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禅の研究



「おお!姫、今日のタイトルは!深遠な西田哲学に突っ込むおつもりですかぁ???」

「よく読め!”禅の研究”じゃ!”善の研究”ではない!」

「ああ、これ、高校生が "日本史"とか”倫理”で、大真面目に書いて、間違うやつじゃないですか?\(//∇//)\ぺろ」

「ん?そうか??西田幾多郎は、京都だしな、実際、禅の修行もしておるからな、実際には、”禅”も研究したことあろうけどな・・。」

「まあ、しかし、宗教学者じゃなくて、哲学者ですからね。よく考えれば、”禅の研究”なんて、書くわけないか!www」

「禅宗は、元々は、インドにその素があって、その後、中国で、達磨大師によって、起こされた運動じゃが、日本には、鎌倉には入っておるな。」

「栄西、道元、習いましたね!w」

「鎌倉期は、中国では、南宋時代で、禅の爛熟期じゃなぁ!中国の北は、元が起こって、遊牧民全盛期じゃから、乱暴狼藉し放題!」

「で、鎌倉の文化人層は、野蛮な元とは、そこそこで、南宋の文化に入れあげた!っと。」

「ま、そんなところじゃろ!茶の湯なども一緒に入ってきて、文化人サロンみたいになっていく。特に、臨済宗はそうじゃな!」

「鎌倉五山、そして、のち、室町期には、京都五山まで指定されてますね。」

「まさに、サロンじゃろ!権威化もされて行く。」

「臨済宗は、俗化しやすいたちのものでもありますね、特に日本ではそういう気がします。」

「ん?公案のことか???」

「そうですね、ちょっと、トンチめいたことだったり、気が利いた言い回しをしてみたり、なんだかわかったようなわかんないようなことを言って、大衆をケムに巻いたり、ってなりやすい性質をそもそも、持っている。」

「だから、お師さんがしっかり悟って、道を曲がったり、外れたりするようなやつは、うまく破門して行くようになっていないと危ない宗教でもあるなぁ。」

「大徳寺なんかは、だから、俗世間とは少し、離れていたんですね。」

「まあ、後醍醐天皇との縁が深かった(建武の新政時は、京都五山の上に置かれたりした)ため、足利将軍家から、無視されたという不可抗力もあったんじゃろうけどな。」

「しかしながら、大徳寺は、在野にそびえる梟雄的なものの象徴となって行きますよね。」

「京都人の好きな形式を備えているよな。」

「実際、開祖、宗峰妙超は、かなりの独立独歩の修行者であったようだし、大徳寺は、室町期以降、後醍醐派の天皇のご子息であった、

一休宗純

はじめ、茶の湯の、村田珠光、武野紹鴎、千利休、小堀遠州など、大徳寺の歴史とは切っても切れない文化の担い手が沸くように現れている。」

「江戸初期は、宮本武蔵なんかにも出てくる、沢庵宗彭がいますね。」

「沢庵和尚とお通な、武蔵には欠かせぬな!」

「そういう意味では、俗化しながらも、時の権力と一線を画しながら、付かず離れず、繁栄して来ていると言えますね。臨済禅。」

「道元の曹洞宗は、そういううまく立ち回ることは禅の修行とは関係ない、釈迦牟尼は、そんなことを言ってないだろう?と思ったところから始まっているなあ。」

「これも、もう、今となっては、よくある成り行きと思われるくらい鉄板の展開ですね。」

「道元は、ただひたすら黙って瞑想したかったから、臨済宗の公案など、なんとなく浅く感じたんだと思う。」

「で、越前永平寺に引っ込んで、ひたすら座禅・瞑想した。」

「こういうタイプが師を超えて行くっていう一つの典型ですね。」

「鎌倉には、そういう人間のプロトタイプが色々出てくるなぁ。」

「法然ー親鸞ー一遍と続く、浄土念仏でも、そういう流れですね。」

「お師さんには、尊敬も感謝もしているけど、教えには飽き足らない、もしくは、ある一部分を突き詰めて、それだけを探求する。」

「平安から鎌倉って変化は、結構、劇的ですよね。そういう意味では。」

「一般の人々、っていうのが、鎌倉以降、少しずつ出てくるもんね。」

「古代に比べて、食料の生産性が飛躍的に上がり、民衆もものを考える余裕ができて来たんでしょうね。」

「在郷荘園の、武士たちによる独立っていうことがあり、民衆を治める意味での政治の中心が、鎌倉に移ったことが象徴的だったよな。」

「が、鎌倉も結局、”京都”化して行く。将軍は、摂関家から、ついでは、天皇家から、お飾りように借りて来て、北条執権家が公家化して行くなぁ。」

「まあ、その後も同じですけどね。」

「曹洞宗は、鎌倉の武士、御家人階級に受け入れられて行くな。」

「男は黙って、サッポロビール!感ありますよね。曹洞宗。」

「関東の、清和源氏の流れにある、”いざ鎌倉”な武家集団、御家人集団には、そのほうがわかりやすかったんだろうな。」

「瓢鮎図とかね、臨済禅はこしゃまっくれてて、関東平野でひたすらに田んぼやって、征夷大将軍からお呼びがあれば、一所懸命とばかりに、いざ鎌倉と馳せ参ずる御家人階級は、

《瓢箪でなまずを取る?》

なーにを小癪な、そんなんでコメの一粒もできんわ!」

「的な、ね!あったでしょうね。」

「彼らの興味は、相続の際に、子孫になるべく公正、公平な裁きをしてくれる仲裁者であって、サロンの言葉遊びなんて、全く興味がない!」

「それは、今に至っているんじゃよな・・・。」

「そうですね、結局、政治とは、田舎に行けば行くほど、公正な仲裁機能であって、それ以上でも以下でもない。」

「なので、総理だの、大臣だのになりたがるのは、どっちかっていうと田舎地盤の議員ばかりだなぁ・・・。」

「大臣というのは、仲裁係の大いなるものですからね。で、田舎から、献金持って、陳情団がやってくる。」

「これは、民主化政治のある意味、基本であって、バカにはできない。」

「禅の研究は、すなわち、政治の本質を知ること」

「となりましたね!お後もよろしいようで。」

「まあ、都会的な文化人階級と田舎の農民階級の問題は、今しばらくは、解決せんよ。」

「食の問題は、根本ですからねぇ・・・・。」







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