日本人が「個」を追い求めた先のディストピア

「ワクワクにしたがって、自分が幸せな気持ちでいれば大丈夫!」なんてフレーズが流行ったけれど(そもそも我々は平和ボケしているから大丈夫)、相変わらず戦争は終わらないし、SNSは誰も得しない「いいね!」と自撮りに溢れている。
世界は自分の反映だから、いい加減重い腰を上げて少しずつなおざりにしてきた現象に向き合って、勉強していかないといけないわけだけれど、そうなるのは当分先らしい。
人は無意識にストレスを避けるようにできている。
「ワクワク」を基準にすることは、長年抱えてきた問題を解決できるタイミングを逃すことにつながらないだろうか。
思考を停止させることで得られる快楽に身をゆだねるのなら、それは都合の良い依存でしかないのだろう。
飽和した資本主義で、個人の幸福と豊かさを追い求めた結果、先進国がたどり着いたのが承認欲求の墓場であるSNSなんだから、個人の幸福や豊かさなんて、最初から追い求めるべきではなかったのかもしれない。(日本人に「個人」の幸福や豊かさは合わないのかも)
むしろ、幸福を追い求めるから、人は無意識に対義語である「不幸」を発明し、自らの首を絞めているのではないか。
「みんないつのまにか、人気の奴隷化している」
そう述べたのは落合陽一で、不思議なんだけれど、人間はどうも自分の生活を豊かにしようとして作り出したシステム(紙幣、SNSや制度など)にいつの間にか取り込まれて操られる運命らしい。
仮想通貨やメタバースがメジャーになりつつあるし、ブラックボックス化が進む世界で、仕組みに気づいて仕組みをうまく扱う側と取り込まれる側の二極化が、ますます進むだろう。
長年の呪縛から解き放たれるために必要なのが、「考え続ける」ことであり、「多様な視点をもつ」ことなのだけれど、少しでも油断すると黒い箱が魅せる夢に取り込まれるから、油断ならない。

幸福も不幸も、個人の思い込みや神経伝達物質が見せる幻想であるが、すべて夢だと知りながら、夢を見続けるのもまた儚い人間のひとつの生き方だ。

「この世界は解決を待つ魅力的な問題でいっぱいだ」

How To Become A Hacker

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?