レアの死
缶を開けると、ふわっとココアの香りがした。だんだんと傾けていくと、風に吹かれ出ていく粉が、月の光を受けて輝く川面に少しだけ影をさした。
レアは缶をひっくり返してすっかり粉を出してしまうと、しばらく、そのままぼんやりと立っていた。そして、機械のように、缶を水につけて洗い始めたが、ふと気がついて、そのまま缶を流れの中へと押しやった。明日の朝にはミシシッピ川に着くかしら。きらきらとひかる缶が遠くに行き、水面のきらめきと混じり合ってもうわからなくなってしまうまで、レアは見つめていた。
もうココアを作らなくていいと思うと、気分が晴れやかになるはずだった。しかし、心は石のように固まったままだった。どうしてかわからなかった。
どうせまたココアの缶を奥様が買ってくるからだろうか? その場合は、「いいえ、あたしはもうココアは二度と作りません」と言うつもりだった。
でも、そう言ったら、家を追い出されるかも知れない。そうなったらどこに行ったらいいのかわからなかった。父も母も死んでいたし、生きていたとしても会いたくもない。では、家にいるしかないのか? 周りの召使にいじめられ、主人にはカップを投げつけられ、そして…。考えるのもおぞましかった。
ふと、このまま川に入ってしまえばいい、と思った。レアは少し水に足を浸してみた。6月の川はひんやりと心地が良かった。一歩、また一歩、レアは進んで行った。裾が濡れ、膝にまとわりつき、腰がすっぽりと水に隠れ…。気がつくと、川に浮かんで流されていく。
ああ、私はココアと共に死んでいくのだ。どうせ、ココアを入れるしか能がなかったもの、仕方ない。缶に描いてある看護師も私を助けてくれはしない。
目を閉じた。このまま、泥の中に沈んでいくんだろうか。湯に溶かした粉は泥のようだ。そんな中で死ぬのは嫌だと思って起きあがろうとした瞬間、鼻の中に水が入ってきた。
cocoa/ココア
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