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魂を揺さぶられる

中尾:
この季節になると、20年近く毎年コンサートをしていたのを思い出します。
8月から9月のはじめくらいまでの間でご出演くださるミュージシャンの皆さんのスケジュールを調整して、明治神宮の森の中で、「ちんじゅの森チャリティコンサート」というのをやっていたんです。
 
澁澤:
何回か行かせていただきましたけど、芝生の上に座って良い感じでしたね。
 
中尾:
はい。森の中で、とても気持の良いコンサートでした。
 
澁澤:
懐かしいです。
 
中尾:
ちょうど2000年に、あの明治神宮の森が80周年を迎えました。今はもう100周年を超えましたけどね。その80周年を機に、「代々木の杜80フォーラム」とかいろいろな催しが行われたのですが、その一環として、明治神宮の人工の森をお手本とした100年後に向けた森づくりをするためのチャリティコンサートを企画して、初めて実施したのが2000年なんです。
 
澁澤:
森づくりに関わるものとしては、明治神宮の森はひとつの憧れというか、あんな成功事例はないと思います。明治神宮の森を創るために近くに神宮外苑を作って、そして、神宮外苑で稼いだお金で、明治神宮の森をメンテナンスする。一方森づくりは百年の設計図を描いて、100年後に立派な森になるように、かといって明治天皇を祀るわけだからすぐにある程度森の感じは持たなければいけない。そんな矛盾する問題を含め、100年後に完成形が来るようにと、森づくりから資金集めから、事業計画から、あんなに緻密に作られて、尚且つ100年後をちゃんと計算して、その通りになったというのは、本当に誇ってよい森だと思います。
 
中尾:
素晴らしいですよね。しかも原宿。
 
澁澤:
そうですね。東京のど真ん中ですからね。
 
中尾:
そう。本殿を正面に見て左側の奥の森の中にちんじゅの森コンサートの会場を作るのですが、5000人くらい軽く入るんですけど、最高でも2000人という、本当に贅沢なコンサートでした。
 
澁澤:
贅沢でしたねえ。まあ経営は大変でしたでしょうけど。
 
中尾:
経営は本当に大変でしたね。
でも、一回目に松田聖子さんが出てくださったのは、本当にありがたかったです。
一回きりと思って全力を注いだので、その後のことは一切考えていませんでしたが、コンサート終了後に一通のお手紙が届いたのです。
「余命わずかな息子と参加しました。芝生に座って、森のにおいをかぎながら、息子が大好きな歌を聞けて、都会の森の中で雲が流れて、風がそよいで、ヒグラシが鳴いて、だんだん日が暮れて、自然の大切さが心に沁みました。そこに息子といられたことが幸せでした」って。
 
澁澤:
なるほど。それは明治神宮の人たちが聞いてもうれしいですね。
 
中尾:
ね、響くでしょ? しかもこれが人工の森だというのは素晴らしい!これからももっと伝え続けてください。このコンサートは絶対に続けてくださいと書かれていて、ちょっと心が動いちゃったんです。
 
澁澤:
続けてよかったですね。
 
中尾:
はい。良かったです。
そして、2回目です。それならば、このコンサートを運営する組織として、ちゃんとNPOを作りましょう!と思って、「ちんじゅの森」をつくったんです。
そして、2回目以降はみんなでつくるチャリティコンサートにしたいなと思ったので、環境関係の団体さんとかいろんな方に声をかけて、ブースを出したりしながら、みんなでちょっとずつお金を出し合って、そういうコンサートを一緒にやりませんか?って、お声をかけたのですけど、本当に横のつながりをつくるのは難しくって、「それって、僕らはちんじゅの森さんというか中尾さんに従うということですか?」って言われました。全くそんなつもりでお誘いしているわけではないのですが、私も当時はうまく説明できなかったのかもしれません。10社くらいお声がけしたのですが、結局一つもOKをいただけなくて、難しいものだなと思っていたら、キョードー東京さんから、「たぶん、中尾さんが好きじゃないかなと思う歌があるんです。ちんじゅの森コンサートに合うと思います」って、CDをくださったんです。
それが、おおたか静流さんのCDだったのです。
その時はおおたかさんのことは全く存じ上げませんでしたけど、初めて聴いたときに、この歌は私のためにあると思ってしまって、そこに全部引っ張られた感じで、「絶対この人にお願いしましょう!」となりました。
 
澁澤:
出会いですね。
 
中尾:
はい。そのCDの中に「The voice is coming」という歌があって、
この歌の2番に、「流れる水がやがて一つになる。長い旅の終わりに」という歌詞があるんです。いつかきっとみんなで一緒にやれる日が来ると、この歌が、最後の最後まで、ずっと私を支えてくれました。これがなかったら、続けられなかったと思います。
 
澁澤:
私の印象はね。私もその時初めておおたか静流さんの歌を聴かせていただいたわけですが、明治神宮という場所もあるのでしょうけれど、神様降りてきたなと思いました、あの瞬間に。
それでね、それまでの他の出演者の方には申し訳ないんですけど、全部がかすんでしまって、一瞬にして舞台の上に神様が降りて来て、よく依り代っていうんですけどね、昔の巫女さんというのは依り代で、自分を空にして、神の言葉を告げる人ですよね。キリスト教やユダヤ教でいう預言者。預言というのは、予言する方ではなくて、神の声を預かる人。凄い!と思いました。まさにあそこには神様が降りてきました。
その後も何度かおおたかさんの歌を聴かせていただきましたけど、舞台でもなんでも、おおたかさんがツボにはまると…というのかな、空気を換えてくれるというか、その瞬間にガラッと格調高くなるんですよ。格調高くなるというと安っぽくなるかな。
神様がそこにいるなと思えるほど、リアリティがものすごく出てくる、歌でした。
 
中尾:
そうなの。それで、私はおおたかさんにはまっちゃって、それから3年後、今度は日枝神社で神話の舞台「古夜 -Inishie Night-」を上演することが決まって、最初の舞台は「スサノオ」のお話なんですが、そこにもおおたかさんにご出演いただいたんです。
うちのメンバーは素人です。プロを目指す素人で、脚本も音楽もオリジナルですが、国文学者の中西進先生に監修をしていただいたし、良い作品ができたと思いましたけど、こんな大舞台は初めてなので、やはり、オープニングにはおおたかさんの声がどうしても欲しいと思ってお願いしたの。そしたら、その日が大雨なんですよ。それは日枝神社さんの中秋の名月のための特設舞台なので、その日のその時間しか借りられないし、大雨は当然中止なんです。
本当はそれで終わりなんですけど、あきらめていたら当時の宮司さんが、「せっかくなのでやりなさい」と。今からお客さんに電話をして来れる人には来てもらって観てもらいなさいっておっしゃってくださったんです。
 
澁澤:
その日のうちにですか?
 
中尾:
そう。その日のうち。その夜にです。朝から大雨だったので、本来ならば雨天中止なんですけど、連絡したら100人全員来てくださって、全部席は埋まったの。
拝殿を使わせていただいたので、会場はいっぱいで、後ろの扉を全部あけたんですが、すごい雨の音が聞こえて、雷までゴーゴーバキバキ響き渡る中、そこにおおたかさんの声ですよ。もう笑っちゃうくらいマッチしたの。
 
澁澤:
明治神宮のコンサートの時だったか忘れたけど、一回おおたかさんが雨乞いの歌をうたったら、どしゃぶりになった時がありましたよね(笑)
 
中尾:
土砂降りは言い過ぎですけど(笑)、それは2回目のコンサートの時ですね、おおたかさんは呼んじゃうんですよ。
 
澁澤:
日枝神社はおおたかさんの声で神様が降りてきちゃったから、素人の人たちの舞台が急にすごいプロの演劇になりましたね。
 
中尾:
そうなの。急激に「スサノオ」になりました。だからね、歌ってすごいなーと思いました。
魂の呼ぶ声というのでしょうか。一気にいにしえの世界に引き込んでくださった。それが本当に素晴らしくって、ちんじゅの森はおおたかさんなしでは語れません。
 
澁澤:
依り代に使ってしまっては申し訳ないんだけど、祭りにしても何にしても、神がいるというのが前提ですよね。神というのは、感じるんだけど形ではない、何かすごいものに動かされている。それで人間は謙虚になれる。だけど、その祭りのエネルギーというのが今はなくなって、目に見えるものだけを信じるという唯物論的な世の中になってきてしまったので、その中でそういう経験をすると、人間本来の魂が揺さぶられるって本当にあるんだなってことを思い知らされますね。
 
中尾:
このラジオで何度か芸術の話もしてきましたけど、おおたかさんの歌は芸術でした。衝撃的な出会いでした。
 
澁澤:
そうですね。直感で、理屈云々別にして、魂を握ってゆすぶられるという感じね。
それがたぶん人間らしい本来の感覚なんだろうなということに目を覚まさせてもらえるっていうのかな。その感覚が忘れられないくらい良いですね。
 
中尾:
今日は、毎年8月から9月になると必ず思い出す、懐かしいコンサートのお話をさせていただきました。

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