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【立ち読み】トワのエラーコード

 朝食を黙々と食べながら、杜季悠真は今日、部屋にこもる計画を立てていた。土曜日なのに、父が帰ってくるからだ。夕方には帰れる、とのことだった。家族と団欒での時間の潰し方を、悠真は知らない。いくら母と三人家族と団欒で楽しもうとしても、間が持たなくなって部屋に行くよう促されるだろう。いや、その空間に自分が耐えられなくなって出て行くほうが先か。
 外に遊びに行くのもダメだ。帰ると聞いて早々に諦めている。父は遊びという言葉が嫌いだ。それを知る母が、父に小言を言われるのを見越して止めてくるだろう。
 味を噛みしめる間もつもりも無く、パンと卵を交互に食べる。ベーコンと今日に限ってサラダが余計についてきている。
 この朝食を作った母の真果は、エプロンをつけて、キッチンで短くため息を吐きながら、嫌々といった動きで家事をしていた。母の醸し出す陰鬱とした空気がリビングに立ち込めている。しかし、テレビの声が意味なく垂れ流されて、辛うじてこの空間を誤魔化していた。
 朝食を早々に食べ終え、食器をキッチンのカウンターに置く。それを見た母は少し笑みを浮かべて短く礼を言った。母の機嫌を取るつもりで行ったことに礼を言われ、返答に困った。後味の悪いまま階段をのぼって部屋に戻ろうとする。
 階段を登っている最中に玄関のチャイムが鳴った。母が答えているのを背に、悠真は部屋の扉を開けて中に入る。男の声がしたので、宅配だろうと決めつけて、特に気にもとめず、閉めた。

 部屋には漫画のページをめくる音だけが聞こえる。悠真は勉強机に座り、あと数ページの漫画を黙々とめくっていく。小学校でこっそり借りたバトルものの少年漫画だ。学校の友人たちは漫画やアニメ、ゲームに夢中で、休日や放課後は誰かの家に集まって遊ぶの遊ばないだのの話ばかりしている。悠真も遊びに行きたいというが、母にダメだと言われていた。そして、悠真には理解できない理由を並べて怒るのだ。それを繰り返すうちに言うのをやめた。悠真は隠れて楽しむことを覚えた。
 漫画は区切がつく片鱗を見せはじめていて、主人公が戦いを終えて囚われていたヒロインを取り戻したところだ。ヒロインが敵を倒す為に敵の力を身の内に取り込み身の丈にあわない力を手にし、主人公の仲間たちに封印されてしまう。主人公はヒロインを助ける決意をするが、復活を恐れた仲間たちはヒロインの最後の言葉通りに永遠に封印し続けることを選択し、主人公が孤立して終わる…というラストだった。
 区切りのいいところまで一気に読み進めた悠真は、漫画の世界から部屋へと徐々に意識が引き戻されてきた。それに伴い、だんだんと自分の視点で漫画の内容を考えられるようになってく。大きな問題が解決し、スッキリしたはずなのに何とも後味が悪かった。主人公が新たな壁にぶち当たったのもあるが、ヒロインは主人公に助けないでと言っているのに、助けることが当然だと思っているところがよくわからなかった。しかし何にせよ続きがあるし、次の巻でわかるのかもしれない。

 一通り思いに耽ると、思い出したように悠真はしまったと思った。飲み物が欲しい。しかし一階にしかない。すっかり忘れていたが父はもう帰ってきてしまっただろうか。悠真は拡げられた教科書と書きかけのノートの傍に漫画を置いて離れた。


 飲み物を求めて悠真は階段を駆け下りてく。しかし、リビングに近づくにつれ男女の話し声が聞こえ足取りがゆっくりになる。声はリビングからしていた。リビングのドアを恐る恐る開ける。人の気配はあるが見当たらず、あたりを見渡すと母の声が聞こえた。
「あ、水仕事⁉ 大丈夫なの?」
 声のする方はキッチンだった。こちらに背を向けているのは父の利侑。その父の隣に知らない男の背中が並んでいる。そして母と若い女性。女性は笑みをたたえたまま、男二人と母に囲まれて皿洗いをしていた。皆は見知らぬ若い女性を見守っている。
「家事は水仕事も想定しているぞ。泳いだり水をかぶったりしなければ大丈夫だ」
 父は声を高くしていう。得意げな声だ。母はそんな父に対して気にもとめず、若い女性を物珍しそうに観察している。その姿を見た父は一層機嫌が良くなっているのがわかる。母が悠真に気がつき目が合う。
「悠真! あ、きてきて!」
 朝の陰鬱さが嘘みたいに、子供のように母は悠真を呼んだ。訝しげに近づいて、女性と男性を交互に見る。男性は近づいてくるのを見越し顔だけ向けてノートパソコンを抱えて会釈してきた。こちらも会釈して返す。父は体を避けて環に入りやすいようにしてくれたが、そこに入るのは躊躇われた。いや、女性に近づく事を躊躇われた。皿洗いを終えた彼女は微動だにせず父と母の様子をじっとみて様子を伺っていた。そして悠真の方を見た。悠真と目が合うと一瞬の間、品良く微笑していた表情が優しい笑みになった。
 素朴で綺麗な人だと思った。
 しかし、違和感が拭えない。何か動きがある度に周りが何をしようが何の話をしようが感情の機敏が乏しい。一つ一つの仕草が丁寧に行われているようなーー。
 父が女性をじっと見ている自分に気がついたのだろう。男性と女性の紹介を始めた。
「この人は僕の部下の玖賀隆博くん。今日は手伝いに来てくれている」
 悠真は手伝いの意味がわからなかったが、玖賀に挨拶をした。そして父は女性の方を紹介した。
「で、この子はね、僕の会社で作ったアンドロイドなんだ」
 機械。ロボット。わかりやすい言葉が浮かんだ。驚いて父親をちらりと見る。父親は目が合うと、幼子をあやすように首を傾けてみせた。悠真はもう一度女性を見る。女性は手を止めて悠真を微笑み返す。瞳の中で青白く光る円が揺らめいている。
 彼女がアンドロイドの証拠だった。
「今日から、このアンドロイドが家で家事をやってくれる。僕の会社で作ったんだ」
 悠真は父を見た。これまで仕事の話は父からあまりされなかったからだ。悠真は疑問を口にする。
「なんで?」
「父さんの会社で発売する予定なんだ。その前にこの家でお試しで動かすんだよ。家事を代わりにやってくれるんだ。母さんも楽になる」
 悠真は何を言っているんだと思った。母の家事のことを気にかけていない父からでる母をいたわる言葉は薄っぺらく悠真を通り過ぎる。
「じゃあ、今からこの家の部屋を見て回って。奥さん、家の構造を覚えさせます。部屋を覚えたら、一回試験運用で掃除させます。入っていけない部屋は無いですか?」
「はい。どこでも入って大丈夫ですよ」
 すっかり舞い上がっている母は何も考えず二つ返事で了承した。その話を聞いて悠真は戦慄する。部屋を見て回ると言った。自分の部屋には漫画がある。机の上に、置いた。見つかったら父に告げ口されると頭をよぎった。父が作ったのだ。父の都合のいいように。いや、そうに違いない。悠真は必死に考えを巡らせる。
 女性型アンドロイドが返事をして動き出す。玖賀は待機しているらしくついて行かず、母に促されるままリビングの椅子に座り、父も反対側に座って今にも世間話をはじめそうだ。アンドロイドが自動で動き出すのに慣れているみたいだった。母はアンドロイドを見守っていたが、二人の様子を見てついていくのをやめたようでキッチンに入っていった。悠真は怪しまれないよう注意して、アンドロイドについていく。それを見た母は悠真を止める。
「こら、邪魔しちゃダメよ」
 どの口がと思ったが、悠真はその足を止めざるを得なかった。特に悠真を怪しむ様子もなく、不貞腐れている様子の悠真を父と玖賀は笑った。玖賀は母をたしなめる。
「いや、いいですよ。ちょっかいかけなければ大丈夫です。むしろいいテストかも」
 母はその言葉に安心しながら相槌を打っている。今しかない。どう切り抜けるか必死だった悠真はとっさに思いついた言葉を言ってしまった。
「トイレに行って来る」
 母が何か小言を言いかけたのを振り切って、悠真はリビングを出た。余計な一言のせいでわざわざ扉を閉めて、階段を音をたてないよう上る羽目になった。そして部屋まで忍者よろしく息を殺して向かう。
 悠真は自分の部屋のドアがすでに開いていて、中でアンドロイドが部屋を移動して見回しているのがわかった。悠真が部屋に小走りで入る時、アンドロイドは机へと視線を向けようとしていた。悠真は慌てて机の前に立って視線を遮る。そしてその瞬間、何もなかったことにはできないと思った。
「やめて。父さんには言わないで」
 悠真は小声でアンドロイドに言う。アンドロイドは柔和な笑みを浮かべたまま、悠真の願いの理由を無情に求める。
「悠真様、何か私に不手際があったのならお申し付けください」
 アンドロイドは悠真の様子に疑問を感じていないようだった。悠真の顔をまっすぐに見つめて、悠真からの返答を待っていた。悠真はこの家でこれから父と母以外にアンドロイドも欺かなければならないと気がついた。アンドロイドは悠真が学校に行っている間にも動くのだ。愛想の無い悠真の扱いに慎重な母の目を掻いくぐることはできても、このアンドロイドは来たばかりでこの家の空気というものを知らない。むしろ言われたことを忠実に実行している。自分の言葉が通用するのか、という不安があった。
「……机には触らないで欲しいんだ……」
「お言葉ですが、日々使われている机です。鉛筆の粉などが落ちて汚れになります。たまると他のものにも付着して常に汚れがつきますよ」
 いちいち考えもしない当たり前として片付けてきた事をひたすら並べられる。悠真はめんどうだと思った。短く済む言葉も全て、いやそれでも適確に述べるだけでこんなに気だるさを感じるものなのか。このアンドロイドは汚れという汚れを徹底的に排除するつもりなのか。家事代行なんかより病院の清掃員の方が向いている。つまり悠真は一気に肩の力が抜けてしまったのだ。
「………じゃあ机の上は拭いてほしい。それ以外……ランドセルの荷物とか引き出しの中はそのままにしておいて」
 悠真はなるべく細かく指定した。このアンドロイドがさじ加減を知らないと思ったからだ。
「掃除をして、同じ場所に戻しておくことも可能ですよ」
 それじゃダメなんだと言いたくなるのをこらえる。以前父に漫画が見つかって、怒られたことを思い出す。その時は母に見つかってしまったのだ。母からは何も言われなかったが確実に母が父にチクったのだ。
 やっぱり理由がないとダメなのか。休憩をしたい。遊びたい。勉強はつまらない。悠真がしっくりくる言葉は確実に父を怒らせるものばかりだ。口ごもって黙っているとアンドロイドは聞いてくる。
「悠真様、私はあなたに不快な思いをしてほしくはありません。そのために必要なことでしたら伺います。嫌なことはしないということです」
 悠真は眉をひそめた。嫌なことをしないというのは悠真にとって信用できない言葉だった。
「この部屋で掃除してほしくないところ、触ってほしくないものを教えてください」
 アンドロイドは悠真を表情は柔和なままじっと、真剣に見つめる。悠真は本当のことを素直に言うか、誤魔化してしまうか決めかねた。しかし最終的に答えを後押ししたのはアンドロイドへの好奇心と、話を聞いてくれるかもと言う期待だった。悠真は机の上の漫画を手に取り、アンドロイドの前に差し出し、口を開く。
「二人だけの秘密にして」
 部屋の全てが沈黙した。あまりにも静かすぎて悠真は焦って付け足す。
「父さん、母さんにも……あ、杜季利侑と真果……ね。この漫画とか、勉強にならない物を見つけても言わないで欲しいんだ」
 勉強にならないものというざっくりした言葉に些か不安を覚えながら、悠真はお願いした。アンドロイドにとっては父がもっとも重要な人物なはずだが大丈夫だろうか。
「わかりました。これからも、私に教えてくださいね」
 悠真は彼女の顔を見た。相変わらずな笑みを一層深めて、優しく微笑んでいた。悠真のなかで彼女がこの家の自分の味方になった瞬間だ。
 そういえば彼女は、この約束を最期まで守ってくれた。

 先にリビングに戻った悠真は特に疑問も持たれず、他の3人と一緒に彼女が来るのを待つことができた。彼女はしばらくしたら戻って来て、胸のカバーを開けられ、現れた端子にてんとう虫の様な機械を繋がれた。その機械はやがて青白いライトが信号を送っている様に点滅し始めた。玖賀がパソコンで作業する姿を皆が見守っている中、悠真は彼女をチラリと見た。胸についた物体に気も止めず、柔和な笑みを浮かべている。表情の変化に乏しかったが、悠真に気がつきにこりと笑った。悠真は気恥ずかしくなって目をそらしてしまった。輪の中にいた父が悠真をチラリと見る。
「名前は悠真が決めていいぞ」
 父親は自分を見て、頭をポンと叩く。唐突な言葉に父を見る。悠真は父親の言葉に困惑した。父が自分に何かを委ねてきた事なんてなかった。悠真は学校のテストの問題を目の前にしているような気持ちになっていた。助けを求めて母の方を見る。母は困惑している悠真に楽しそうに笑う。
「いいわね。名前、決めてあげて」
 焦って必死になって考える。悠真は今、全てがかみ合ったように穏やかな空気を壊すまいと思っていた。父と母は気まぐれに自分への態度を変える。今はドラマで演じられている夫婦のような優しい笑みを浮かべて悠真を見ている。うじうじと気恥ずかしそうにしている悠真を横目に母は言う。
「家事が楽になるわ……本当にありがとう」
 気持ちが高揚し嬉しそうな母とその言葉に喜ぶ父。父は研究がしたいだけなのに、母は自分が楽になることを考えてくれたというのに。でも、それはどうでもいいことだと今は思った。薄っぺらい感謝のやりとりを悠真はよしとすることにした。だって今、このアンドロイドがもたらしているものは明るい未来への期待だ。今この瞬間流れている、この家での日常が明るいものになっていくだろうという期待と確信。どんな形であれ行き止まりの家族に必要なものはこれだったのだ。
――この先、ずっと続いていけば……。
 ふとさっきまで読んでいた漫画の内容を思い出した。
「トワ」
「え?」
「トワって名前」
 悠真が零した言葉に父は困惑していた。きっと子供らしい返答を期待していたのだ。
「永遠のことか? 意味わかってるのか……? それに名前にするならもっと……」
「……いいね……。いいと思いますよ所長。なにせアンドロイドなんです。名前も普通とは違うってのもオツなもんです」
 玖賀は顎に手を添え、考えをまとめながら話す。父は少し考えるような仕草をした。
「そうか……? まぁ、そうか」
「それに永遠って意味も悪いもんじゃないでしょう。そうだな……漢字は……」
 スマホを取り出しメモ帳に《斗環》の文字を表示させて見せた。
「《斗》は柄杓が由来の容量の単位の一つで、《環》は円や巡ると言う意味です」
 悠真はスマホを覗く。悠真にとってはまだ難しく、《斗》が誰かの名前で見たことがある、《環》は難しくてかっこいいとしか思わなかった。
「少しの量でも循環し永遠につないでいく……って意味です。このアンドロイドプロジェクトも地道にコツコツと作り上げて積み重ねてきたものじゃないですか。しかも、私達が開発した技術はずっと先まで受け継がれていくものになるでしょう。この子はその象徴です。どうでしょう。ね?ぴったりな名前じゃないですか」
 しばらく考え込んでいた利侑は玖賀の言葉で納得したらしかった。
「それにしても永遠ならまだしもトワって読み方、よく知ってるな」
「漫画とかアニメとかで見たんじゃないんですかね」
「そんなはずはない。小説か本だろう」
 父は疑いもなく返す。悠真は胸が詰まる思いがした。玖賀は言葉を止め、知らぬ顔で父をちらりと見たがすぐ興味なさそうに返す。
「そうですか」
 玖賀はパソコンをいじりながら、斗環を横目に言う。
「悠真と仲良くなれそう?」
母は好奇心で斗環に話しかけた。斗環は笑みを浮かべて答える。
「はい」
 母は予想通りの返答に満足したようだった。手持ちぶたさになって作業をしている二人の間に入る機会を探っている。斗環は言葉を待っているようで、笑みを浮かべたまま人を順に目で追っていた。やがて悠真はその斗環と目線が合った。
「悠真って呼び捨てでいい」
 悠真はかろうじて聞こえる程度の声で言う。
「わかりました。では、悠真? これでよろしいでしょうか?」
 斗環は微笑みを浮かべて悠真に聞く。抑揚がなく、出会ったばかりの時と変わらない声音はひどく事務的だ。人の形をした機械なのだ。言葉以上のものを汲み取ったりはしない。
――言葉以上のものを期待していたのか。
 悠真は恥ずかしくなった。一喜一憂しているのは自分だけで、独り言を言っているだけな気がした。悠真は斗環から逃がれる様に階段を駆け上がる。斗環の視線が背中に突き刺さってくるのを振り切って。そして自分の部屋に駆け込んで扉を閉め、机の上もそのままに、ベットに潜り込んだ。


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