#19「自分の存在とは」

―中尾                                                                                                                前回の看取りのお話は、なぜだか、ものすごく笑いながら話してしまい、皆さんから「笑いすぎ」と顰蹙を買ってしまったので、家族の手前もあり、少し言い訳をさせてください。 私が父の最後に「ママと結婚してよかったね」「良い娘たちでよかったね」と言って、父の言葉を待ったのは、こんなに最期の時までちゃんと意識があって話ができる状況はなかなかないと思うので、母にはずいぶん苦労を掛けてきたこともあるし、最後くらいは母に「ありがとう」って言うドラマティックなシーンを作ってあげようと、そんな言葉をかけたのですが、父からの返事はなく、ただ笑って逝ってしまったということなのです。 

 ―澁澤                                                                                                               たぶんね、お父さんの側から見たら、この世の中からどこかに行くのか、あるいはこの世の中に、いずれにしても別れを告げたわけですよね。でも、本人はそんなに深刻ではなかったわけですよ。こちらにしても、とても深刻なのだけど、お父さんの目が白くなって、身体はだんだん死に向かっていくのだけど、意識はそれとは少しずれているんですよね。さらに言うと、中尾さんは、死んだお父様のことを昨日のことのように語っているわけですよ。そうすると、人間は、何をもって『死ぬ』で、何をもって『生きている』ということになるのでしょうかね。 その境目というのはあやふやですよね。

 ―中尾                                                                                                               そうですね。前回の最後に、理想の見送り方と言っていただいて、とても救われたのですが、私たちにとって、『死』は日常の中にあるという感覚なのです。生まれてから死ぬまで、普通の暮らしの中で生まれてから死ぬまで、日常の中で朽ちていくというのが一番幸せなのではないかと私は思うのです。 

 ―澁澤                                                                                                               ただ、日常の暮らしの中にある、例えば恋とか、仕事とか、ある日突然終わりが来るじゃないですか。ところが、人が死んでいくということは、「生」と「死」といえば境目があるのだけど、その境目がないように聞こえたのです。 私がこんなことをいうのは、3.11の東日本大震災のあとに、私たちが手伝いに入った東北の港町は、漁師の町だったので、漁に出たきり帰ってこないというのは、結構頻繁にどこにでもあるという話でした。 その時に、震災後の地域のリーダーの方が、私たちはどこで死んで、どこで生きているのか、漁師という世界は、板子(船の底板)一枚下は全く違う世界があると昔から言われていて、あやふやなんだけど、毎年盆踊りの日だけは、旧盆の15日、満月の下でみんなで踊ると。生きている人間も、漁に出て帰ってこなかった人間も、震災で亡くなった人も、病気で看取った人も、誰が誰だかわからなくなる。みんなで一緒に踊るのが盆踊りなのです。『誰かが誰かのことを覚えているうちはその人が生きていることと全く同じで、あなたたちボランティアがやらなければいけないことは、たしかに震災の後片付けは重要だけれど、一番重要なことは私たちのことを忘れないでいてくれることなんですよ。あなたたちが忘れないでいてくれれば私たちはずっとここで生きていけるのです』とおっしゃったんです。それは、僕はとても衝撃的でした。日本の各地を回ると、日本人って、人と人との関係の中に自分を見出しているので、どちらかが生きていれば、片方は(肉体は)死んでいても、生きているのと同じだというような思想は、日本中にあります。 その意味では、お父様は、確かにその瞬間に向こう側に行かれたかもしれないけど、中尾さんの記憶の中にも、ご家族の記憶の中にもお父さんはいきいきと生きているし、最後の瞬間まで鮮明に覚えていて、笑ったねと言ってみんなで笑えるのは、日本人の根源の部分の生と死の感性なのかなと思います。 

 ―中尾                               そういっていただくと、とても良い終わり方だった気がします(笑)   私が在宅ホスピスということを勉強したのは20年前なのですが、その時と、2年前とは、お医者さんの意識も、看護師さんも、受け取る側の患者さんも全然意識が違っていて、20年前は告知さえできない状況の中で、本人に伝えるなんてとんでもない、と誰もが思っていました。また、死ぬことを手伝うのは医者じゃないとも。なんという世の中だろうと思っていたのですが、20年経つと、これが当たり前になっていて、家で看取る人たちのお手伝いをしてくれる方たちのチームワークの良さに感激しました。患者さんとサポートする側とがきちんと向かい合って、話し合える。最後の時間をどう過ごすかを選択できるようになった時代の流れの速さに驚きました。 

 ―澁澤                               こんなに早く生と死の問題が、急激に価値観が変わったのは、過去の歴史の中にはなかったと思います。 戦国時代ならば、いつ生きるか死ぬかもわからないし、その前に明日食べるものがあるかどうかもわからない…というような、目の前のことを必死で追っかけてきた時代から、死への対処の仕方、向き合い方まで自分で選べて、周りの人に協力してもらえる時代になったというのは、ものすごい変化だと思います。

 ―中尾                               在宅ホスピスの先生方は、『患者さんご本人が宗教を持っていた方は強かった』とおっしゃっていました。強いというのは、意思をもって、死んでもどうなるかということを自分の中でイメージできているようで、幸せそうに見えたそうです。逆に、宗教を持っていない方は、最後になって取り乱されたり、不安になる人が多かったといいます。 私は、宗教が何かよくわからなかったのですが、30歳くらいの時にフランスに行ったとき、クリスマスで、観光客でとてもにぎわっていたパリの教会で、一人だけマリア像の足元にひざまづいて、マリア像の足の指にキスしているおばあちゃんがいて、そこだけ後光がさしているようで、敬虔な祈りというのはこういうことを言うんだと思いました。同時に、なんで、私にはそんな心がないかな…と。 それが、死ぬとか、命、宗教ってなんだとかを考えるきっかけになりました。 心の中の支えになるものとして、何か基準となる柱を持っているということなのかなと思ったのです。 

 ―澁澤                               ヨーロッパでは、個がとても重要視されますから、そのおばあちゃんにとっては神という存在と、自分という存在の関係性の中に自分が生きているということが存在する。中尾さんは、人と人との関係性の中に自分を見出して、中尾さんであることが存在している。 だけど、今私の講義をとってくれている大学生たち、あるいは高校生たちは、もう人との関係性の中で生きるのは嫌です、自分一人の中で、自分の中の自分とだけ対峙していて、その中でどう自分が快楽を得ていくか、それがすべてで、他のことは全く煩わしいです、という子が今の時代は多くなっています。 自分が自分でどこまであり得るかということだと思うのですが、現実に人間の細胞の数って、約37兆個といわれています。そして、40兆個の、細胞よりも多い数の細菌が私たちの体の中にいる。その細菌のおかげで私たちは、食べた食物を消化もできるし、免疫を得ること、生きることができる。けれど、細菌は私たちとは全然つながっていない別のDNAを持った生き物なのです。そうすると、どこまで自分で、どこまでが自分ではないのかという線はとてもあいまいなのです。人と自分、神と自分との間で自分を見つけている人は普遍ですけど、閉じた肉体の自分の中だけに自分を見つけている人は、とても矛盾が出てくる。その怖さは出てくると思います。 

 ―中尾                               ということは、自分の中で救いを求めたときに、宗教というものは浮かび上がってくるものなんでしょうか…

 ―澁澤                               オウムに見られるように、突然神が出てきて、絶対的な力が出てくる。それはゲームの中の神かもしれませんが、それに対して頼る、あるいは、人と人の間には見つけられなかったけれど、そのゲームの中の神と自分との関係性の中に、やっと自分がどこにいるのかがわかるという子供はたくさん出てくると思います。 

 とーっても難しい話になってきてしまいましたので、今日はこの辺で。  キツネラジオは毎週月曜日に更新の予定です。 よろしければチャンネル登録をして、来週も聴いてくださいね。 

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