怪異の事件簿

 雨は先ほどよりも強く降っていた。傘をささずに駐車場から教会の扉まで歩いてきた古和の帽子からは雫が滴っていた。
 石段には先客がいた。
「伊吹さん」
「うんざりだよ」
 伊吹は古和を見ずにつぶやいた。
「天気がですか」
「お前がここにいることだよ」
 そう吐き捨てて伊吹はチャイムを押した。遠くの方でベルが鳴った。しばらくして、扉の片方がゆっくりと内側に開き、小柄な牧師が顔を覗かせた。
「あの…なんのご用で…」
「珠洲さんですね」
 伊吹が一歩前に出て胸元から書類を出した。
「令状です。橘准一さんの殺害容疑であなたを逮捕します」
 珠洲はぼんやりと書類を見た。
「あの、もしできれば、中で…」
「いえ、今すぐ来ていただきましょう」
「この人の言うことを聞いた方がいいですよ」
「この方は…?」
「私立探偵だそうです」と、また伊吹は吐き捨てた。
「さあ」
「あの、家族に伝えるだけでも…」
「いけません、急いでください」
 そう言ったのは古和だった。
「お前になんの権利があって…」
「危ない!」
 古和が珠洲を押し倒した。その刹那、ヒュン、と何かが二人を掠めて教会の中に入っていった。
「扉を閉めて!」
 慌てて伊吹が閉めた扉にバタバタバタ、と何かが当たる音がした。
「伏せて!」
 それを聞く前に伊吹は銃を抜いていた。破裂音の後に教会の床に落ちたのは洗面桶ほどもある蝙蝠だった。
「こ、これは?」
「珠洲さん、あなた、どうしてこうなったか分かりますね?」
「古和、どういうことだ」
「伊吹さん、橘准一がどうして殺されたか、分かりましたか?」
「この坊主が宗教の教えに反するとか言って殺したんだろ」
「ご明察。しかし、他に理由があるんです」
 遠くから悲鳴が聞こえた。
「手遅れです」
 駆け出そうとした足を古和に引っ掛けられて珠洲は派手に転んだ。
「あなた、橘さんが血抜きをしていない肉を売る相手を知っていましたね?」
「古和?」
「橘さんはこの街にいる吸血鬼や人喰鬼グールに肉を売ってたんです。ああ、伊吹さん、ご心配なく。牛です。それを食べて彼らは静かに生活していた。しかし、珠洲さん、あなた、そういうものたちアウトサイダーがこの街にいるのが許せなかった。でも、あなたでは倒せない。だから、食べ物を断つ方を選んだんですね」
「どうしてそれを?」
 聞いたのは伊吹だった。
「彼らに頼まれたんでね」
 珠洲の表情が一変した。
「ああ、珠洲さん、こちらに怒りを向けるより、自分の命の心配をしたほうがいいですよ」
 また、鋭い叫び声が聞こえた。
「家族に伝える必要は無くなったみたいですね。今なら、警察の車に乗って逃げられます。どうします?」
「しかしどうやって? 扉の外には何かいるし、母屋の方にも?」
 母屋に通じる扉の向こうから咆哮が聞こえてきた。
「ええ、あっちからは人喰鬼グールが来ます。ほら、声が近づいてきた、大変」
「俺はお前のことが本当に嫌いだ」
「伊吹さん、この教会には地下通路があって、外に出られるんです。ね?」
 飛びかかろうとした珠洲を伊吹は殴りつけた。
「扉の位置を教えるのが先だろう?」
 珠洲は震えながら説教台まで行った。下に小さな輪っかがあり、それを引っ張り上げると、地下に通じる梯子段が見えた。
「おい、古和、母屋の扉の鍵閉めておけ。俺はこいつを」
「いやあ、今から来るのは依頼人なんでね。そんなことはできませんよ。さ、先に行ってください」
「いや、お前も来い」
「私のこと嫌いなのでは?」
「ここにいる方が問題が大きくなりそうだからな」
 その瞬間、珠洲が後ろから聖書を頭に目掛けて振り下ろした。伊吹はどうと倒れた。
「こ、これには、聖なるコインが付いている。重いんですよ」
「珠洲さん、あなたね…」
 その時、母屋への扉が開いた。そこに立っていたのはスーツを着た青年だった。
「ああ、古和さん。悪い心を起こしたのかと思いましたよ」
「警察が先に来たんでね」
「あなたが珠洲さんですね。初めまして。菱田です」
 菱田は大仰に腰を屈めて挨拶し、珠洲のところに音もなく歩いてきた。珠洲は手に聖書を握り締めガタガタと震えていた。
「こ、この、去れ、去れと言うに」
 珠洲は菱田に聖書を押し付けたが、菱田はそれを気にもとめず、珠洲の顔を覗き込んだ。
「本当に、人喰鬼グールなんてものが、今の時代にいると?」
「…え?」
「あなた、ただ、お肉屋さんを殺しただけですよ?」
「そ、そんな、まさか」
「信仰が良くない方に行ってるんです」
 珠洲の震えがさらに酷くなった。
「なんて、すいません、嘘嘘。いますから、大丈夫です。ほら、あっちからも」
 教会の扉が開き、大量の蝙蝠と共に、別の青年が入ってきた。
「古和さん、鍵を閉めませんでした?」
「私じゃないですよ」
「ふうん」
 青年は教会の中を見渡している。
「私は席を外したほうがいいかしら?」
「菱田くん、どう?」
「そうしてもらおうよ、横山くん」
「ああ、倒れている人は警察だから、触らない方がいいよ」
「はあい」
 古和は教会の外に出た。雨はまだ強く降っている。

ghoul/グール

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