理系の研究室

32番目

大学2年から部活に精を出しすぎた私は単位をもれなく落とし続け、通常4年生で研究室に配属となるところを5年生での配属となる体たらくであった。理系の研究室は全部で33つあり、配属される学生は配属先の希望(33つの中で行きたい順位をつける)を出すことができる。私は先輩方から楽だと聞いていた研究室から順位をつけたが、当時は成績順に配属希望が叶うシステムとなっているため、5年生の私は当然のごとく後回しで結果として32番目の研究室に配属となった。33番目の研究室は大変厳しいということで有名だったため、32番目でホッとしたのも束の間、実は32番目と33番目は共同研究室であることを知り絶望感を味わう羽目になった。

4月1日

研究室には私含め32番目に3名、33番目に3名の計6名の新人が配属となり、33番目には留年生3名(5年生、5年生、6年生)。32番目には現役生2名(4年生、4年生)と私(5年生)という構成であった。なお研究の内容について33番目は「燃焼」、32番目は「プラズマ」であった。そのため、我々学生もそれぞれの研究室のことを"燃焼”、”プラズマ”と呼んでいた。
私を含めた5年生以上メンバーは成績不振により配属となったが、4年生の2人は事前情報をちゃんと把握しておらず間違えて入ってしまった可哀想なメンバーであった。4年生のうち1人は本当に真面目でちょっと内気な細身男子。もう1人はアメフト部で先輩に騙されて入ってしまったこちらも少しシャイボーイであった。研究室には大学院の先輩もおり、”燃焼”のM2(大学院2年生)に2名、M1(大学院1年生)に1名、”プラズマ”のM2に2名という構成。特にM2の先輩方には社会に出てからも役に立つ小技をいくつも教えてもらい、今でも大変感謝している。
さて、4月1日に早速配属となったが、ここで研究室のルールが発表された。1日のコアタイム(研究時間)は10:00~18:00、ゼミは毎週月曜13:00~、夏:英語論文の和訳説明、冬:卒論発表。比較的一般的な内容ではあるが、他研究室に比べると圧倒的に拘束時間が長いことがまずは気になった。
2つの研究室の教授はどちらも50代の男性で、”燃焼”のK教授は人の観察が得意なタイプで隙を逃さないタイプ、”プラズマ”のT教授は江戸っ子気質のある気の短めなタイプだった。特にK教授は猛烈な個性があり、なぜかオネエ口調で学生たちをとことん追い詰めるので非常に恐れられていた。

誠意ポイントをためろ

4月1日に配属となった直後、M2の先輩が我々新人に裏の注意事項を色々と教えてくれた。その中でも特に印象的であったのが「誠意ポイントをためろ、少しはゼミが楽になる」というアドバイスであった。この研究室のゼミは私が想像していたような甘ったるいものではなく、研ぎ澄まされた空間で徹底的に理詰めを受けるとんでもないものであった。
初回のゼミをよく覚えているが、同期の長島君がK教授に「アナタ車は好き?」と問われ「好きです」と答えたところ、「じゃあ、ガソリン車とディーゼル車のエンジン構造の違いについて説明してよ」といきなりペンを渡されホワイトボードの前に立たされた。説明できずに立ち尽くしていると、「そもそも内燃機関と外燃機関の違いはわかるの?」とどんどん理詰めにされていく、しまいには「そんなことでよく車が好きって言えるね、ねぇT先生」と言われる始末。とんでもないところにきた、と大変後悔した。
週一回のゼミ発表は2研究室の持ち回りで行われ、大学生と大学院生が順番に2週間の進捗発表を行う。持ち時間は大体10-20分程度だが炎上するとこれが延長される。2人の教授は学生の発表に対し徹底的に重箱の隅をつつくため、ほとんどのケースで炎上しサクッと終わることの方が珍しかった。私が見た中で最悪ケースは同期の松本君で1時間超の涙ありの大変な大炎上であった。
ただ、そんな環境の中でも順調に発表が進みサクッと終わる先輩方のやり方が「誠意ポイントをためる」ということであった。誠意ポイントと聞くと抽象的であるが、具体的には研究室で日々実験をする中で進捗を教授にちょこちょこ報告したり、真面目に実験に取り組む様をアピールしたり、といった日頃の行動のことであり、これによりゼミ時の負担を減らしていたのである。この考え方は社会人になってからも大いに活用させてもらっており、大変実用的なアドバイスであったと感謝している。

早朝の緊急搬送

こうして私の研究室生活がスタートし、私含め同期は皆毎週のゼミに怯えながら日々を過ごしていた。なお、ゼミの中だけではなく一日8時間を過ごす研究室の中では常に教授が目を光らせており、おかしな言動がないかを監視していたため、我々学生は受刑者のような気持ちで日々研究室に通っていた。ある日の月曜、この日も例によってゼミの当日であったが、朝からどうも教授達の動きが慌ただしい。大学院の先輩に聞いてみると「吉沢が駅で倒れたらしい」ということであった。吉沢先輩は研究室唯一のM1女子で、小柄で非常におとなしい方だった。この刑務所のような研究室でよく頑張っているな、と思っていたがやはり無理をしていたのであろう。早朝の駅で過呼吸で倒れ、そのまま救急車で搬送されたということだった。当日ゼミの重圧がよっぽど重かったのだと推察する。その後、吉沢先輩は姿を一度も表すことはなかった。

松沢先輩

もう一名、この研究室で心身に支障をきたした方がいる。”プラズマ”M2の松沢先輩である。松沢先輩は他のM2先輩と比べ誠意ポイントをうまくためることができていなかった。決して不真面目には見えないのだが頑張りを感じないように捉えられてしまう、という何とも不器用で不遇な方だった。その誠意GAPを埋めるべく、松沢先輩は毎日研究に勤しみ、大量の分析をこなすために分析室にこもって作業を行うことが多かった。分析室は大量の機器が発する熱を冷却するため、冬でも冷房が掛かっている部屋であったが、そこに篭り続けていた松沢先輩はとうとう夏でもダウンを着るようになっていた。M2の他先輩によると松沢先輩は毎回のゼミで強烈な叱責を受け続け自律神経がやられていたらしい。真夏にダウンを着て分析室と研究室を往復している松沢先輩を見て、下手は打てないと気を引き締めた。

人のをパクれ

”プラズマ”M2のもう一名はメイド喫茶好きなちょっと変わった爽やかイケメン先輩であった。イケメン先輩から頂いた大きな学びとして、ネットの使い方がある。資料を作るべく悪戦苦闘している私に先輩がかけてくれたアドバイスで、1から全ての図や説明などを作るのは愚の骨頂。ネットに既にまとめている人がいるんだからそこからパクれ、と言うものであった。確かに限られた時間でそれなりのアウトプットを出すためには自分で全て1からやっていたのでは間に合わない。「得意なやつに任せたら良いんだよ」ということで、その日以降ガンガンネットの情報を駆使するようになった。また、ネットには嘘の情報も多数あることも学んだ。特にWikipediaは自由に編集ができるため情報量自体は多いが正確性に欠けるものも多いと感じる。

アイツと呼べ

”燃焼”のM2先輩方は2人とも非常に優秀であった。どちらもアメフト部に所属し特に成績が悪いわけではなかったが、事前の情報収集を怠り間違えて”燃焼”に入ってしまったということであった。研究室での立ち回りを含めても優秀で、卒業後は日本を代表する大企業に就職していった。この先輩方2名は研究室での立ち回りが特にうまかったが、K教授に対しての裏での発言は「人として尊敬できない」と非常に辛辣なものであった。ただしこれを表に出すことは決してなく、我々新人に対しても「うまく立ち回れ」「裏で話をするときは具体的な名前を出すな、”アイツ”と呼べ」とアドバイスをいただいた。なお、同期の松本君は友達とのラインでK教授の実名を出して罵倒しており、それをあろうことかK教授にうっかり見られてしまうという大ハプニングがあった。その後、K教授から彼への当たりが苛烈なものになったことは言うまでもない。

約束を守る

”燃焼”に配属となる学生は訳ありメンバーが多かった。私の同期は全員留年生、その前もずっとそうだったらしい。そのため、K教授の中では「学生は怠けるもの、ワタシがそういう学生を更生させてあげないと」という義務感が蓄積されていっていたのだ。K教授のスタンスがそういうことであったため、学生達は基本的には懐疑的かつ性悪説での対応を終始受けることとなった。
学生達に与えられるお題の中に「海外論文の和訳説明」というものがある。2-3ヶ月前に教授からお題となる英文論文を与えられ、それについての和訳と深掘りをした上で皆の前で説明するというものである。2−3ヶ月前にお題を与えられるため、発表までに時間がなかったなどの言い訳は通用しない。しかし、問題ありな燃焼メンバー達は皆その期限を守ることができなかった。2−3ヶ月前から提示されていた課題に対してなぜ手をつけなかったのか、これに関しては私も理解に苦しむところがあったが、結果として教授達への誠意ポイントは貯まるどころかマイナスとなり、ゼミでより一層の追求を受けることになった。


まだエピソードはあるのだが、本日のところは一旦ここまでとする。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?