ビルの上の十字

 ある日から、高層ビルの上に十字が立つようになった。どのビルからそれが始まったのかはわからない。気づいたら十字はどの屋上にも見られるようになっていた。
 見られるようになっていた、と言っても地上から見えるわけではない。その頃には高層ビルの頭は全て雲の上まで突き抜けていた。どのビルも、見上げる角度からは十字の全貌がわからないようになっていた。だから、立っている十字を見渡すには、一番高いビルの上に行くか、あるいは空を飛ぶものの中から眺めなければ見えなかったのである。
 どうして十字が立てられるようになったのかも誰も知らなかった。雲の上に出ているのだから、雷を避ける、というのではもはやなかった。加熱する高層ビル建築における束の間の勝者の証なのか、あるいは、バベルの塔という古の伝説を恐れて、神に対しての心ばかりの申し開きをするためかも知れなかった。
 高層ビルの上に登ることができるのは限られた一握りであり、と言うのもそれには途方もない電力が費やされるからだった。
 ビルの屋上には決まって地上が見られるモニターが付いていた。それを見る人たちはもはや地上に降り立つことはなかった。地上の人間は自分たちとはまるで違う生き物であり、何の感情も起きなかった。地上の方ではビルに激しい憎しみを抱いていたかも知れない。しかし、それは天の上には通じなかったのである。
 高層ビルは出来上がるまでに気の遠くなるような時間がかかった。出来上がるとそれはすでに時代遅れだった。新しいビルが次々とできては捨てられていった。
 終わりの日は確実にやってきた。それは天からの雷でも、あるいは地からの炎でもなく、雲からだった。密集するビルの中で雲は行き場を失い、とうとう建物の中に忍び込んできた。中層階の雷雨は天と地とを切り離してしまった。二つの時間が流れ始めた。そして、十字が捩れ始めたのである。

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