
一週間前から砂浜で絵を書く女性を見る事、話し掛けみた事、何か異質なものを感じた事。
すると先生は言った。
「それは凛ちゃんね。ショック性の精神障害で先週ここへ来たのよ。一応、担当は私と去年転勤してきたケイ先生が担当しているのよ。」
ケイ先生というのは先日、彼女と砂浜にいた男性の事だろう。
エス先生は僕の目を見て話を続けた。
「あなたは異質だと思うかもしれないけど、ここはそういう所なの。良くわかっているはずでしょ?あなたがここへ来たばかりの頃も相当手を妬いたのよ。ここはデータや薬や世の中に出回る療法をやり尽くして、それでも治らない心の病を抱えた人が豊かな自然と共に緩やかな時間の中でゆっくり時間をかけて治して行こうという所なの。生きている事を実感する事がまずは始めの一歩なの。あなたの左手も完全には動かなかったけど、来たばかりの頃よりは動くようになったし、いつか完全に動くようになるわ。それより、大事な事はあなたが普通に生活できている事。凛ちゃんもこれから先長いんだからゆっくり心を開いてくれるといい。」
1986年 都内某所 真冬の早朝 (11年前)
母は僕が生まれてすぐ家を出た。
身寄りもない僕と父は都内の貸家に細々と暮らしていた。
裕福ではないが、貧しくもなかった。
楽しかった。
12月の朝、目を覚ました僕の目の前で父は必死に語りかけていた。
幼かった僕は何を言っているのかわからぬまま、父の最期の言葉を聞く事になる。
「本当にごめんな。俺はオマエが生まれた事を本当に嬉しく思っているよ。ありがとう。」
そう言うと父は右手に握り締めた剃刀で腕まくりした左手首を切った。
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