『オリエント急行殺人事件』('17)

'17年にmixiにあげていた文章です。
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https://youtu.be/0tbLbOGr6uA

さて、あまりにも面白すぎたケネス・ブラナー監督/主演による映画『オリエント急行殺人事件』。
デヴィッド・スーシェの当たり役だったポワロ/ポアロをシェイクスピア演劇や『マイティ・ソー(2011)』でお馴染みのケネス・ブラナーが演じる……というのも驚きなら、そのスーシェ版ではトビー・ジョーンズ(『キャプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジャー(2011)』のアーニム・ゾラ博士)が演じた殺人被害者、エドワード・ラチェットをジョニー・デップが演じたというのもスゴイ話。

さて『オリエント~』の粗筋、これはもはやミステリーの超・スタンダードすぎるので説明してしまいます。ネタバレがどうのとうるさいアナタは回れ右。

※全然関係ないんですけど、まさに今TVで流れていたテレ東のドラマ特番『黒い十人の秋山』が完全に『オリエント~』のプロットを拝借していて、でも最後には一捻りあって良かった。

『黒い十人の秋山』公式HP
http://www.tv-tokyo.co.jp/kuroijyunin_akiyama/

『オリエント急行の殺人』原作小説の基本プロット
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1930年代、冬のイスタンブール。世界一の探偵エルキュール・ポアロはカレーに向かうべく豪華列車「オリエント急行」に乗車する。ところが真冬にも関わらず列車は満室であった。運よく知人の車掌長ブークの斡旋を受けることができ、なんとか列車に乗車できたポアロ。ポアロと共に乗り合わせた13名の乗客はいずれも人種、年齢ともにまばらな人々であった。

クロアチアの山中、列車が豪雪で立ち往生していると、広義の密室(いわゆるクローズド・サークル)のはずの一等客車内で殺人事件が発生する。全身をめった刺しにされ殺されたのはアメリカ出身の老富豪、エドワード・ラチェット。列車掌長の依頼で捜査を開始するポアロ。殺されたラチェットがかつて未解決に終わった児童誘拐/殺人事件「アームストロング誘拐事件」の実行犯だったことがわかるものの、謎が謎を呼び推理は思うように進展しない。

実はポアロと車掌長以外の乗客は全て旧知の間柄であり、「アームストロング誘拐事件」の被害者の親類、友人たちであった。ラチェット殺害は乗客全員の共謀による犯行だったのだ。ポアロと車掌長以外の全員が下手人という、あまりにも意外なエンディング。
列車は復旧し、ブロドの駅に到着する。しかし殺人者たちに同情したポアロは警察に真実を語らず、クロアチアの地を去るのであった。
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今の目で見れば(その後、あまりにも多くの模倣作品が世に氾濫したため)、ややもすれば陳腐のような気さえしてくる年代物のプロットなのだが、しかしこの原作は1934年に発表されたもの。評価する際にはその点をご考慮いただきたい。

この『オリエント急行の殺人』が広く読者から人気を集めているのは、ポアロが殺人加害者に同情し、真実を公表せずに現場を去る……というユニークなエンディングによるところが大きいだろう。
原作小説および1974年の映画版ではこのあたりのポアロの心情はかなり軽薄に描かれており、ウインクでもして「黙っててあげますから」ぐらいの印象を受ける。

しかし、2012年。日本ではNHKでも放送されていたロンドン・ウィークエンド・テレビ製作&デヴィッド・スーシェ主演によるTVシリーズ『名探偵ポワロ』第12シーズン/通算64話として放送された『オリエント急行の殺人』では、そのようなライトなノリは消滅。
原作の基本プロットは守りつつも、前後に暗示的なシーンを追加することでより心理ドラマとしての側面を深めている。

具体的には、

冒頭では別の事件の捜査シーンが短く描かれる。ポワロは過失殺人を犯した青年将校を詰問するが、彼は一瞬の隙を突き、銃をとって自殺してしまう。後日、ポワロはこの行動を青年の友人だった将校に非難される。

将校「あえて申し上げます 中尉が払った代償は不当だったと思います」
将校「いいやつでした あれは事故だったんです」
ポワロ「不当?」
将校「彼は判断を謝りましたが善人でした」
ポワロ「自殺は逃げです」
将校「彼に選択肢がなかった」
ポワロ「彼自身が選択したんです」
ポワロ「ウソをつき 法で裁かれる道を」

ポワロが追及せねば将校が死ぬことはなく、また死んだ将校は故意の殺人者ではなかった。ポワロはそのような状況を踏まえても尚、真実の追求と法が定めた刑罰の徹底を訴える。ポワロの遵法精神を強く印象付けるシーン。

2.

オリエント急行に搭乗するべくイスタンブールに移動したポアロは、不倫のかどで妊娠した女性が姦淫の罪に問われ、石打ちの刑に処されている所を目撃する。この光景はオリエント急行に同乗することになるメアリー・デベナム女史も同時に目撃しており、乗車後に箱の件について議論を交わすことになる。

ポワロ「今朝 街で見かけました」
メアリー「あれも?」
ポワロ「ええ 衝撃をうけたようですね」
メアリー「当然でしょ 助けられなかったし」
メアリー「違う?」
ポワロ「そうですが――」
ポワロ「時に正義を直視するのはつらい」
メアリー「正義?」
ポワロ「英国の絞首刑と同じです」
ポワロ「異文化に干渉してはなりません」
メアリー「彼女は人殺しじゃない」
ポワロ「罰を承知で掟を破った」

悪法もまた法なり。文明人には野蛮な私刑としか見えない「石打ちの刑」を、ポワロは「現地の正義」と見なし容認する姿勢をとる。
「不倫の末に身籠った」という罪で殺されるトルコ女の一件は正しいとしたポワロが、後のラチェット殺害――「5歳の子どもを誘拐/殺害し、一家を破滅に追いやった」ラチェットへの報復殺人については、間違った行いだとして非難することにドラマがある。

3.

『名探偵ポワロ』版『オリエント急行の殺人』ではポワロはメアリーらの犯行に逆上し、以下のような口論を交わす。

ポワロ「あなたたち! 陪審員を気取って正義を振りかざすとは」
ポワロ「そんな権利は誰にもない」
シュミット「ポワロさん あの子は5歳だった」
リンダ「私たちは善人だったのに 悪魔が塀を乗り越えてきた」
リンダ「法に正義を求めたけど 失望させられただけ」

ポワロ「違う 今のあなた方は町のならず者と同じだ」
ポワロ「好き勝手に隣人を裁いていた――中世と同じだ!」
ポワロ「法の精神が揺らいだときは 私たちが必死に支えるべきだ」
ポワロ「それが崩れたら文明社会は すべての拠り所を失う」

グレタ「法の精神より崇高な正義があるわ」
ポワロ「それなら神に委ねればいい」
グレタ「神が動かなければ?」
グレタ「この世の地獄が悪人のためにあるなら?」
グレタ「聖職者は神の名のもとに許されざる者に対しても許すことを強いられる」
グレタ「神は言われた」
グレタ「”罪なき者に最初の石を投げさせよ”と」
ポワロ「ええ」
グレタ「私たちは罪なき者よ ムッシュ」
グレタ「私も罪なき者だった」

メアリーらの犯行にどこか肯定的だった原作とは異なり、その犯行の根拠を徹底的に否定しようとするポワロ。だがその強硬な姿勢も、「私たちは罪なき者よ」の一言に打ち破られる。
このとき車掌長(ブーク)が完全にメアリーたちに感化され、ポワロに犯行を見逃すよう強く言うのもユニークで素晴らしい(この時のポワロは一旦、犯罪を見逃すことを拒否する)。

4.

犯行が明らかになったのち、列車の復旧を待ちながらポワロとメアリーが交わした会話。

メアリー「イスタンブールの女性 あなたは罰を承知で掟を破ったと」
メアリー「カセッティ(ラチェットの本名)もよ」
ポワロ「あなた方も」
メアリー「正義を否定されたとき 人は不完全になるの」
メアリー「神に見捨てられた気分よ」
メアリー「不毛の地で神に問うたわ どうすべきなのかと」
メアリー「神は言われた ”正しいことを行え”」
メアリー「そうすればまた満たされるわ」
ポワロ「結果は?」
メアリー「でも正しいことをした」

この会話の後、復旧した列車はブロドに到着。最後まで犯罪を認めなかったポワロだが、しかし駅で待ち構えていた現地警察にも真実を告げることなく――ひとり静かにその場を離れていく。
この時のポワロの厳しい表情が実に秀逸なんですね。原作小説や1974年版の映画にはない、どこか敗北感じみた感情を滲ませながら去っていくところがイイんです。
ポワロの「信念の敗北」を描いた名シーン。

さて、『名探偵ポワロ』版『オリエント急行の殺人』が原作小説から深化させた要素は、まあおおよそ以上のようなシーンに集約されているだろう。
今回のケネス・ブラナー版『オリエント急行殺人事件』は、この『名探偵ポワロ』版のプロットを下敷きにしていると言って過言ではない。

ケネス・ブラナー演じるポアロは、冒頭からその異常な神経質さを強調して描かれる。彼の朝食は既存のポアロ同様「全く同じ大きさの、茹でた卵を二つ」であるが、ブラナーポアロの執着ぶりはやや異常だ。物差しでしっかりと大きさを計り、少しでもサイズが違えば「これでは食べられない」とダダをこねる。
次に、エルサレムの街路で家畜の糞を踏みつけてしまうシーンがある。ここでポアロは「大丈夫、気にしてはいません。こうすればバランスも良い」と、糞を踏みつけなかった方の靴でもわざと糞を踏みつける。
こうした演出は強迫神経症の儀礼的行為の描写に他ならない。過去のいかなるポアロたちも神経質な一面を有してはいたが、今回のポアロの「バランス」に対する病的な執着ぶりは既存のポアロ像とは一線を画すものがある。

強迫神経症の探偵を描いた人気シリーズと言えば、USAネットワークが製作したTVシリーズ『MONK/名探偵モンク(2002~2009)』が有名だろう。主人公モンクは病的な潔癖症で、たびたび捜査にいらぬ負担を強いられるのがミソであった。

探偵を神経症的に描く物語はほとんど無限に存在するが、マス向けのエンターテインメントで大々的にアピールし、かつ成功を収めたのは『MONK/名探偵モンク』が嚆矢であったとみてもよいだろう。
こうした探偵のキャラクター像はBBC製作のTVシリーズ『SHERLOCK(2010~2012)』などに顕著に受け継がれ、その後のジャンル作品に多大な影響を及ぼした。『オリエント急行殺人事件』のポアロの描写にも影響を与えたかもしれない。

また、もっと明確に本作のポアロ像に影響を与えていたのは、ロバート・ダウニー・ジュニアが探偵役に挑んだガイ・リッチー監督作品『シャーロック・ホームズ(2009)』だ。依頼人の服装など、わずかな手がかりから思考を先読みするのはコナン・ドイルが記したホームズもの小説の見どころのひとつだが、ガイ・リッチー版『シャーロック・ホームズ』ではそうした側面をより一段と大袈裟なものに描いている。今回の『オリエント~』でも冒頭、エルサレムの揉め事のシーンでポアロがあんまりな行動の先読みを披露していて、ちょっとテンションが下がってしまう(ポアロが何か意味ありげに土壁に杖を刺しておくと、犯行が露見した犯人があっちへ逃げてこっちへ逃げてと走り回っているうちに、ポワロの目論見通り、その杖に頭をぶつけて昏倒する……というシーンがある)

今回の『オリエント~』では、列車が停止するポイントが高架橋上に変更されており、ビジュアルの緊迫感を高めていた。マックィーン絡みでささやかなアクションシーンもあり、このロケーション設定はなかなか良い改変だったと思う。
加えて、今回の『オリエント~』にはコンスタンティン医師が登場せず、代わりに医師という役柄がアーバスノット大佐と統合されたことも好感の持てる改変であった。1974年版ではショーン・コネリーが演じたアーバスノット大佐は、なんと今回は医師。そしてそのドクター・アーバスノットは黒人俳優レスリー・オドム・ジュニアが演じているのである。

物語の上で言えば、宗教的な議論にも大胆に踏み込んだ『名探偵ポワロ』版には及ばないものの、ハリウッド大作映画としては上々すぎるほどのドラマ性を堅持している。
ことに冒頭の「バランス」に対する異常な執着が伏線となり、クライマックスのあの名ゼリフに至るという物語構造の巧みさは素晴らしいものがあったのでは。

とにかく今回の『オリエント~』は映像面、音楽面の演出において『名探偵ポワロ』版を大きく凌駕しており、そのことが物語の完成度を大きく向上させていた。
(ラチェット殺害シーンの凄愴さといったら! 殺人という大きすぎる罪を分かち合うように、12人の下手人が一つのナイフで代わる代わるラチェットの身体を貫いていく)

…と、ここまで書いておいてやっと『オリエント~』独自の、重要なドラマ上の改良点を思い出した。
ポアロと「アームストロング誘拐事件」は原作では何ら個人的な関わりがない、ポアロが知識として知っているだけの市井の一事件にすぎなかったが、今回の『オリエント~』ではポアロ個人が事件の捜査を依頼されながらも引き受けなかった事件であった、という風に改変されている。この改変が実によく効いている!
アームストロング家を破滅から救えなかったポアロ。この記憶が、本作でのラチェット殺害に対し12人の下手人を頭ごなしに否定できない重要な因子として活きていた。

さて、情報としては以上の要点さえ押さえておけば『オリエント~』は死ぬほど楽しめることであろう。今さら原作小説を読み返したり、1974年版や『名探偵ポワロ』版を視聴する必要はない。今すぐ映画館に向かうのです。

なお、ケネス・ブラナーの魅力的なポアロは、本作のエンディングでまた別の事件の捜査を依頼され、エジプトに向かうことが示唆される。
もちろん『ナイルに死す(1937)』である。

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