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どろがめさんと歩いた森

―中尾:今日は、初めて澁澤さんとお仕事をご一緒させていただいたときのお話をしたいと思います。覚えていらっしゃいますか?

―澁澤さん:北海道の富良野の東大演習林の『どろがめさん』と呼ばれた東大名誉教授の高橋延清さんの映像を作ろうという仕事だったと思います。

―中尾:そうです。1999年のことでした。
仕事といっても、私は千年の森の事務局をしていましたけど、実際に森に入ったことはなかったので、勉強に行かせていただいたという感じですが、環境教育ビデオの制作の出演者を決めるときに、どろがめさんの「樹海」という本を読んで、候補として提案させていただき、事務局で了解を得て、お手紙を書いて会いに行きました。ご本人がすでに80代半ばでしたので、秘書の永野京子さんがスケジュールを調整してくださいました。
なので、澁澤さんとお仕事させていただいたのも、仕事として森に行ったのも、富良野が初めてだったんです。

―澁澤:ふ~ん、そうでしたっけねえ。

―中尾
そうなんです。
初めて入る森が、富良野の東大演習林で、どろがめさんと、NHKの製作スタッフの方とご一緒させていただくというのは、本当に贅沢な経験でした。
東大名誉教授っていうと、すっごく堅いイメージですが、どろがめさんは、一度も教壇に立ったことがなくて、現場主義で、その名の通り、毎日毎日ゆっくりゆっくり亀が這うように森で研究をしている。その本には、台風で森の木々が倒れてしまったときに老木と話をしているシーンがあって、ぜひお会いしたいと思いましたが、澁澤さんにとってどろがめさんはどんなイメージでしたか?

―澁澤
私も同じで、白洲正子さんや多くの作家の方々がどろがめさんのことを書かれていて、こんな風に森を感じられるおじいちゃんがいらっしゃるのだな、お会いしたいなと思っていましたが、ご縁もないし、直接知らないし、無理なんだろうなと思っていたところ、とんとん拍子で実現して、とっても嬉しかったですね。

―中尾
私はその頃「北の国から」が大好きなテレビ番組でしたので、富良野の森に入れることがとてもうれしくて、ワクワクしていました。
そうしたら、森に入るにあたって、永野さんから注意書きが送られてきたのです。
「ヒグマがいます。」「トイレはありませんので、森の中で用を足してください。その際、どこにいるかはちゃんと手を挙げてお知らせください」等など…
ヒグマのいる森に入るということに全く実感がなくて、形から入る私は、森ガールの服装を用意して、いそいそと出かけました。
だけど、森に入ってすぐに、その緊張感に包まれました。
それは、最初にトイレをしようと思って、みんなから離れてこの辺かなあとしゃがみこんだ時でした。まさに、たった今、したばかりでしょ!っていうヒグマのうんこがあって、びっくりして、私は下げかけたズボンを穿きなおしてかたまってしまいました。
その日はそのまま一回も用を足さないで、宿に帰りました。
なんで、そんな話から入るのって顔されてますね(笑)

―澁澤
富良野の東大演習林というのは、山手線の内側の約4倍くらいの広さだったと思うのですが、その演習林を働き場にしていた方々が住んでいらっしゃったのが麓郷という場所で、そこがまさに「北の国から」の舞台になっていて、東大演習林に囲まれていた中にあの舞台がありましたね。

―中尾
そこでは、鹿の親子やクマゲラにも出会いましたし、澁澤さんは何回目かに森に入った時、ヒグマの親子にも出会われましたよね。
演習林は、動物たちがいる自然林と、木材を育てるエリアがわかれていたのでしょうか?

―澁澤
基本的には、あの森自体は木材をどういう風に自然の中からとってこようかということを研究している森です。その中に『保存林』というエリアがあって、そこは手を付けない。研究の時には絶えず自分がやったものと、普通のものと対比させて研究が進むので、人間が全く手を付けないエリアを設定して、そのエリアと、こういう手を入れたら、こんなに変わったという対比をさせます。

―中尾
それが、どろがめさんがとなえられていた「林分施業法」というものですか?

―澁澤
そのことではなくて、林分施業法というやり方は、人間が手を付ける森を、普通は森という一括で考えていくのですが、地形や自然条件で、谷筋だとか、南側に向いている、北側に向いている、あるいはここに川が流れているとか、ものすごく細かく切るんです。
普通はこの森をどう手入れしましょうかという森の、だいたい10分の1ずつくらいの広さで細かく切っていって、それぞれ、その場所に適した手入れはどうしていくかを考える。
もっというと、一本一本の木をどうしようかということから考えるので、とても手間がかかる施業法なんですが、自然を壊さない。自然の中の余った部分、成長した部分を人間が分けていただくという発想で林業を考えていましたので、とても自然に優しい、自然にあわせたやりかたでした。
林業というのはそもそも一回森を全部切ってしまいます。そこに人間が必要な、例えば本州ならば杉とかヒノキとか、北海道ならばカラマツだとか黒松だとか、単一の種類を、山を畑のように使いましょうと言って植えるのが林業のやり方ですが、それは違うと。
どろがめさんが唱える施業法は、全部切って畑のように使った方が良い場所もあるし、自然をそのままにして人間はほとんど手を付けず、20年に一度くらい手をいれてやるのが良いところもあるし、10年に一度、あるいは5年に一度、どういう伐り方をするのかを細かく、しかも現地を全部歩いてみて、その場その場で決めていくという、とても手がかかります。それを人件費に落としていったら、林業の現場ではとてもあいません。もっともっと大型の機械が入って、簡単にできて、必要な木だけを切ってこれるような林業の方が、大規模機械化、植生の単一化というのは林業・農業違わず我が国が進めている方針ですし、今も変わらない。国の施策を研究するのが東京大学ですから、そこの一番大きい富良野演習林の林長が全く違うやり方で森に対峙していたいうことは、ある意味ではとても煙たがられた存在でしたでしょうね。

―中尾
だけど、50年も60年もかけてどろがめさんが作ってこられたんですよね。

―澁澤
そうですね。エジンバラ公賞もとって、世界で一番美しい森だとまでいわれた森でした。
なおかつ、生産性も高くて、いろんな樹種、木だけじゃなくて、動物、鳥、キノコまで、多様な生態系を維持するのが、一番森の林業の生産性が高いんだということを証明して見せた森でもありました。

―中尾
本当に明るいきれいな森でした。

―澁澤
明るいけど手が入っているように見えない森でした。
ものすごく繊細な感覚で手が入った森でしたね。

―中尾
素人の私には、手が入っているかどうかはまったくわかりませんが、山よりも海が好きだった私が、森に興味を持ったきっかけはあの富良野の東大演習林でした。

―澁澤
最初にお会いして、番組の取材を始めたときに、車の中で、『いきなりこんな話を持ってきた見ず知らずの私たちに、なんでこんなに良くしていただけるのですか?』と聞いたときに、どろがめさんは「俺は、特殊な能力を持っている。俺に会いに来る人間は二種類いて、一種類は、俺が有名だから、そのおこぼれにあずかりたいとおもってやって来る人間、もう一種類は、本当に森が好きで、森を見たいとやってくる人間。この二種類を嗅ぎ分ける能力は俺はすごいんだ。あんたたちは、『森が好きだ』ということが森に入ったときに最初の動作ですぐにわかった。だから、こいつらはちゃんと案内して協力してやろうと思った」とおっしゃったのです。その時、とてもうれしかったし、今でもそれは私にとって宝物のように私にとっては大切なものです。

追伸;
どろがめさんは、2002年1月30日に旅立たれました。
ヒグマのうんちを見つけた時、どろがめさんに「これ、もしかしてひぐまでしょうか」と聞いてみると、どろがめさんはうんちの横にべたっと座り込んで、木の枝でそれをこねくり回しました。
赤い実がたくさん入っていて、「これはミヤマナナカマドだな。まだ湯気が立ってる。その辺にいるな」と言いました。
その姿は「ジュラシックパーク」の映画で恐竜の糞を調べる研究者と重なりました。
その夜、ペンションに戻ってから、どろがめさんに呼ばれてお部屋に伺うと「今日は1回もトイレにいってないでしょ。ためるとよくないから、これを飲みなさい」と、便秘薬をくれました。動物や森はもちろん、ヒトのこともとても良くみておられました。
また、「私は人からよくわがままだといわれます」というと、「わがままは正直の証だ」と本にサインしてくださいました。
その後、秘書の永野京子さんは、その後ちんじゅの森の理事に加わってくださり、人のご縁をつないでくださっています。


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