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第六感を研ぎ澄ませる

―中尾
今日は10日です。皆さんお仕事も始まって落ち着かれたころでしょうか。

―澁澤
そうですね。なんだか、お正月がスッと過ぎてしまって・・・

―中尾
昔ほどの行事というか、メリハリがなくなってきましたよね。
それは何でしょう?

―澁澤
世の中が簡略化されてきましたよね。昔はお正月と言えば、我が家も祖母は必ず羽織を着て和服正装で、ゆく年くる年を見て…それが終わって、その時どんなに騒いでいても、元旦の朝にはピリッとした空気が家中に流れていましたね。

―中尾
そうですね。それが、気楽になって、良いんだか悪いんだか、なんだかずるずると過ごすようになってしまいましたね。

―澁澤
だけどそれはコロナのせいだけではなくて、ある日突然世の中の波長って変わりますから、そういうものを五感で感じて、新年が来て、新しい雰囲気というものをみんなでアンテナを研ぎ澄ませて、それを受けるという昔の人の知恵なのだと思いますけどね。

―中尾
そうかもしれませんね。
今日は、私が最近気になっていることをお話したいのですが、
「澁澤さんはご自身のことはお好きですか?」

―澁澤
好きなのでしょうね。好きですね、きっと。

―中尾
あまり考えたことないかったのですが、私はたぶん自分のこと大好きです。
大好きというよりは、自分の良いところを一生懸命探すというか、見つけて、やりたいことが出てきたら、それをやるには、自分はこっちの立場でやる方が向いてるかなあと思いながら、経験を積み重ねて、好きな自分を作ってきたように思うのですが、今の若い人たちって、そもそも自分が好きになれない人がとても多いようなのです。
自己肯定ができないということでしょうか?

―澁澤
ものすごく多いですね。
ピサという世界的な調査があります。主要先進国のそれぞれの子供たちの統一した学力調査のようなもので、学力調査だけではなくて、意識調査みたいなものがそこに入っているのですが、日本の子供たちは理科だとか数学だとかそういう点数に関してはものすごく高くて、全部世界中で1番か2番かというところに入っているのですが、「自分を好きですか」とか「将来に夢を持っていますか」ということになった途端に、その答えはワースト1とか、ワースト2になってしまう。極端なのです。

―中尾
勉強はできるけど…

―澁澤
そう、だけどその勉強が自分の人生にどう活かせるかというイメージはない。それによって自分の人生が良くなるとも思っていないし、それから自分自身が社会をよくしていくことに加担できるとも思っていない。例えばアメリカや中国の子供たちは、自分たちで社会を変えていくんだという意識がすごく強い。だけど、日本の子供は自分がいたって世の中は変わらないという。

―中尾
自分なんかは…って言いますよね。

―澁澤
いいますね。
それでいて、今のままが、ずっと続いてほしいといいます。

―中尾
私も若いころは、私なんかがって言ってましたよ。「私なんかでもこんなことができるんだから、誰でもできるよ!」という言い方をしてきたのですけど、ある時から、「中尾さんだからできることで、誰もできません!そんなことは」ってみんなが当たり前に言いだしたんです。
だけど、私、高卒だし、どこに行っても何をやるにも一応自分で切り開いてきたので、やろうと思えば、「失敗したって自分で責任取ればよいのでしょ!」と思えば何でもできると思うんだけど、それが途中から通じなくなってきました。

―澁澤
自分で自分の暮らしを作っていくということが圧倒的に減ったのでしょうね。

―中尾
自分の人生をつくるということを知っている人と知らない人とでは、全然楽しみ方が違ったり、今が良いという満足度が違うと思うんですが。

―澁澤
はい。でも今の子供たちが「今がイイ」というのは、むしろ積極的に良いというよりも「いやじゃない」という程度なんですよね。

―中尾
それは、最初から何もかもがあったからですね、きっと。

―澁澤
何もかも、すべてがあったから。コンビニに行きゃ何でもある。
友達を作りたかったら、face to faceは面倒だから、ゲームの中で友達を作る。

―中尾
リアルがない?

―澁澤
リアルがなくて、リアルの中で生きていくという実感がないんだと思うのです。
それはまさに私たちの世代が子供たちに与えてきてしまったものなんです。そっちの方が良いだろうと思って与えてきたのです。

―中尾
そうですよね~。肉体で感動して心が震えるとか、体が震えるとか、そういうものを私たちは(私だけかもしれないけど)、それを喜びと思って、それを得るためにいろんなことをしてきたのだけど、それがなくなっても、脳だけあれば確認ができて、「脳さえあれば」というのが本当なのか本当じゃないのか、私もわからないことなので、人間がそこに向かうことが幸せなのか幸せじゃないのかということも判断できないんですよ。

―澁澤
肉体と脳って相互依存というか相互関係ができていて、脳が一番大きくなった時期というのは、人間が二足歩行を始めた時なんですよ。そうすると、周りからいろんな動物やいろんな敵が来ますから、感覚を研ぎ澄まして、その情報を瞬時に得ないと生きていけなくなった。逆にその情報を瞬時に処理できるのが人間という生き物になったということなんです。

人間は言語を持った時、脳は大きくなっていないのです。ですから、僕たちは情報というと言語だとか映像だと思っていますが、実は情報というのはさっき言ったように、五感で新年を感じるというような、その部分が人間の人間としての本来持っている情報処理機能なのかもしれないのです。

わからないことを受け入れていくとか、それを自分の直感で判断していくとか、なんかこの場所おかしいなとか、あるいはこれ気持ち良いなとか、という喜びを子供のうちに持たせてあげると、肉体を持つことの喜び、自己肯定感は出てくるのかもしれないのですが、今の日本の教育では子供の頃から英語を教えてプログラミングを教えて、算数を教えて…と、目と耳からだけ入ってくる情報、それをたくさん持っている子が優秀という価値で選んできていますから、そうなると五感を研ぎ澄ますということに関しては価値のない情報処理能力という風に、少なくとも今の日本の教育は見られていることが大多数です。高度経済成長という、モノを豊かにしていくという社会にはその感覚でよかったんです。ところが、これだけモノがあふれかえって、その先の豊かさ、それはもうモノの豊かさではなくて、心の豊かさであったり、社会の豊かさ、家庭の豊かさとなったときに目と耳だけの情報で判断する人間はそれに対応できませんから、だからもう脳だけでよい。それに自分の脳が、快楽があってればよいと。

―中尾
それは、簡単に生きたい、単純に生きたいということですか?

―澁澤
そういう風に選んでいく人と、それから、いや今までの価値観が違ったから、大きく変わろうとしているのだと、五感で社会を判断しなければいけないし、あるいは六感という人間の五感でカウントされない感覚を多分持っているのですよ。そういうものが人間なんだ、それを開発していくことが喜びなんだと思う人と、両極端になっていくのだと思います。

―中尾
いやあ、それを最近いろんなところで感じます。
ただね、先日大学2年生の女の子と話をした時に、彼女が「なんかわからないけど、神社へ行くと空気が違う気がして好きです」っていうのです。

「何で空気違うんだと思う?」って聞くと、全然わからないし、考えたこともないっていうんですけど、そういう感覚があるだけでよいなと思いました。

―澁澤
たぶん、その子は、子供の頃からそうなんですよ。まだ、二十歳でその感覚を持っていることが素晴らしいと私なんかは思います。ただ、多くの子たちは子供の頃はみんな持っているのです、その感覚を。ところが小学校3年生くらい、中学受験が見えてきたくらいから、その感覚を閉じていくのです。小学校の教育を見ているととてもよくわかります。
教育だけではなくて、社会全体が、それをつぶさないような社会になれば、自己肯定感を持った子供たちがもっと増えてくるように思います。

―中尾
どうも見ていると親御さんたちの感覚が子供たちにすごく影響していますよね。そこをもっと広げてほしいなと思います。

―澁澤
そうですね。

―中尾
今年はどんな年になるかわかりませんが、いろんなところに行って、そういう人たちと交友を広げていきたいなと思います。

―澁澤
そうですね。六感を研ぎ澄ませて、感覚で、中尾さんらしく…

―中尾
澁澤さんらしく…旅に出ましょうね(笑)


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