宮野前さん

 一応、希望の部署は出すけれど、4月の研修が終わってから配属先が決まる。一応、渉外で出しては見たけれど、OJTの山村さんは財務だったから、財務でもいいかな、と思い始めた。OJTを任されるだけあってキラキラしていて、しかもそれに不自然さがない。私はそこまで頑張るつもりはないが、なんとなく、こういう人が無理をせずに働けているところはいいんじゃないかと思った。
 今日は庶務に回された。

 いろいろと係長に教えてもらいながら、フロアを眺める。そんなに大きくないフロアで、話を聞いていないのが不自然にならない首の角度で見渡せる。
 奥の窓際で新聞を読んでいる人がいる。パソコンが…ない。今時、パソコンがなくて新聞を読んでる人?
 社食で山村さんに聞いてみた。
「宮野前さんでしょ」
 山村さんは何かのサラダを食べている。
「有名人なんですか?」
「うん。「何かあった時要員」なんだって」
「何かあった時要員?」
「誰もその何かが何かは知らないんだけど、そうらしいよ。その時に備えて待ってるんだって」
「この小さな会社で?」
「紗夏ちゃん、大きな声で言わない」
「はあ、すいません」
「まあ、でも、そう思うよね。それでずっとずっと雇われてるらしいんだけど、年齢もわからないし。どういう人なんだろうね」
 私は渉外に配属された。会社に外国からの来賓があって、その招待の過程で営業が無茶苦茶にやらかした。青くなった社長が緊急対策チームを作り、渉外がその本部になって、まずは会議が開かれた。
 そこに宮野前さんがいた。
 宮野前さんは静かに指示を出した。お詫びの仕方、タイミング、誠意の見せ方、去り際、その後の交渉。
 いろいろな書類の下準備を私がし、そのせいで遅くまで残った。帰る時に庶務についてる明かりを見ると、いつも宮野前さんだった。ようやく処理が終わる日に、デスクにいる宮野前さんに声をかけた。
「こういう時のための要員だったんですね」
 宮野前さんは驚いた顔をした。
「ああ…。いや、「何かあった時要員」の話でしょ? そうじゃないんです」
「え?」
「僕、花道の師範で、会社って、お花飾る機会あるじゃないですか。そういう時に花を活けてます。一応、見た目が大事な職種だし、花屋さんの知り合いもいて安くで仕入れできるし、アレンジ代もいらないし。で、いつも暇だから、色々読んで、色々準備してるだけで、今回のも、本業ではないですよ」
 なあんだ。そんなことか。
「…ほんとに?」
 社食で山村さんがつぶやいた。
「何かあるんですか?」
「いや、そのね…」
 花代の領収書なんか見たことないし、花だって見たことない。どういうつもりで言ったんだろう。

「ありがとうございました」
「いや、ふざけてるだけですから」
  社長の顔が歪んだ。
「その言い方は止めてください。それでは」
 宮野前のデスクの向こうにまた闇が広がる。
「つまらないな」
 結局、いつまでここにいればいいんだっけ?

joker/ジョーカー


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