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焼肉のプロトコル

 先日、久しぶりに焼肉を食べた。一人焼肉のお店だった。
 ランチメニューを頼んだ。テーブル狭い!肉少ない!(←少ないのを頼んだだけ)と思ったけど、満足して帰ってきた。おいしかった。

 お店で焼肉を食べる時、お肉の量は少ないし、皿が透けるほど肉が薄いのに、なんでこんなに満足するんだろうと思う。
 と言っても、家で焼肉をする時は満足する前に満腹してしまってお肉が残ることがしばしばある。

 スーパーでお肉を買う時、何グラムと言われても具体的にイメージが湧かない。レシピがあるなら、その分を買ってくる。しかし、焼肉をする時、レシピなんてない。しょうがないのでパッケージに焼肉用と書いてあるものを優先的に選んで、ついでに子供が好きな豚バラを買っていくとか、いつも勘で買い物をしていた。

 思い出せ、一人焼肉のg表記の分量を。それを単純に掛け算をした重さの肉を買うんだ。そして家に帰ったら、発泡スチロールのトレーのままでなく大きな平皿に一枚ずつお肉を並べるのだ。多分真っ白か真っ黒な皿がいい。サラダやナムルみたいな野菜ものを、買ったやつでもパックを開けて綺麗にお皿に盛り付けるのだ。そうすれば多分大丈夫。

 用意した肉が余ると、満足度が下がる。だからって、無理して食べても満足度は下がる。ちょうど良いだけ、用意するのは難しい。誰かと食べるならなおさらだ。ちょっと少ないくらいで満足するのが、満足の最大値達成に効果的なのかもしれない。

 と、ここまでおいしい自宅焼肉のやり方をシミュレーションしたところで驚くべきことに気がついた。よく考えたら、私は買い物の時「焼肉で何肉が食べたい」と思いながら選んでいなかった。なんとなく焼肉を用意したら一食つつがなく終了するかなという「消極的自由」による選択なのであった。 料理することと食べることにあまり執着がない自分らしいとは思う。

 焼肉用の、サシたっぷりお肉は絶対もたれると思うので選びたくない。できることなら赤身だけ食べていたい。しかし、自分の希望だけで選ぶと、焼肉の肉ラインアップとしてイマイチになるに違いない。しかし、自分が欲望しないものを選ぶことには限界がある。

 ではなぜお店で食べる焼肉はおいしいのか。おそらく今の私にとっては、ただ出されたものを享受するだけで幸せなのである。毎日のご飯を考えることは、私にとってとんでもない重労働である。それから解放されることに喜びを感じているのではないだろうか。

 もう焼肉用の肉を自分だけで選ぶのはあきらめて、家族に選んでもらうようにしようかと思う。私はチョレギサラダを作るのに没頭することにする。

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