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キツネラジオ始めました

初めまして。中尾伊早子です。
3月1日からキツネラジオを始めました。 コロナでなかなか会えない、遠く離れた人たちにも話しかけたいな~と思っています。よろしければ、お付き合いください。

まずは、自己紹介から始めたいと思います。
27歳で上京して以来、バブル時代のギャラリー勤務、広告代理店を経て、NPOを設立し、45歳の時に自分の会社を作りました。名前は「オフィスキツネ」といいます。
「お金をどんなに積まれても、気持ちが通じない仕事はしない。」と心に決めて、気持ちでお付き合いできる人のネットワークをつくろうという決意を込めて立ち上げました。画面のロゴは、お稲荷さんの「キツネ」が話をしているイメージです。「きもち・つながる・ネットワーク」の頭文字をとってキ・ツ・ネとしました。
それ以来、お金にこびず、惑わされず、人や場所とのご縁と、生きる上で何よりも大切な自然に心を寄せて働いてきました。
とはいえ、バブル時代にはしっかり稼いでいましたし、お金がとても大事だと思った時期もありました。この心境にたどり着くまでには、いろんな人と出会い、経験だけは積んできました。全国に知り合いはたくさんいますが、実は何をしている人かよくわからないという方も多いと思います。
これからこのラジオを進めるにあたり、いろんな方とお話しする機会も作っていきたいので、まずは、私のことを知っていただければと思います。
昭和36年、大阪の泉大津市に生まれました。泉大津は岸和田の隣の町で、だんじり祭りが盛んです。
子どもの頃の私は小児ぜんそくで、今からは想像できないと思いますが、走ると息が続かないので、だんじりは引いたことはありません。おじいちゃん子で、いつも祖父の膝の上でお相撲を見ていました。今でいう認知症になった祖父は、私が4年生になっても時々教室まで迎えに来ました。授業中でもおかまいなしで、先生は「いさこちゃん、おじいちゃんが迎えに来ましたよ」といって帰してくれました。といっても、おじいちゃんといったん帰るふりをして、祖父を連れて家まで帰ったらまた学校に戻ります。戻るとみんなからからかわれて、すごく恥ずかしかったけど、今思えば学校も、隣近所との関係も優しい時代だったなあと思います。
中学になると、教室の黒板には日直の名前の下に、祭りまで「365日」というカウントダウンが始まります。それほどお祭りが大好きな町でした。
そんな中学生時代、教室ではラジオの話で盛り上がりました。大阪では朝日放送のヤングリクエストと毎日放送のヤングタウンが人気で、私もほぼ毎日聞いていました。
高校生になってもラジオへの熱は冷めることなく、特にヤングタウンの金曜日を担当していた佐藤良子さんにあこがれて、彼女が出演する公開録音に学校をさぼって足しげく通って、ディレクターさんや、アナウンサーさん、スタッフの方々と顔見知りになり、高校を卒業した時には毎日放送の看板番組「ヤングタウン」のデスクの席をゲットしていました。これは、当時の若者には超うらやましがられる最高のポジションでした。
さらに、放送局のアナウンサーの方のご紹介で、話し方を教えていただく塾にも通いましたが、そこは、局アナを目指す現役の大学生や、すでに司会のお仕事をされていたプロの方々が通う本格的なアナウンサー塾で、時事問題のインタビューやスポーツアナとしての実況の練習など、真剣なお稽古を目の当たりにして、それまで新聞も読んだことがない勉強嫌いの私に手が届く世界ではないことを悟りました。同時に、そこに来ている皆さんの真剣なまなざしを見て、自分が本当に進みたい道を探し始めました。
それからしばらくして、大好きな佐藤良子さんから、独立するので一緒に会社を作らないかとお誘いいただき、良子さんの親友だったやしきたかじんさんに預けられてマネージメントや手打ちのコンサートのお手伝いをして業界の仕事を学び、23歳で彼女が代表を務める「オフィスミック」というプロダクションを設立しました。
そこで気づいたことは、佐藤良子さんにあこがれていたのは、彼女の容姿や声、話し方はもちろんですが、当時はまだ女性のアナウンサーはアシスタント的な存在だったのに対し、彼女はアナウンサーとしての美学を持っていて、どんなゲストが来ても、こびずに、その人の良いところを1分で見つけ、ゲストとの距離感や会話の運びが絶妙で、大阪ならではの笑いのツボも抑えていて、しかも上品で、周りを立てつつ、圧倒的な存在感がありました。
当時はそんな深くは考えていなかったけど、どんな職業でも、プロとしての美学を持ち、自立した女性になりたいと思わせてくれた、最初の大人だったと思います。

27歳で結婚して初めて家を出ました。当時はまだ、実家を円満に出るのは結婚という時代でした。
そのころ、私と同い年のアイドルが松田聖子さん。二つ上の姉と同い年のアイドルは山口百恵さん。このわずかな年齢の違いで女性の生き方が大きく変わった気がします。人生最大の目的は結婚で、良い妻として母として、一生添い遂げることを美学とした時代が百恵さんで、その引退を機に、松田聖子さんのように、自分の思うままに、恋愛も仕事も自由に手に入れて、自分らしく自立して生きていくという女性が増えてきたように思いました。
私の場合も、それまでのように家にいることを望む男性とは違って、夫は自分の世界を作りなさいという人でしたので、結婚して夫に仕えるのではなく、家庭は安全地帯という感じで、自分の生きる場所を探しはじめました。
東京で最初に務めたのは、新聞の求人広告で見つけた「画廊」でした。絵が飛ぶように売れていたこの時代は、バブルの真っただ中。夏は軽井沢の万平ホテルに設置された特設ギャラリーに勤め、避暑に来られている方々の別荘に絵を届け、それ以外は全国のデパートの美術サロンを回っていました。面白いほど絵が売れて、お給料もたくさんいただき、パリの風景画を描く画家のご夫婦と仲良くなって、パリにも何度か通って、パリじゅうの美術館を見ました。とても華やかな時代で楽しくもありましたが、一方で、パリに行く飛行機は買い物ツアーのOLでいっぱいで、ヴィトンやセリーヌ、グッチと無節操にブランド品を買いあさる姿に嫌悪感も抱いていました。
そんな時、広告代理店の友人から、伊勢のご遷宮に合わせて始まるシンポジウムの事務局員を探していると誘われ、画廊をやめて、伊勢に行くことにしました。次回は、「伊勢」のお話です。

キツネラジオは、毎週月曜日AM9:00に更新します。

YouTube「 キツネラジオ 」はこちらでお聴きいただけます。
https://youtu.be/iWBR0E9DsH4

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