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「暮らしだより 八頭町 岡崎ファーム②」

*この記事は2022年9月19日にyoutubeキツネラジオにて放送したものです。

中尾:
今日は前回に引き続き、八頭町から、もえちゃんのご主人で、岡崎ファームの岡崎昭都さんに来ていただきました。
よろしくお願いします。まずは自己紹介からお願いします。
 
岡崎昭都:
僕は鳥取県八頭郡八頭町ところで生まれ育ちました。柿農家をしています。ただ、僕は生まれた頃から柿がたくさんあったので、農業にはあまり興味がなくて、スケボーとかしていました。
 
中尾:
ご家族は皆さん農家ですか?
 
岡崎昭都:
おじいさんとおばあさんが柿を作って、父親と母親は働きに出ていて兼業農家みたいな感じでした。
 
中尾:
中高時代はスケボーに花を咲かせていたのですね。
 
岡崎昭都:
はい。仲間とワイワイやっていました。
 
中尾:
若い子たちにもどんどんそういうことをさせてあげたくて、新しくスケボー場をつくろうって、奔走したんですよね。
 
岡崎昭都:
出来ました、去年。
 
中尾:
何年ぐらいかかった?
 
岡崎昭都:
前回のスケートボード場がなくなってから4年がかりでした。
 
中尾:
頑張りましたね。
 
岡崎昭都:
はい。頑張りました。
 
中尾:
皆さん、使っていますか?
 
岡崎昭都:
今はもう逆に人が多すぎます。オリンピックの影響もあって。
 
中尾:
多すぎる…良かったね。
 
岡崎昭都:
あと一か所作りたいなと思って、動いています。
 
中尾:
いいね。農家しながら、好きなスケボーしながら、生活を楽しんでいますね。
 
岡崎昭都:
田舎なので、僕は農業しながら釣りもします。ウナギも釣るし、イカを釣りに行ったり、あとスケボーもするんですけど、次の世代へのサポート役みたいな感じで行政と話したり、色々会議したりということをしています。
 
中尾:
これからやっていきたいことがたくさんあるようですね。
昨日も良い会議に参加させていただいたので、そんな話もしていきたいと思います。
昭都君としては、どんなところを目指していますか?
 
岡崎昭都:
10年後、自分の子供が大きくなったとき、周りの子供も大きくなっていて、農業というと、地域だとあまり儲からないイメージがあるので、普通に生活できるだけのレベルにもっていき、それを周りの人と共有して、全員農業で食べられれば、わざわざサラリーマンで外に出なくても、地元でちゃんと生活できることがわかってもらえると良いかなと思います。
 
中尾:
昨日の仲間は、どんなことから集まった仲間ですか?
 
岡崎昭都:
昨日の仲間は、「空き家」ですね。
僕の後輩で共通の友達が二人いて、八頭町をどうにかしていかないといけないよねという話になったんです。僕たち30代が元気あるところで、次の世代が不安にならないようにどうつなげていくか、あとはかっこ悪くしたくないなということなんですよね。
 
中尾:
人口が段々減ってきていて、空き家も増えていて、どうしようかというまっすぐな発想ですよね。
 
岡崎昭都:
そうですね。空き家が増えてくると農地も荒れてくるので、人口も減ってくるし、だけど誰かが変わらないと、これは変わらない現実だと思いますので、自分たちができることからやっていこうと。
 
中尾:
そう。それで集まった5人の男性がいらっしゃいましたけど、かっこよかったですよね、澁澤さん。
前向きでエネルギーに溢れていて、素敵な仲間でした。
 
澁澤:
カッコ良かったです。頼もしかったですね。
農業の後をつくると言ってもなかなか簡単ではないんです。
例えば彼は柿農家をやっている。100年前の柿を実らせるには、100年前の農法、100年前の柿に対するケアをしなければいけないんです。段々段々世代が進んでいくと、それはものすごく手間になっていったり、柿の表情がわからないとケアが出来なかったり。私もいろんな農家、特に果樹農家の産地を回るんですけど、後継者を育成するというのはとても難しくて、自分の息子に同じリンゴ農家を継がせようと思ったら、今の品種は全部やり替える。つまり100年育ってきた木は全部切って新しいリンゴを植えないと、うちの息子たちにはあのリンゴを栽培するのは無理だから。それじゃあ新しい品種に全部塗り替えるくらいならば、もう農家をやめると言って産地がなくなっていくということを何回も目の当たりにしました。それくらい難しいことで、ただ農家やります!と手を挙げれば良いという話でもないんです。だから、彼は簡単なことのようで、すごくチャレンジングなことをやろうとしている。しかも、その周辺にただ自分だけ継げばよいのではなくて、集落をそのまま残しながら、空き家に人が住んで、そこに子供の声が聴こえてという状態を作りながら、それをつないでいくということはとても大変なことだけど、ものすごくやりがいがあることだと思います。
 
中尾:
そうなんですね。
それをするには農業の良いところだとか、ここでの暮らし方だとか、根本的なことから見直すというのが大事なのかもしれませんね。
 
岡崎昭都:
遊びはめちゃめちゃあるので、農業しながら生活の一部として釣りも出来たり川で遊んだり、子どもを連れて行って遊べるところはたくさんあるし、自分が大人になっても遊べる場所や息抜きができるところもたくさんあって最高なので、それをもっと伝えていけるといいのかなという感じです。
 
中尾:
あとは、どうやって食べていくかということですね。
半分農家をして、さっき兼業農家とおっしゃいましたけど、少し自分の特技とか技術とか活かして、お金にも代えられて、生活が成り立つとすごく良いサイクルができるという町が理想なのかな?
 
岡崎昭都:
そうですね。農地が多いので、貸農園でも良いと思うし、あとはちょっと大きめの家庭菜園をするだけでも、自分でものを育てるということは必要なので、そういうことも体験してもらえたら面白いと思います。
 
澁澤:
明治初年度の日本の人口が3300万人だったんですよ。そのうちの農家というのが約3000万人。日本は農家の国だったんです。ところがその農家というのは、今僕たちが言っている農家ではなくて、お百姓さんの集まりだったのです。お百姓さんというのは百の姓を持つと書いて、何でもやる人たちなんですよ。昔から専業農家というのはほとんどいなくて、基本的には米を作る、野菜も作る、屋根も葺く、出稼ぎにも行く、いろんなことを全部自分でやりながら、ある意味でカスタマイズしながら、自分らしい暮らしを作っていき、尚且つ周りの集落と一緒に生きていける暮らしを作っていくというのがそもそも日本人のDNAだったんです。そこに今風に還る道を彼らは探しているんだろうなと思います。
 
中尾:
今風なお百姓さんになろうということですね。
 
澁澤:
さっき、子供たちを川で遊ばせられるし、スケボーもできるしという話をされましたけど、それも他の国から見たら普通じゃないんですよ。他の国は大人と子供が一緒に遊ぶということはないですから。日本だけなんですよ。しかも大人と子供が真剣に一緒に遊ぶということは。これからの世代間をどうつないでいくかということも、すごく大切なことがそこにあると思います。気づかないだけで。
 
中尾:
ここでの暮らしがこんなに楽しい、面白いということも、自覚しないとうまく使えませんものね。
 
岡崎昭都:
まずは楽しく。楽しくないとたぶん続かないので。農業も楽しく。生活も楽しく。
 
中尾:
「楽しい」の基本って何でしょうね。
 
岡崎昭都:
僕の「楽しい」は、柿を育てていて何が楽しいって、一から、幼木からちっちゃい木から植えるんですけど、それが1年、2年、3年、4年、5年…10年くらいたってくると、自分で木の形をつくれるんですよね。1年目からずっと手を入れて。それは今までやったことがなかったので、既存農園ばかり手をかけていたので、逆にこういう風に果樹園を作ってみよう、こういう配列で作ろう、これくらいの間隔をあけよう、ここに潅水施設をつくろうというのは自分でデザインできるので、それは面白いです。どんどん木がでかくなってくると実をつけてくるので、やっと実がなったと楽しくなる…まあスパンは長いです。実が付くまでは5年くらいかかりますので。ただ、そういう計画を作りながら、改植する園はひとつここを作って行こう、ここは何の品種を入れよう、ここは軽トラを入れるので奥まで道を広げようとか、そういう面白い考えができます。
 
中尾:
凄いね!
 
澁澤:
めちゃくちゃクリエイティブでしょ。なおかつ育つので、ただ作ったら終わりではなくて、それを育てることを絶えず時間軸で見守りながら…という、ありとあらゆる人間が心をウキウキさせられる要素が全部入っている。
 
中尾:
それは楽しいですね。しかも風景もかわっていくもんね。
 
岡崎昭都:
それから耕作放棄とかリタイアする家とかあるんですけど、空き家と同じなんですけど、いい家は残していくけど、改植しないと効率が悪い品種がたくさんバラバラあったりするというところは一から全部切って根っこを掘り返して、新しく植えなおして、10年、20年後くらいにいい家にできるようにやっていくという、僕は妄想しながら楽しくやっています。
 
澁澤:
良いですね。作物を育て、子どもを育て、町を育てる。
 
中尾:
ほんと、素晴らしい!!
素敵なお話をありがとうございました。

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