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失われた自然は元に戻るのか

―中尾
最近ね、YouTubeで何でも見られるじゃないですか。
それで、いろんな大学の先生方の講演や授業をちょくちょく見るようになったのです。
 
―澁澤
良いですねえ。学校に行かなかった分を取り返していますね。
 
―中尾
そうなんです(笑)こんな日が来るなんて…ね。
その中で気に入っている大学の先生の授業があるのですけど、その方がね、バブル時代に何が起きたかというお話をされていて、バブルというのは高度経済成長期が終わって、その後一気に景気が良くなって、それまでずーっと働いてきた人たちがお金を持つようになって、マイカー、マイハウスを持ったり、海外に遊びに行ったりしましたよね。
 
―澁澤
高度経済成長の一つの行きついた場所かもしれないですね。
 
―中尾
そうですね。好景気で、みんながお金を使いましたよね。広い土地にはどんどん近代的な建物が増えて、空き地にはどんどんマンションが建ちました。
だけど、その先生から見たら、その空き地といわれる土地には木があって、虫もいて、鳥もいて、植物もあって、全然空き地には見えない。そうやって淘汰されていった中に、もう一つ、その木に登っていた人間の子供達、自然の中で虫を取ったり観察したりして遊ぶ子供たちもいなくなった。そういう自然児たちももういらないと言って、学校の中で良い成績をとる子供たちを塾とかで人工的に育て上げたのがバブルの時代なんだっておっしゃっていたんです。
 
―澁澤
うーん、それが正しいか正しくないかは別として、今の大学生たち、今の20代というのはバブル世代のお子さんたちですね。その大学生たちは前にもお話したかもしれませんけど、自分が自然の一部だとはとても思えないという子がものすごく多くなりました。彼らは、生まれてから自分の生活の周りには自然なんてなかったし、家の中にある観葉植物や、近所の公園くらいが関の山という暮らしをしていて、とても自分が自然に生かされているとも思えないし、それから自然と自分の命がつながっているということも実感としては持っていない。ただ最近は、地球生態系だとか環境だとかは子供の頃から学校で習うようになったので、知識としては持っているけど、実感としては自分が自然の一部だとはとても思えないという子が圧倒的に多くなったのは事実です。
 
―中尾
そうですよね。私もちょうどバブルの時代に20代で、電飾の世界に喜々として身を投じていた世代なので、自然の中で遊ぶこともなく、都会でお金を使うことの楽しみとか、家をきらびやかに飾る楽しみいうのが確かにあったなと改めて思いました。そんな中で生まれた子供たちは自然に親しむことも少なくなるかもしれないと思います。
 
―澁澤
はい。外の自然を豊かにすることではなくて、部屋の中の電化製品をより新しいものに変えるということが発展だと思っていましたね。ちょうどその時期に私は長崎でオランダ村とかハウステンボスをやっていましたけど、その時にオランダ人たちによく言われましたのは、「日本人は、なんで外側に興味がないんだ」と。これだけきれいな自然に囲まれて、きれいな風景で四季がある国なのに、みんな自分の家の中のことに興味があって、家の中を近代化してきらびやかにしようと一生懸命で、外は汚しても良いんだ、ゴミを捨てても構わないんだという精神文化を持つようになったのは何故ですか?という質問をずいぶん多くのオランダ人から受けました。
 
―中尾
そうですね。そう見えただろうと思います。
だけどそれが最近一周廻って、ずいぶん自然が好きだといってキャンプする人が増えたり、最近自然を取り上げる番組も多くなって、また次の時代にかわってきたような気もします。先日もテレビで澁澤さんが何十年も前にされていたマングローブの森の植樹とか、漁業に関わる人が森づくりをしたり、ちんじゅの森も東日本大震災の海を取り戻そうと言ってアマモを植える活動に寄付をしたこともあったのですが、そういうことが今になってだんだん広がってきて、二酸化炭素吸収にとても役に立つような活動になっているというのをテレビで見ると、私が希望を持ちすぎるのかもしれませんけど、一方ではこうしてちゃんと続けられているんだなあと、ちょっとうれしかったです。
 
―澁澤
マングローブにしても、アマモにしても成長が目に見える植物なんですよね。ですから自分がやった行為がすぐ形になってかえってきますから、自然を取り戻したという実感、あるいは自分が関わった自然が成長していくという実感を得るにはとても良い教材です。地球環境に良いということは別にしても。そんな中で、人の感性みたいなものが育っていく、そうするともう少し自然に対して寛容になるかもしれないし、そのうちその延長上に初めて自分の暮らしと自然が結びついて、ひょっとしたら自分は自然に生かされている、あるいは自然の一部として生きているということが意識できるような時代にかわってきて、だからこそ、地球の自然は守らなければいけない、地球環境は守らなければいけないという風になれるのではないかという希望をとても持っているのです。ただ一方で、まだまだ科学技術の発展だとか、モノを消費するとか、エネルギーを消費することによって得られる便利な社会というものを追い求めている。しかもそれが経済を支えているという信仰に近い思い込みはものすごく強いですから、そのバランスの中で、地球が果たしてそれまでもつかもたないか、その瀬戸際だということです。
 
―中尾
私の中では、結局人間って地球から見たらすごくちっちゃくて、人間から見るとプランクトンくらいの生物で、それがどれだけいろんなものを開発して地球を汚したとしても、結局人間も消滅して、また地球が再び新しく生まれ変わるのかな~なんて思うんですけど。
 
―澁澤
中尾さん、それはもう古いです。今から40年前はそれでよかったです。もう人間はちっぽけではなくなってしまって、地球生態系のほとんどを支配するくらい数も増えてしまい、それで科学技術も進んでしまったのです。自然環境と自分の暮らしとどっちが大切なんだということをいつも言われるのです。
 
―中尾
とっても難しい問題ですね。
 
―澁澤
難しい問題です。ただ、やっぱりもう少し人間が謙虚になって、自然環境がある、そのうえで人間という生き物も生きられるのだからと納得しないと、目の前の自分の利益だとか、目の前の自分の職業を守るのが自分の正義だという固定観念は、なかなか変わらないと思います。
 
―中尾
どこを見て生きて行けばよいかという話だと思うんですけど、未来を見ないと考え方や生き方は直せないと思うんです。だとしたら、未来に向かえる人ってどれくらいいるのだろうって考えると、前回澁澤さんがおっしゃっていたように、余裕のある人たちがちゃんと考えていくという社会でないと難しいというのは、本当にその通りだと思うのですが、それは誰?って思ってしまいます。それが、自分だと意識するのは、何がきっかけになるのでしょう?
 
―澁澤
余裕があると思うか、余裕がないと思うのかも「自分」だということなんですよ。
 
―中尾
そうなんです、そうなんです。わかります。
 
―澁澤
余裕がなくなってしまって目先のことしかわからなくなる自分も何回も経験してきましたから、そうなった時の自分が、後で思い返すととても好きではなかった。
絶えず心に余裕のある状態にしておきたいと、試行錯誤してきました。それは、ある人は仏壇に向かってお経をあげることかもしれないし、太陽や月に手を合わせることかもしれない。いろんな方法で自分を今の追い込まれている余裕のない状態から、ポッと精神状態を抜けさせる術というもので、昔の人たちは生活の中で自分流に取り込んできましたよね。
 
―中尾
何となくですけど…下手をすると、本当に一人で閉じこもれるんですよね。他人と関わらないで。よそを見ないでも生きられるんですよ。食べられるし。
 
―澁澤
その意味では、その時が一番余裕があると思いますよね。その時はね。
 
―中尾
一瞬はね。本人はね。だけど、それは間違っていますよね。
 
―澁澤
そうすると、今度は生きている実感がなくなるんですよ。
ですからいつもその兼ね合いでどちらかだけやればよいのだという話ではきっとないのだと思うんです。
 
―中尾
余裕というのも関わらないとわからないし、自分も変わるというか変えられるし、今の自分が全てではないということをどうやって感じると良いのかな。
 
―澁澤
そうですね。
 
―中尾
余裕を取り戻すことによって何が生まれますか?
 
―澁澤
自分で冷静に「希望」を見つけることができます。
 
―中尾
なるほど。希望は、私たちの心が自然を取り戻そうと意識することもですよね。

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