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満足のできる暮らし

―中尾
最近ご出張が多いですね。

―澁澤
そうですね。

―中尾
今回は長かったですね。

―澁澤
今回は1週間くらいいなかったですね、東京には。
はじまりは愛知県の渥美半島なんですよ。
渥美半島というのは海の中に砂州のようにできた半島なんですけど、昔は水がなかったんですよ。なおかつ砂地ですからイモと麦しかできない、本当に貧しい半島だったんです。
そこにね、豊川から用水を引いて、要するに運河を掘ったんですよ。その水でガラッと変わって、日本有数の農業地帯に変わっていくんですよ。

―中尾
水は大きいのですね。

―澁澤
土は肥えていますから。ミネラルが含まれていて、そこに水が来て、特に園芸作物、キャベツですとか、切り花ですとか、その当時は電照菊っていって、一年中菊が供給できるようになっていました。今はご承知のように特にお葬式とか、菊を多量に使うようなことがなくなりましたから、やはり値段が下がったりして大変です。そうなるとメロンをやったりとか、色々考えて、施設園芸を展開されています。
それから、びっくりしたのは3-4年前に渥美半島に行ったのですが、その時とは今の風景はずいぶん変わっていました。それはね、なぜかというと太陽光発電が多くなったんですよ。太陽光パネル。昔農地だったところとか、昔施設園芸やったところがみんな太陽光パネルになってしまっているのです。

―中尾
太陽光パネルね。それは皆さん、きっと良いことをやっていると思っていらっしゃいますよね。

―澁澤
それがとっても悲しいですよね。結局太陽光パネルを設置すると、その下の農地というのは全く生産しないところになってしまいます。今回、ウクライナで戦争があったり、世の中のエネルギーや、特に食料資源を中心とした物流というのが今までのようにグローバルマーケットをただ信じて、世界中から調達してくればよいという話ではなくなってきているにもかかわらず、日本はエコだからと言って、どんどん食料生産の農地の上に太陽光パネルを貼っているんですよ。その方が安定的に儲かるからなんですね。やはり、豊川用水が引けた時、それから本当に貧しかった農村をみんなで力を合わせて日本一の農業地帯にするんだといって、それから本当に日本一の園芸地帯になって、みんなが今度はお金が儲かるようになって、昔あんなにみんなが集まって、前を向いて地域を良くしていこう、次の世代を育てていこうと言っていたのが、みんなばらばらになるわけですよ。みんな昔のように集まるんだけど、一人がこれをやろうというと、それをやったらうちは困るという人がいて、一人は安定的に儲かるからと言って農地の上に太陽光パネルを作り…もっと言ってしまえば、それぞれの家庭の中でもそうなってきて、全然後継者が育たなくなってきているわけです。本当にこれで良かったのだろうかと年配の方々はみんな悩むわけです。
それって地域づくりで日本中のどこでも、何も農業地帯だけではなくて、今直面している現実なのかなということを、改めて思い知りました。

―中尾
食べるものよりも電気ってことですよね?

―澁澤
農業はやはり大変なんですよ。そういう風になってくると、パネルを作っておけば20年は高く電気が売れると。それから周辺に自動車メーカーの工場ができて、そこが自分たちの使うエネルギーを自然再生エネルギーで賄いますといって、そうなると願ったりかなったりだから、農業辞めて、自分たちのつくった電気をあの工場に売ろう、そして自動車工場でサラリーマンになろう、ということになるわけです。それが本当にエコなのかということです。

―中尾
太陽のエネルギーを取り込まねばというのは正しいんですよね。
そこは正しいんです。

―澁澤
だけどまあ、食料よりも車を動かすとか、たぶんその延長には原発ももう一回動かそうということになるんです。どうするんでしょうね、日本は。

―中尾
う~ん、ねえ。どうするんでしょう。

―澁澤
結局それが日本という国が目指した形なんです。
それがもう明らかに転換をしなければいけない時期に来ている。
要するに、生活レベルを落とさないでではなくて、どこかで生活レベルを落としてもそれ以上に満足できるくらしを作って行かなければいけない。
そっちに頭を使っていかなければいけない時代なんだろうという風に今回の出張は本当に思いました。

―中尾
それは、年配の方たちの心配ですか?

―澁澤
講演の後に私の周りに寄ってきて、「本当に私もそう思います」というのはみんな私から上の世代でした。若い世代はうなずいて聞いてくれているのですよ、だけどとても考えさせられて、どうしてよいかが分からないのでしょうね。

―中尾
農業対経済みたいになっていますよね。
それ、農業じゃなくて、澁澤さんが良くおっしゃっている農的生活で、自分が食べられるものとか生きる上で必要なものは自分の身の回りに置いておきたいという考え方が若い人はあるのだけど、お金も必要なんですよ。

―澁澤
その塩梅ですね。だから、今言った中尾さんの考え方から入って農業を始めた若い人達というのは、決してあるところから規模を大きくしないんです。当然手間をかけた農業をするんですね。農薬をやらないで有機で栽培したり、みんなネットワークでちゃんとお客様を持って食べていけるまではやる。だけどこれ以上やると子供と遊ぶ時間が無くなる、あるいは人を逆に雇わなければいけなくなって、その人件費でそれを稼がねばならなくなるから、もっと規模を大きくしなければいけない。このくらいで、止めておこうこう、ということができた農家は本当に稀ですけど続きます。だけどまだまだ最初は農的暮らしから入るんだけど、大きくなるとなんかどんどんどんどん規模を大きくしてしまう…そして自分が二進も三進もいかなくなる。右肩上がりの思想が刷り込まれちゃってますね。

―中尾
もっともっとに慣れちゃってるんですよね。だいぶ変わってきたと思うんですけどね。

―澁澤
だけど周りはね、役場も金融機関も、ここまでやったんだからこれだけ投資すればもっとここまで行きますよって。

―中尾
それがグローバルですよね。みんながこの人に乗っかって、じゃあこれをすることによって、金融でお金も借りてくれるし、何とかしてくれるし…という。またそこにもっていくのって話ですよね。

―澁澤
だけどそのグローバル経済がおかしくしているということはみんな知識としては知っているんですよ。目の前にある右肩上がりをここでやめておこうというのは、今の日本ではすごく勇気がいりますよね。
その勇気って何かというと、自分の暮らしの中で事業の規模を大きくするよりも、家族と一緒にいる時間が重要だという勇気なんですよ。

―中尾
わかります、わかります。それね、これまで生きてきた時代の価値観を変えるという勇気なんですよ。すっごい勇気です、それは。

―澁澤
その勇気がね、最終的にはね、地域に対する愛着なんじゃないかなって思うんです。家族も中心ですけど。

―中尾
そこは、どう育てるかってことですね。

―澁澤
どう育てるか…そこが、重要かもしれません。コロナ禍で一歩立ち止まれて、冷静になってこれから先を考えられるチャンスかなって、つくづく思わされました。

―中尾
でも、若い人達の価値観、変わってきていますからね。

―澁澤
自分たちは力がないという風にまだ思っていますし、現実にまだメジャーではないので、その意味でどうしても自分と自分の家族の中だけで固まりがちなんですよね。うちの家族はこうして生きていこうと。それがまだ面になっていないのです。面にしていって、世の中かわったぞということを示していく段階に来たと思いますね。

―中尾
そういう農的な生活をするというのは、どこから入るのが親しみやすいですか?

―澁澤
業界ではやっている言葉かもしれませんけど、コモンズっていうのです。コモンズ、共同体というか、みんなの価値としてもっていくということです。その価値はいったい何かというと、お金で買える価値もそうですが、お金で買えない価値もあるのです。例えば高校生たちがダンスコンクールに出るんだと言って、みんなで壁に向かって踊っている。それもね、いってしまえばコモンズなんです。踊るという価値の中でみんながその中で共有をする役割を果たしていく。例えば、みんなで山を守っていこうと山の手入れをして、それを薪に利用したりとか、子供達をそこで遊ばせたり、キノコを採ったりとか、それも一つの価値。昔はそういうものしかなかったんだけど、今は個人が中心の社会です。でも、SNSも普及して、いろんな形でつながりをつくることができるようになりました。例えば昔はPTAといって、学校からやらされていたと思っているけど、今は各地に親父の会だとか、自分たちで何か作って行こうという会ができていって、そういうことだと思います。ただ、どうしてもつるむの嫌だという人たちもいますからね。ネットの中ではつるめるけど、実際フェイスtoフェイスはいやだという人もいますからね。ある意味ではつながり方をいろいろこれから模索していくことがまだまだたくさんあるなと思います。

―中尾
話し合わなきゃいけないのは、そこかなという気がしますね。

―澁澤
話し合って触れ合って、言葉だけじゃなくてね、お互い共感を作って行かなければいけないということでしょうから。それは音楽かもしれないし、芸術なのかもしれない、もっと簡単な一緒にいるということなのかもしれない。そんなところからが、世の中を変えていける一番大きな力になるのかなと最近思うようになりました。


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