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芸術について

―中尾
今日は「芸術」についてお話したいと思います。
 
―澁澤
ほお~。
 
―中尾
芸術って色々ありますよね。
芸術って必要ですか?
 
―澁澤
必要ですね。
 
―中尾
なんで必要なんでしょう。
 
―澁澤
あのね、この番組でも何度か言っていますけど、人間が言葉で通じるコミュニケーションってほんとうにわずかなものなのですよ。そのほか、感じるだとか五感ですね、それを言うと非科学的だって言われますけど、僕たちは宇宙全部を感じとることもできるんですよ。例えば、大自然の中に行ったら、自然全部を感じることができるのです。その仕組みもわからないし、それぞれの木が何を言っているかもわからない。だけど、森のすごさを感じられる。芸術はそれと同じですよね。
 
―中尾
そうですね~。しかもそれは、人間の中から生み出されるものですよね。
 
―澁澤
人間の脳がそれを感じるキャパを持っているということですね。科学ではまだわかっていないけど、脳が明らかに感じている。それは言葉に翻訳しないのだけど、良いなあとか、すごいなあとか、勇気づけられると思えるものがある。それはとっても人間にとっては幸せですよね。
 
―中尾
そうですね。例えば音楽もあるし、美術もあるし。美術って難しいですよね。澁澤さんのお嬢さんは絵描きさんですけど。
 
―澁澤
難しくはないと思いますけどね。
 
―中尾
だけど、ご本人が描いているものに言葉がないわけで、感じるわけですよね。この人は何を描きたかったのかなあとか、見たそのものに惹かれるとか、色々あると思うんですけど、私の仲人さんも絵描きさんで、抽象画家だったんです。申し訳ないけど、最初は何を描いていらっしゃるのか全然わからなくて、画集を見たんです。するとね、例えば彼女は箱みたいな四角とか、マンホールの丸とかをたくさん描いているという絵が多かったのですが、彼女の文章を読むと、視野に入る窓枠とかドアとかの四角だったりとか、丸だとか当たり前にあるものが、それが彼女の中では大きくなっていって、それが生きている自分の空間と溶け合って、丸も四角も自分の命の延長線上にあるということになっていくそうなんですよ。その言葉で初めて分かったんです。はじめてみた時も感じていたんですよ。その時は、この人のこの四角の、この色の中の点みたいな、ここが好きだなとか、全体のバランスが良いなとか、そういう表現しかできなかったんですけど、今になって、これって命の延長なんだってことにすごく驚いて、感動したんです。ずっと前にもその画集は読んでいたのに、全く入ってこなかったんですが、今になってわかるんですよ。
 
―澁澤
ありますね~。それは本当によくわかります。
今の話でいうと、僕たちが今「肌」と感じている「肌」が、自分のカラダの一番先だと思っていますけど、ひょっとしたらこの部屋の中にある四角だとか、地球儀の丸だとかというのも、人間の感覚がつくったものですよね。自然界にはないもの。それが今度は自分の肌の一番先だと思うと、そこが触れている世界がまた変わってきますよね。そこにある窓枠の四角までの間の空間というのが自分のカラダの一部になってきますね。その感覚というのは、何となく年を取ってくるとわかります。
 
―中尾
そうなんですよ。それって不思議ですよね。理解力なのかな?感性?
 
―澁澤
「理解力」は年を取るごとに増えるというのは教育現場では言われていますけど、「理解力」って言葉はすごく深いというか曖昧な言葉ですよね。だけど「感じる」ということは、なんとなくこれが「感じる」という概念だということはわかります。若い頃は、もっと感覚が敏感と言えば敏感ですから、いろんな情報が入ってくるので、それを感じたという風に単純にはなかなかいかないのでしょうね。
 
―中尾
なるほど。ちんじゅの森を主宰していた時、場所にはとてもこだわって演劇だとかコンサートをやっていました。この場所でこの風にあたりながら、この空を見ながらこの音楽を聴くことで、より森に近づけるとか、森のざわめきがそこに加わることで、もっと自然が好きになるとか、そういう感覚の中で森づくりに寄付していく、このコンサートのお金を森に使いましょうということを感じてもらいながら、環境問題に関わっていくという自然な流れをつくりたいと思ったんですけど、それを役所の方に説明した時に、「それによって人の心が変わったってどうやって説明しますか?その費用対効果はどうやって決めますか?」って言われてものすごく冷めちゃったんです。
そうか、仕事というのはこういうことなんだと思い直しましたけど、逆に、仕事じゃないところに大事なものがあるので、その感覚を人に伝えたいし、お金ではない別の大事なものを見つけるためにやっているんだという思いがより強くなりました。
あの頃は役所を説得できないのは失敗だと思ったこともありましたけど、それは間違いではなかったということが、最近ようやくわかってきました。自然と芸術にこだわったからこその結果だと思います。
 
―澁澤
良かったですね。先ほど、中尾さんが「芸術は難しいですね」とおっしゃったときに僕がちょっと口ごもったのはそこで、まさにその部分が一番難しい。というか、ややこしい。なんか言葉も解さないし、ましてお金も解さない。「感じる」というやり取りが直接できていく、肌で触れていくように自然がわかったり、相手の表したいことが分かっていくのが喜び、それが本当は芸術の真の意味なのでしょうけれど、そこに例えばゴッホの絵だったらいくらですよ、誰々のコンサートならばいくらくらいですよという市場価値がついてくる、それがあるために、多くの人にわかりやすくなるということもありますが、今私たちが生きている世の中では、金銭的価値の方が重要だ、あるいは公平だと言って芸術の価値にされていく。その部分がとっても難しいのですよ。それを除いてあげれば、「感じる」ことですから、それはとても簡単なことかもしれない。昨日感じたことと今日感じることは当然違っても良いわけですし、そんなことを楽しめると、心の琴線がいつも違うメロディを奏でることになるわけですから、とても豊かな暮らしをつくることができる。その意味では芸術ってものすごく簡単なものだと思います。
 
―中尾
本当にそうですよね。それがね、お金を中心にものを考えると、最初にいらないものだと言われてしまうんです。
 
―澁澤
まさにそうですね。
 
―中尾
この40代、50代の20年はずーっとそこに悩んできましたけど、東日本大震災の時に、被災者の方が言葉を発せられない、悲しみを伝えられない時に、一本の三味線でみんなが泣いたんです。それをニュースで見た時、こういうことだと思ったの。「泣いて良いんだよ」ということを楽器の音色が教えてくれたのです。
 
―澁澤
以前、この時間にもお話しましたが、岩手の山のおじいちゃんが言葉を持っていなかったという話をしました、司馬遼太郎さんから教わった話。
言葉だけじゃない、感じ合うという世界が、ついこの間まで日本にたくさんあったんですよ。その部分に僕の世代はあこがれもあるんです。逆にその時代のにおいを少し感じていたからかもしれないですけど、それが今お金にしても言葉にしても、どんどんどんどんデジタルな世界で翻訳できないと、価値として存在しないんだという風に、とても感性が狭められてきていることが堅苦しい感じがしますね。
 
―中尾
そうですね~。
それとね、もう一つ、今コロナで人が集まれないから展示会ができないでしょ。それで美術館に足を運ばない人に対して、ネットで作品を伝えるというのは、どうなんでしょう。
もちろん、ネットでしかできないこともあると思いますが、生の絵とか、音楽もそうですけど、生で聞くのと、画像を通して観るのと、全然違いますよね?
 
―澁澤
全然違います。それは科学的に証明されていて、デジタル世界での情報量と、実際に僕たちが肉体として受けている情報量というのは桁がいくつも違うくらい違います。ですから今もう一回CDからアナログ盤のレコードに戻っていますね。アナログ盤のレコードは結局その部分を拾っているということがあります。それから音量メーカーも人間の耳に聞こえない領域の音を再現することによって、音楽が伝わるというようなことがあったり、少しずつ科学の領域もそういうことに近づいてきていますけど、圧倒的にそれでは伝わらない、デジタルだけでは伝わらないということを前提とした社会にもう一回戻らないと、今はすべてがデジタルで伝わるものだと、それが科学的であり人類の発展だというのは違うと思います。
 
―中尾
この話は止まらないので、またいつか続きをお話したいと思います。


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