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言語と性格

引っ込み思案の傾向

教室では、後ろに座って先生と目を合わせないようにする小学生だった。授業よりも休み時間に何を誰と遊ぶかを考えている事が多かった。遊びになるとイキイキして、学習に関係する場面や慣れない場所に行くと引っ込み思案の性格が顔を出してくる。そんな小学生時代を過ごした。これは、シンガポールに住んでいた時も日本に帰国しても変わらなかった。知らない事や未知の事に対して非常に慎重なタイプだ。今の仕事を知っている人には想像し難いかも知れない。

最初の頃は

英語を本格的に学び始めた頃、15歳の時に2ヶ月近くイギリスにホームステイした。インターナショナルスクールに入学する前の準備期間。その時には言語に慣れない部分もあり、自分を表現する事に苦戦した。何より声が小さかったし、出来るだけ話さないで済むようにしていた。完全におよび腰体制。人前で話す、特に自分の意見を発信するのは苦手だった。その割にだしものとかのタイミングでは、人前で歌を歌ったり、演技したりするのは好きで積極的に参加する傾向もあったのだ。役割が明確だとその役になりきる事には抵抗を感じていなかったのかもしれない。

気づきのタイミングは…

大学院の大半も英語で過ごす時間が多かった。日本語にがっつり触れるようになったのは、就職したタイミングだった。就職した時の話は後日書く事にする。自覚は無かったのだが、日本にいる時と出張で海外にいる時の自分は話し方のみならず、性格まで違っているらしい。先ほど触れたエピソードに関連しているのかもしれないが、英語を話す自分は演じる事に近いのかもしれない。英語を話す自分はハキハキしている傾向がある。日本語になると使う言葉も異なる気がする。私の場合は、話す言語によって性格も変わるのかもしれない。または、もともとなりたいと思っている自分に英語という言語を理由にして表に出している部分もあるとも考えられる。どちらも私にとっては自分だ。

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