幼少期その1
哀れで、可哀想で、救いようもないほどに無力だった過去の私を弔うために綴る。
小学校の朝の会で出席確認がある。
そこでハンカチと塵紙を両手に持ってスタンバイし、名を呼ばれたら「はいげんきです」と返事する。そのセリフで「はいねむいです」とか「はいふくつーです」とはふざける子はもちろんいた。
私は、「ふくつー」が何か分からなかった。
いや、頭では分かっていたのだ、「腹」が「痛」いと書いて「腹痛」なのだと。
私は感じたことのない不調だな、関係ないやと思っていた。
そんなはずはない。
小学校高学年だったか、突然気付いた。
一気に目が醒めた気がした。
私は何を馬鹿な事を言っているんだろう。
腹痛。
それは毎食後に起こるごくごく当たり前な生理現象となり、いちいち意識することも無いまでに習慣化していた。
小学校高学年は、客観的視点を身につけ始め、身の回りのことに疑問を持ち、自力で自分を変えてゆこうとし始める頃だ。この辺りで思春期に入る子もいるだろう。
私は、母の手料理に疑問を持った。
もっと言うと、
食器を洗わず使い回すこと、料理は常温で保存すること、賞味期限切れしか食べないこと、出されたものはどれだけ食欲が無かろうと全て胃に押し込まなければいけないこと、1週間下着含め同じ服を着続けること、週に一度しか風呂に入らないこと、一切家の掃除をしないこと、夕飯をとるスペースを毎晩確保しないといけないほどテーブルがゴミとガラクタでいっぱいなこと。
...自分の部屋がないこと、自分の布団と夕飯兼勉強テーブルの椅子以外での自分の存在が許されていないこと、友達と遊びに行ってはいけないこと、お小遣い制度がないこと、お年玉を貰ったことないこと、親戚からのお年玉は中身も見ぬ間に全て没収されること、誕生日プレゼントを過去一度だけ貰って以来ずっと無いこと、図書館カードを没収され母の居ない間を見計らってコソコソと本を読まなければいけないこと...
キリがないな。
つまり、高学年になり衛生観念と常識を身につけ始めた。改善しようとすると反抗期と見なされ、親の言いなりにならない悪い子として扱われた。コソコソと本を読み漁って知識を求め、自分の身体で人体実験し、経験に基づく衛生観念を身に付けた。
自分の目で安全が確認できているものしか口に入れないこと。
つまり、保存期間を私が把握していない食材を使って、私の見ていない間に作られた料理は、たとえそれが母の手料理であっても口にしないこと。むしろ母の手料理ほど食べるのが怖いものはないのだが。
そして水際対策として、口に入れる前に匂いを嗅ぐ習慣を身につけた。
私は私を全面的に信頼し、他の誰をも信用しなくなった。
朝は白米と賞味期限切れ常温保存の納豆と賞味期限切れ常温保存の生卵。(納豆は賞味期限切れ10日目だとお腹壊すよ。それ以内ならむしろ食中毒を防ぐよ)
昼は給食、弁当。(弁当のおかずを食べる前に匂いを嗅ぐのを忘れずに。噛んで飲み込む前によく味と風味を確認すること。発酵した納豆の匂いは大丈夫。糸引く炒飯も大丈夫。一週間前にも入ってたソーセージはダメ。何が入ってたか記憶しておくこと)
夜は賞味期限切れ菓子パン。(授業後は部室にできる限り長居し決して家になど帰らないこと。塾を名目に夜10時まで粘り、うっかり親が寝る前に帰って「あそこにアレあるから食べてね」などと言われないようにすること)
中高と、私は頑張った。
それでも、実家で両親と暮らしている以上、全ての料理を断ることは難しいし何より心苦しい。
大学生になり一人暮らしが始まって初めて、私の腹痛幼少期に終止符が打たれた。
以来、腹痛は起こっていない。
(牛乳飲んだ時と食い過ぎた時を除く)
色々と省き、マイルドに描写したつもりだ。
これ以上書くと、過去のトラウマで拒食症になりかねない。実際数年前なりかけたし。
私がなんちゃって医療関係者なのも、お菓子好き(賞味期限を何年過ぎた菓子だろうと腹痛になったことはない、超安心食材)なのも、母のせいであり、母のおかげである。幼少期の私は赦さないだろうが、今の私は彼女を赦している。なんて懐が広いんだ私は!
過去は変わらない。
染み付いてしまった習性も変えるのは難しい。
けど、生き物は成長できる。
今では私は超健康体だと胸を張って言い切れる。毎晩シャワーを浴び洗濯して、毎朝掃除し、筋トレと瞑想し、納豆とサラダを食べる。早寝早起き、趣味は日帰り旅行で歩き回っている。立派な綺麗好き健康オタクになったものだ。
私は私を誇りに思う。
幼少期の自分に会ったなら、駆け寄って強く抱きしめ、頬を濡らしながら言うだろう。いや、しゃくりあげながら鼻を啜るので精一杯だろうか。それでもこれだけは伝えたい。
「あなたは、強い」と。
ぼうっと虚に見上げる私に、私は濡れてぐしゃぐしゃな満面の笑みを返すだろう。
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