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昨日の世界

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文章を書くこととアイディアを出すことを毎日するために、 #昨日の世界 を書き始めました。Wordleを解いて、その言葉から連想される物語を、解くのにかかった段数×140字でその日…
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2023年5月の記事一覧

猫を飼う、生きている

 猫ならなんでも興味があるから、お家まで遊びに行った。  迎えてもらった部屋の中はきちんと整理整頓されていた。「本当は物は全く必要ないんですが、どうしても、人を迎えるとなると、体裁だけは整えなければいけなくて」と言って柏原さんは微笑んだ。 「猫はどこですか」 「ああ、今、連れてきます」  猫がやってきた。黒猫だった。 「えー! 可愛い!」 「そうでしょう」 「あの、こう言っていいかわからないけど、「猫」ですね」 「ええ」  柏原さんは嬉しそうだった。というのは、この猫はロボッ

雪祭り営業補遺

「お疲れ様でした。××町観光招客課の奥田です」 「ありがとうございました」  この人も駅までの車に乗ってきた。 「いやー、本当にこの町にお笑い芸人さんに来ていただけるとは思っていませんでしたから、本当に良かったです」 「ありがとうございます」 「ねえ、落語家さんも、初めて見た人多かったんじゃないかと思います。で、いかがでしたかね」  3人の毛穴から「何が!?」という空気が出た。 「そうですね、雪深いところとは伺っておりましたが、これほどとは」  志っとこさんが無難なところを攻

雪祭り営業

 会場を一周してからステージ横のテントの中に入った。ストーブに当たって主催者にお世辞を言い、少し話してから準備があるからと出てもらった。 「どうする?」  戸田が手をヤカンにかざしながら呟いた。  地方の雪祭りでの営業で15分1ステージ、豪雪地帯だから万が一動けなくなることを考えると先輩たちはスケジュールが取れず自分たちに回ってきた。  駅まで主催者が迎えにきてくれて会場に入ると、そこら中に雪だるまやら雪像やらがある。そして、広場の真ん中には、たくさんのかまくらがあった。こん

円描き

 いかに正確に円を描けるか競う大会があるのをご存知だろうか。私は三連覇して引退した。その頃には円を描く仕事で引く手数多になっていたからだ。  この世には様々な円を描く仕事があり、しかも機械では代用できない、あるいは機械では求められる精度での正確な円が描けないといけないということがある。そういう時に私が呼ばれて円を描く。  ある時、頼まれて、射撃の的の円を描いた。それも、人の形に厚い板を切り出したものに描くやつだ。何体も描いて大好評だった。「円に弾が吸い込まれるようです」と言わ

乳糖不耐殺人事件

 1953年12月18日の晩、ニューヨークはコロンバス公園近くの中華レストラン「玉林飯店」で妻のアイリーンと銀婚式のディナーを食べていたオーブリー・スターキーは、唐辛子を齧った口を冷ますためにスープを飲んだ。しばらくして、急に体中の穴という穴から水分を吹き出し、そのまま倒れて帰らぬ人となった。夫の死を目の前で見て気を失ったアイリーンの気持ちを推しはかることは誰にもできない。  直ちに店は閉められ、現場検証が行われた。厨房にいた者、料理を運んだ者、あらゆる者に嫌疑がかかったが、

カヌー殺人事件

 5月15日の朝、ハワイアンカフェ「IZ」のアルバイト、井上が店に入ると、店長の中野がカヌーの中で頭から血を流して死んでいた。  中野はすぐに通報し、警察による現場検証か行われた。バックヤードから血のついたオールが発見されるに至って殺人であることは間違いがないと考えられた。  関係者は店の共同経営者の児島、アルバイトの井上、阿部、上田、坂本である。学生の時からカヌーを操り、そして後の捜査で中野と人間関係のもつれがあり、かつ第一発見者である井上が容疑者となった。 「でもさ、オ

母の贈り物

 実家を出たが、一人暮らしの部屋のカーテンを買うことができない。  思いついたように母が送ってきた何の役にも立たないガラクタの中に腐るほどの手拭いと大きめのスカーフが入っていたからそれを吊るして日を遮ることにした。  そういう作業は不器用で苦手だから隙間ができて、そこから漏れる日にイライラした。でも、直す気も直せる気もしないから放っておいた。一年経つと布はどれも色褪せて模様が分からなくなってせいせいした。  不器用さは仕事にも人間関係にも発揮されて、なかなか長く勤めることもで

新人の洗礼

「なあ、お前、吐いた?」 「吐いたわ」 「よう、こいつで吐いてんだから、新人、覚悟しろよ」  と言うか、お前の臭いで吐きそうだわ。 「気をつけます」 「これな、渡しておくから」  コンビニの袋を渡された。ありがたい。 「まだ?」 「まだです」 「まあ、急ぐことはないわな」  いや、急いでほしい。今すぐ吐きたい。  昨日は本庁での勤務が終わってから合コンに行った。コロナ明けでようやく大手を振って人前で飲めるから、マジで飲み、もう少しで拳銃を見せてほしいと言うのを見せるところだっ

世の終わりのスナック

 この世が終わったのだからもう必要ないものはたくさんあるが、その中の一つがスナックだと思う。滅びを待つだけの中で何の用事があるだろう。  とは言え、滅びを見据えながら待つことは到底できないから、やっぱりスナックに行って飲んでしまう。 「いらっしゃい」  カランコロンというベルの音が、外の凄惨な風景と釣り合わない。 「何にします?」 「何があります?」 「今日はね、いろいろ増えました」  棚にはずらっと瓶が並ぶ。  その中にはドロっとした色の液体が入っていて、大小様々の実が漬か

図書準備室で

 図書室のカウンターを通って準備室に入ると、委員長はいつもの椅子に座って本を読んでいて、一葉は窓際に椅子を寄せて外を眺めていて、その膝の上にりる子が座って同じように外を眺めていた。 「おっす」 「おっす。始まってる?」 「まだ。あきちゃん、興味あるの?」 「全然ない」 「全然ないって。委員長、良かったね」 「全くくだらないからね」 「あきちゃんも全くくだらないって思う?」 「そこまでは思わないかな」 「僕に言わせれば、あんなものは芸術ではないよ」  委員長は本から目を離さずに

煙の行方、川の流れ

 仕事もお金も無くなってしまって、今いる所に住んでいられなくなったから、友達が借りている四畳半のアパートに入れてもらった。友達は街に出る時の寝泊まりのためだけにそこを借りていた。大家のお婆さんを騙すような形で家賃を15,000円にさせたらしい。  朝、コンビニでタバコを買って、部屋に帰って一本ずつ時間をかけて吸う。煙が立ち上るのを目で追いながら一箱吸い切ると、辺りが暗くなっているから、寝る。  二週間ほどそれを繰り返して、さすがに良くないと思ったから、外に出ることにした。  

レアの死

 缶を開けると、ふわっとココアの香りがした。だんだんと傾けていくと、風に吹かれ出ていく粉が、月の光を受けて輝く川面に少しだけ影をさした。  レアは缶をひっくり返してすっかり粉を出してしまうと、しばらく、そのままぼんやりと立っていた。そして、機械のように、缶を水につけて洗い始めたが、ふと気がついて、そのまま缶を流れの中へと押しやった。明日の朝にはミシシッピ川に着くかしら。きらきらとひかる缶が遠くに行き、水面のきらめきと混じり合ってもうわからなくなってしまうまで、レアは見つめてい

屋上の青春

 現代人はその心理に抑圧を感じる場所で怪異を見るのだという。小学校のトイレ、まばらに明かりのついたトンネル、山奥の廃病院、事故や災害の跡。現代人として感じる抑圧はある程度共通しているから、感じ見る怪異もそれに応じて共通している。しかし、本来、自分と同じ人間が一人もいないように、人が感じ見る怪異にはそれぞれどこかしら違ったところがあるだそうである。  これはとある大学生から聞いた話である。  彼は中高一貫の男子校に通い、苦労して大学に入った。管理された6年間を過ごした彼は彼の

怪異の事件簿

 雨は先ほどよりも強く降っていた。傘をささずに駐車場から教会の扉まで歩いてきた古和の帽子からは雫が滴っていた。  石段には先客がいた。 「伊吹さん」 「うんざりだよ」  伊吹は古和を見ずにつぶやいた。 「天気がですか」 「お前がここにいることだよ」  そう吐き捨てて伊吹はチャイムを押した。遠くの方でベルが鳴った。しばらくして、扉の片方がゆっくりと内側に開き、小柄な牧師が顔を覗かせた。 「あの…なんのご用で…」 「珠洲さんですね」  伊吹が一歩前に出て胸元から書類を出した。 「