図書準備室で

 図書室のカウンターを通って準備室に入ると、委員長はいつもの椅子に座って本を読んでいて、一葉は窓際に椅子を寄せて外を眺めていて、その膝の上にりる子が座って同じように外を眺めていた。
「おっす」
「おっす。始まってる?」
「まだ。あきちゃん、興味あるの?」
「全然ない」
「全然ないって。委員長、良かったね」
「全くくだらないからね」
「あきちゃんも全くくだらないって思う?」
「そこまでは思わないかな」
「僕に言わせれば、あんなものは芸術ではないよ」
 委員長は本から目を離さずに答えた。一葉はニヤニヤしている。私は委員長の隣の椅子に座って本を取り出した。
「あ! 来たよ!」
 りる子が伸び上がった。一葉も体を捻って窓の外を見た。
「ねえ、土橋さん、作務衣着てない?」
「着てる! やばー。入り過ぎじゃない?」
「えー、きも。私、どっちかと言えば土橋さん推しだったのに」
「いやー、土橋さんああいうところあると思ってたよ、私は」
「深川さんは?」
「来た来た! 深川さんはいつもの格好だよ」
 チャイムが鳴って放送が始まった。
『こんにちは、放送委員の門真です』
 多分、全校が「えっ!?」と叫んだと思う。
「うそ、門真くんがやるの!?」
「昼休みはあんなに九条くんが煽ってたのに?」
「九条くん、昼の放送で叫び過ぎて、5時間目に声潰れてたよ」
 りる子が外を見たまま言った。
「かと言って、門真くんがやる? あの劇低テンションで?」
「あれ、狙ってると思うよ」
「りる子は門真くんの何を知ってるの?」
「私にはわかる。門真くんは中川家のラジオショーを聞いてるね」
「誰それ?」
「M1の初代王者」
「知らねー!」
「知ってー!」
「ねえ、僕は本を読んでるんだから、静かにしてよ」
「いいじゃん、集中して読んだら気にならないよ」
「委員長何読んでんの?」
「なんだっていいだろ」
「挿絵のない本なんだよ。何が面白いんだろうね」
「「アリス」だね」
 そう私が言うと、一葉がニヤッとした。
「あきちゃんもこっちおいでよ」
 窓から校庭を見ると、プール側の端に土橋さん、反対の駐輪場側の端に深川さんが、それぞれ手に箒を持って向かい合って立っていた。

 ここで少し背景を説明しておく。用務室のおじちゃんとして有名な土橋さんは入学式や卒業式の時に、校庭の砂の上に大きく箒で字を書いてくれる。屋上から見るとそれはそれはキレイに見えて、評判が良くて、時々新聞紙にも出るらしい。
 ところが、今年の卒業式の時に土橋さんが病気になってしまい、今年無くて残念だね、と話していたら、その年に入った新人用務員の深川さんが代わりに書いてくれた。これが、びっくりするほど上手くて、しかも土橋さんとは違い、なんというか、より映えるから、一気に人気者になった。
 土橋さんは入学式には間に合ったが、その時にどちらが書くかで揉めたらしい。それから、二人は口をきかなくなり、そして、毎朝、校庭に交互に字が現れるようになって、喧嘩みたくなった。
 校内も土橋さん推しか深川さん推しかで分かれてフLINEグループができて荒らしも出たから、これは問題だと先生たちの間でなって、どうしてそういうことになったかはわからないけれど、二人で勝負をつけることになった。

『いよいよ、始まります。先ほどまでは、いい、お天気だったのに、砂埃が、舞い始め、ました』
「区切り方きも」
『これから、どのような、嵐が、来るのでしょうか。それでは、校長先生に、お題を、発表してもらいます。校長先生、お願いします』
『今回のお題は、「絆」です」
「だっさ、きっも!」
「どうしたんあきちゃん、話聞こか?」
「いいえ、結構です」
『この字を、選んだのは、なぜですか?』
『みなさんもご存知のように、絆というのは、学生同士の絆、先生と学生の絆、そして学校と学生の絆とがあり…』
 しかし、誰も聞いていなかったに違いない。土橋さんと深川さんはお題が読み上げられた瞬間から猛烈に書き始めていた。上の3年の部屋からはわあわあと大歓声が上がっている。
「ああやって書いてるんだね」
 土橋さんは地面に印をつけてプロポーションを見ながら書いている。深川さんはまるで地面の中から文字が湧き出てくるのを操るかのように書いている。二人とも、時々ざっと吹く風で字が消えかかるとサッとそこに走っていって書き直す。
「いいね、苦しんでるね」
「水撒きながらやったらいいんじゃない?」
「一人だし、無理だよ」
「出たー、あきちゃんの正論」
『さあ、制限時間が、迫って、きています』
「時間制限が迫るはおかしくない?」
「委員長聞いてるんだったらこっち来なよ」
「断る」
『さあ、書き上げられる、のでしょうか』
「どれくらい時間経ってる?」
「8分」
「測ってるんならこっち来なよ」
「うるさいな。僕はそんなものは見ないって言ってるだろ」
「もうできるよ、面白いよ」
「面白いわけがないね」
『間も無く終了です。5、4、3、2、1…』
 ごうっと強く風が吹いた。
『あ!』
 そのタイミングで、また全校、ただし委員長除く、が叫んだに違いない。校庭のスプリンクラーが作動したのだ。土橋さんと深川さんは慌ててスプリンクラーのところに走って行った。私もりる子も一葉も膝から崩れ落ちた。
「やばい、めっちゃおもろい」
「委員長、委員長、見て」
「スプリンクラー、風強いと自動で作動するから、それが動いて」
「むっちゃ濡れてる。字、字」
「消えてる」
「見て、見て! 土橋さん泣いてる」
「りる子まじやめて。死んじゃう」
「あきちゃん、あきちゃん、大丈夫? 息して?」
「…無理!」
「放送ー! 放送、早くー!」
『…覆水盆に返らず』
「門真くーん!」
「やばい、私、門真くんのこと好きになる」
「委員長、あきちゃん、門真くんのこと好きだって」
「うるさいな!」
『今、門真くんが言いたかったのは、雨降って地固まる、だね?』
『…いえ』
 チャイムが鳴って放送が終わった。

「あー、ウケる」
「はー…」
 ふと、委員長が読んでいた本が目に入った。
「…あきちゃん、どうしたの?」
「あきちゃんそれ以上笑ったら死んじゃう」
「委員長の本…」
 りる子がまた膝から崩れ落ちた。
「違うよ、これは」
「委員長、さすが」
「一葉!」
 委員長の顔が真っ赤になり、そして机に突っ伏した。
「もうやだー!」
「委員長、泣いてるの?」
 委員長は突っ伏したまま首を振った。
「気づいてからもうずっとやばくて…ほんと、面白くて…」
「一葉は気づいてたの?」
「もちろん」
 一葉は本を手に取った。
「『砂男』、だって」
「タイトルー!」

broom/箒

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