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それでも私は、

まだ梅雨明け前なのに連日の猛暑、酷暑のせいで脳みそまで溶けてしまいそう。
暑さのせいで私の記憶媒体までいかれそうなので最近の思ったことなどは早めに文字に起こしてしまいたくて連休最終日に筆を取る、もとい薄い板を連打しています。

まずは個人的にめちゃめちゃ心配していた大腸カメラ(内視鏡)の検査。
結果、無事になんともなかったし検査自体も超快適というと変かもしれないけれどなんの苦痛もなかったです、よかった!

胃カメラに比べて大腸は苦しいとかしんどいという話は昔から耳にしていたし、実際昔親の検査について行った時は途中で麻酔が切れたのか、叫ぶ姿に慄いていたし色々と調べれば調べるほど不安しかなかったですが、いざ検査当日になるとしんどいのは早朝から飲む大量の下剤ぐらい。
私が検査を受けた病院では下剤の種類が選べるようになっていて、3種類あるうちから1番飲みやすいと言われているものにしたらちょっと酸っぱいポカリみたいな味で全然苦しまずに飲めました。肝心の検査自体も鎮静剤のおかげで『寝ても良いですよ〜』という先生の声を聞きながら脳みそがふわふわしてきて、気づいたらそこで記憶が途切れ、目覚めたらすでに全て終わっているというとんでもなく楽ちんな検査でした。
自分で内視鏡検査が上手いと口コミがあった病院を探して行った初めての病院だったけど、先生も看護師さんもとても優しくて手際も良くて、事前の説明もすごく丁寧にしてくれたおかげで何一つ苦しいことなく検査できました。
30代なので今度もしまた胃や大腸の内視鏡検査の必要があれば是非とも再度お願いしたいところ!


さて、本題はここからになるのですが。
推しが結婚します。


Highlightのドンウン。
先日突然公式Twitterとインスタで9月に一般の方と結婚式を挙げると発表がありました。
K-POPオタクをやめてから数年、つい先日たまたまアマプラのドラマでドンウンに再会し、彼らがグループ名を変えてから一度も見れていなかったMVを見たりインスタやYouTubeライブを見たりしていたタイミングだったので、推しというには烏滸がましいかもしれないですが。私の青春時代の最高のアイドルの彼の発表に想像以上に動揺しています。
そして何より、結婚の発表を聞いて最初におめでとうと思えなかった自分に1番びっくりしています。
ドンウンは私と同い年の91年生まれ。兵役も済ませ、一般の韓国人男性としては適齢期なのかもしれません。
それでも、解散した訳でもない現役のアイドルで速度違反(いわゆるできちゃった結婚を韓国ではこう呼ぶ)でもない(発表されていないだけかもしれない)し相手が同業者でもなく一般人との結婚を事前に報告する意味とは、、と思ってしまった自分に、なんというか失望しているし驚きもしています。
東方神起のチャンミンが結婚発表をした時は、一度も報道されなかったのすごいな、と感心したと同時におめでとうと思えたのに、ドンウンの時は動揺してしまったのはやはりそれだけ彼のことを好きだったからなのか。
流石に30代になると、思春期という名の黒歴史時代の時に散々妄想していた、推しと結婚云々は今更考えないし、アイドルにも私生活があることを重々承知しているはずだったのに。
思っていた以上に動揺してしまって発表以来Highlightのパフォーマンスにも目を向けられなくなってしまった自分に苦笑してしまう。
ドンウンからすると、私1人が彼の結婚をどう思おうが全く関係ないだろうけれど、それでも韓国でデビューした当時からファンをやめるまでの間の日本でのライブは単独以外も全部行ったし、ミュージカルに出演した時やアルバムのサイン会の時は韓国まで行き、日本でのソロ活動の時だって朝早くから並んだ。
だからどうしたという感じだし、これだけ時間やお金を使ったからと見返りを求めるつもりも毛頭ないけど、発表のあと少なからず寄せられた非難の声や、その後のインスタライブでドンウンが泣いていたというツイートを見たりすると、本当になんで発表したんだろうという気がしてしまう。
ファンという言葉はとても便利で、ある意味で免罪符になってしまうのかも知れない。
だとしても私が彼の人生に口出しする権利も権限も何もないのは重々承知している。
この発表が、彼のアイドル人生と私生活にどう影響するかはわからない。正直言うと今も発表した理由がわからない。
けれど10代の頃から厳しい芸能界で生き抜いていきた彼が、メンバーの中で誰よりもファンの立場に立った言葉をくれる彼が、こういう反応が来ることもわかった上で発表することを選んだという彼の意思を私は尊重したい。
何様なんだと自分でも思うし、書き出してみると思ったより未練タラタラな人間みたいだけれど、どうかこれ以上謝らないでほしいし、謝る必要もないし、発表すると決めた以上、堂々とアイドルを続けて今よりもっと幸せになってほしいと思う。
もうファンとして一緒に歩むことをやめてしまった人間が何をこんなに長々と書いているんだと自分につっこみを入れながら書いているけど、Twitterの140文字だと少な過ぎるので、こうやって長文で書ける別の場所があって良かった。
どうか今後の未来にも幸あれ、そして今後もアイドルとしての姿を見せてくれることを願って。これだけつらつらと書いておきながらまだ素直におめでとうが言えない天邪鬼な元オタクでごめん。長い時を経てまた好きにさせてくれてありがとう。ちょっと自分でも何を書いているかよくわからない。


最近はもっぱら男性ブランコが出ているライブイベントを配信で見たり、ジャニーズJr.の合同コンサート『わっしょいCAMP』なるものでついにジャニーズのコンサート初の一部撮影可能な場面が出てきたことに驚きを隠せない古の出戻りオタクですが。
なんというか、ひよっこお笑いファン兼出戻りジャニオタとしては、推しに認知されたくないなあと思っている今日この頃です。
地下アイドルを応援していた時はファンの母数が少な過ぎて、認知というのかファンもメンバーもみんな知り合いみたいな界隈にいて、それが楽しくもあり厄介でもありという経験をしていましたが。
そもそものファンの数が多すぎるジャニーズと、人気急上昇の男性ブランコ(なんとなくの感覚ではなく浦井さんのトークライブのチケットが外れたりその他も色々と取れない経験をしての実感)だとそんな心配をする必要は全くない気もしますが。なんというか、大勢のファンのうちの1人でありたい。私という個人を認識して欲しくないなあという気持ちが最近強いです。
例えば私が好きだと言った曲をイベントで歌ったり、好きな作品の話をラジオでしたりするようなことにはなって欲しくないなと。(地下アイドルファン時代の本当にあった嘘みたいなお話。私だけでなく周りのお友達たちも同じような経験が多々あった)
自惚れているだろうけど、私の存在や発言が推しにとって何かしらの影響を与えて欲しくないなと漠然と思っています。
何か嫌な経験をしたわけでもないし、これという明確な理由ができたわけでもないけれど、なぜか最近そういう感覚になります。
10代、20代の頃は推しに気づいてほしい!私のことを見てほしい!みたいな気持ちが全面に出ていたけれど、30代になってからは推しのことは見たいけど私の方は見て欲しくない、ひまわりみたいな気持ちです(?)
(※昔TEENTOPというK–POPグループの歌詞に“君のことだけ見つめる私はまるでひまわりみたい〜”的なフレーズがあったのを唐突に思い出したため)


そういえば、ジブリの最新作『君たちはどう生きるか』を観てきました。
事前の情報がほとんど公式から出ず、SNSで観た人の感想が増えてくる前にと早めに観ましたが、感想が増えていてもどこまで理解できたのか、という感想(?)でした。
多分観る人のタイミング(年齢やバックグラウンドやその他経験値等々)によって捉え方や感じ方が違うだろうなと思ったし、どこまで咀嚼できたのかまだわからないところが多々ありますが。
個人的にはこういう観終わった後に色々と考察したり考えたりするタイプの作品は大好きなので、しばらく余韻に浸りながら2度3度と味わうんだろうなあと思っていますが、私はこの映画からは命の繋がりと自分の選択の結果が全部自分に返ってくるんだなということを感じとりました。
当たり前のことですがご先祖がいて今の自分がここに居るんだということを改めて実感したし、お盆前のこの時期に見たからこそ、お墓参りちゃんと行こうと思ったし、輪廻転生というのか、人が生まれて死んで、また別の世界線で生きるみたいなパラレルワールドなのかタイムスリップなのか、そういう世界線があってもいいなと思ったし、バタフライエフェクトというのだろうか、小さな選択が後々大きな結果を引き起こすみたいな物事の繋がりってあるんだなあと実感したし過去が現在と繋がってまた未来にも続いていくんだという、全然上手くまとまらないけれど人間とは、生きるとは、という問いを2時間ほどずっと問いかけられているなあと感じました。それもあってのタイトルなのかなあと。
タイトルが観客に向けられた問いだとすると、私個人としては自分の気持ちには正直でいたい、ということに尽きます。
WhyでもWhenでもなくHowだよなあと。なぜ生きるかじゃなくてどう生きるかだよなあと改めてタイトルを反芻してます。

上で散々好き勝手書いてきた元推しへの想いも、今の推しに対する想いも、全部全部本心だし、なかなか知り合いがいる場所だと書けない気持ちだけど嘘偽りない感情だし、ちょっと飛躍するけれど仕事上で合わない人や苦手意識のある業務に対して、社会人なので平気なふりしてこなしてるけど、どこかであの人やりづらいわーとか、この仕事なんか苦手だわ、みたいに本心を吐き出して自分で自覚しないと私みたいな色々と感情を押し殺して我慢して限界突破してしまうタイプの人間はどう生きるかを忘れてしまうんじゃないかなと思う時があります。
タイトルの元となった本を私は読んでおらず、なんとなくあらすじだけ聞き齧った程度ですが、これを機に本の方も読んでみたい次第です。
監督が若い頃に読んで影響を受けた本、ということなので今回の映画とは直接的な関係はないのかも知れませんが、最近青空文庫で日本文学の名著たちを改めて読み始めていて読書熱が再燃してきている私にとってはすごく良いタイミングな気がする。

今回の映画の冒頭の戦時中、戦後から現代まで目まぐるしく変わっていく日常生活の中で、普遍的なものってある気がします。
それが先祖を大事にすることなのかはたまた推しに対する感情なのかはわかりません。
難しく考えちゃってますが劇中のワサワサみたいな白いやつ(もう名前を忘れてしまってる)が可愛かったし、これでもかと出てくる大量のインコは、大学時代の授業の一環で観た映画『Bird』(鳥が大量に出てきて人が襲われる映画)を思い出してしまって終始首元あたりがゾワゾワしました。
そんな夏の或る日。

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